03 やるべきことは
喧騒の方向を振り返って、ハルディールは不安な顔を見せた。
「大きな騒ぎになっているようだ。……何が起きているのか」
「若いのが巧いことやってんのさ」
タイオスは気軽に言ってのけた。
「ええ、彼らは若くとも立派な騎士。成すべきことを成します」
ニーヴィスも続けたが、少年はそれが励ましにすぎないこと――彼らも「若者たちが無事だからこそ騒ぎになっている」と信じたいだけなのだということが判って、沈黙をした。
「だが」
タイオスは眉根を寄せた。
「いくらか、気になるな。あのふたりが騒ぎ散らして、僧兵がみんな釣れたとして、あれだけの声になるのか」
「僧兵がみんな釣れたら」
ニーヴィスは躊躇うように少し黙って、しかし続けた。
「あまり長くは保たないはずだ」
元騎士の冷静な台詞に戦士はわずかにうなずき、王子は唇を噛み締めた。
「逆に言えば、ほかのことが起きているのかも」
そう言ってニーヴィスはまたも躊躇ったが、やはり続けた。
「町の者たちやもしれません」
「何だって」
ハルディールははっと彼を見た。
「王子殿下が民に被害のないようにと仰いましたね。それは無論、私も望むことですが……」
「ははあ」
タイオスが判ったとうなずいた。
「庶民には金と権力はないが、考える頭はそれなりにあるからな。王女様が捕まってるいま、僧兵が必死で動くのは誰のためかくらい予想できる」
「ヨアフォードは、ハルディール様がカル・ディアに逃げたのだという噂を流し、王子に継承者の資格なしとの風潮を作り上げようとした。だが、出鱈目は真実に敵わぬもの。ハルディール王子がシリンドルの英雄〈シリンディンの白鷲〉を探しに行った話は、生まれたての赤子だって知るところだ」
「〈白鷲〉か」
嫌な名称を聞いた、とばかりにタイオスは顔をしかめる。
「しかし〈白鷲〉は」
いないとか死んだとか、何にせよタイオスが否定的な言葉を口にするより前だった。
「実際、王子殿下は〈白鷲〉とともに戻っておいでだ」
ニーヴィスはそう言った。ハルディールは笑みを見せ、タイオスは待てと言った。
「俺は〈白鷲〉なんかじゃない」
久しぶりの台詞を言って、タイオスはしかめ面をした。
ハルディール王子が連れてきた人物はヴォース・タイオスしかいないのだから、王子が英雄とともに戻ってきたならその傍らの人物がそれだということになる。ニーヴィスが何をほのめかしたのかはタイオスにも判ったが、理解することと納得することは別だった。
「英雄を騙るなんてご免だ。神様だって怒るだろうよ」
「シリンドルを守る手伝いになるなら、〈峠〉の神は文句を言わないと思うね」
ニーヴィスはそう言った。
「ともあれ、王子が〈白鷲〉と帰還し、囚われていた騎士たちもまた〈白鷲〉の手助けで脱出した」
「それはたまたま」
「まあ、いいから聞けよ」
元騎士は両手を上げて戦士の異論を制した。
「真実を知るのは〈峠〉の神ばかり。いま重要なのは、あんたがそう見えるってこと」
「むむむ……」
タイオスは巧い反論が思いつかなかった。
「英雄志願ならぬ英雄拒絶の気持ちはさておいて、民のために少し〈白鷲〉ごっこをしてくれ、タイオス」
にやにやとニーヴィスは言った。
「彼らは王子と〈白鷲〉がいると信じて、立ち上がってるんだ」
「では、あれらの騒ぎは、民たちが」
「おそらくは」
「僕は……そんなことは望まないのに」
「ですが、アンエスカの言った通りなんです、殿下。われわれ五人だけではどうしようもない」
「国民思いもけっこうだが、ハル」
タイオスは、〈白鷲〉扱いに苦情を言うことは割愛して、少年の青い瞳をのぞき込んだ。
「いまはお前の姉さんの救出と、王位継承者として、父の息子として、反逆者の退治を優先するんだ。それをやりゃ必然的に民も守れるんだからな」
ぽん、とタイオスがハルディールの肩を叩けば、少年は容易ではない顔のままだったが、どうにかうなずいた。
「――王子様、騎士様!」
かすかな声がした。タイオスとニーヴィスはとっさにハルディールの前後に立って王子を挟んだが、呼びかけに危険な感じはなかった。
「ああ、やっぱり。お帰りでいらしたんですね」
小さな窓から、三十半ばほどの女が顔を出していた。
「どうかその先へはいらっしゃらないで。すぐ先に坊主たちがいます」
女は、彼らの行こうとしていた方角を示すと顔をしかめて大きく手を振った。
「あいつらに見つかったら酷いことになる。引き返すかそれともそっちを」
と女は少し先の小道を指した。
「使うといいです。どちらへ行かれるんだとしても」
「有難う」
ハルディールはうなずいた。
「貴女に神のご加護のあらんことを」
「あら。あらまあまあ」
まさか王子殿下に祝福をもらうとは思っていなかったと見え、女は目をぱちぱちとさせた。
「どうかご無事で。あの嫌らしい神殿長をやっつけて、王様の仇を取ってくださいよ」
女は想像上のヨアフォードを殴りつけるような仕草をした。彼らは少し笑って、女の指した細い道を進んだ。
