第4章

01 