「町の者は殿下の味方だ」
うなずいてニーヴィスは言った。
「王陛下を弑して自らの言いなりになる新王を立てようなどとする男のどこにも正義がないこと、きちんと判っている」
「どうかね」
タイオスは呟いた。
「正義なんて人それぞれだ。……ルー=フィンに言わせりゃ」
「ルー=フィンが、何だって?」
ハルディールは驚いた顔でタイオスを見た。
「あなたは……彼に正義があると?」
「まあ、待て。そんな、傷ついたみたいな顔すんな」
戦士は唇を歪め、少し躊躇ったあとで続けた。
「真偽は、俺は知らない。ただルー=フィンは、お前の父親に、自分の両親を殺されたと……思ってる」
「そんな馬鹿な」
ハルディールは一蹴した。
「ケイダール叔父は不幸にも、強盗に殺害されたと聞いている」
「だから奴は、それを企んだのがお前の親父だと思ってるんだろう」
「どうして父上が、そんなことをしなければならない」
「殿下の継承権を脅かすことのないよう、という訳か?」
ニーヴィスはタイオスの、それともルー=フィンの考えを言い当てた。
「父上が、そのようなことを考えるはずが」
「〈企みを持つ者は企まれることを怖れる〉と言います」
元騎士は、王子と戦士を順々に見た。
「――王陛下に暗い企みを持っていた男であれば、そうした理由が自然であると考えるやもしれませんね」
「どうかね」
タイオスはまた言った。
「真偽は判らんよ」
「……どういう意味だ?」
ハルディールは首をひねった。
「ニーヴィスは、そんな話は、それともその出来事自体、ヨアフォードの企みだと言ったんだ。だが、俺は判らんと答えた」
公正にタイオスは説明した。
「ヨアフォードの」
ハルディールは厳しい顔つきをした。
「あの男は、ケイダール叔父まで殺害したのか」
「まあ、待て。そうと決まった訳じゃない」
「だが父上がそのようなことをするはずがない」
「そうかもしれんが、それなら、本当に強盗かもしれない。言っとくが、神殿長をかばうつもりじゃないぞ。ルー=フィンは証拠はないと言った、つまり誰の仕業にしろ、企みごとだという証拠はないんだ」
「タイオスは、断定するなと言っているんですよ」
今度はニーヴィスが、戦士の言を説明した。
「私の発言も早計でした」
彼はそう認め、少年は黙った。
「俺も余計な話をしたな」
謝罪の仕草をして、タイオスは頭をかいた。
「どうでもいい……と言うにゃ重大な話だが、いまはそれより重要なことがある。とにかく王家の館とやらへ」
タイオスは次の角にたどり着くと、周囲の様子をうかがった。
「
すっと身を引いて、戦士は呟いた。
「十人ばかりの、一団がいるな」
「近いか」
「四、五ラクトは離れてる。どっちへ行こうか迷ってる風情だ。クソったれども、迷うこたあない、向こうへ行け、向こうへ」
戦士はしっしっと追い払う仕草をした。
「――
ニーヴィスが剣に手をかけた。タイオスは渋面を作る。
「俺たちふたりで突破するんなら、不可能じゃない。だが」
「僕も、戦える」
ハルディールは主張した。タイオスは首を振った。
「お前が剣を抜くことはない」
「しかし」
「殿下がそうなさる必要などないようにするのが、我らの務めです」
ニーヴィスも言った。ハルディールは、自分が力のない子供だと言われているようで悔しく感じた。事実、ほとんどその通りのものであることが、なお口惜しい。
「三、四人なら強襲して全滅させちまうんだがな。どうしたもんか」
タイオスは迷った。そのとき。
「この、坊主頭ども!」
「出て行け! 俺たちのシリンドルから、出て行け!」
威勢のいい声と、何かがばらばらと投げられる音がした。路地裏の三人は顔を見合わせる。
「ハルディール様万歳! シリンディンの騎士、万歳!」
わあっと叫び声が続いて、投石らしき音が更に続いた。僧兵たちがくぐもった悲鳴を上げる。
「――は、なかなかやるもんだ」
「僧兵たちは武器を持っているのに、危険な真似を」
「こら、お前が出て行ってどうする」
慌てて戦士は王子をとめた。
「大丈夫。庶民ってのはな、義憤にも燃えるが、騎士が『命に換えても』と言うのと違って、自分の命は大事にするさ。投石が大した攻撃にならないと判れば、ちゃんと逃げる。僧兵が腹を立てて追いかければ、俺たちはこの先に行ける」
「追いかけられたら危ないじゃないか」
「もちろん、危ない。だが連中はお前を守るためにやってるんだ。お前が出て行って捕まったり斬り殺されたりしたら、全く意味がない」
「声が遠ざかる」
ニーヴィスがそっと角の向こうをのぞいた。
「タイオスの言った通り。民たちが逃げて……僧兵が追うところだ」
「よし」
行くぞ、と戦士は王子の手を取った。
「ハル。お前のやるべきことは」
「――生き延びて、ヨアフォードを罰すること」
唇を噛んで、ハルディールは答えた。タイオスはまた、よしと言った。
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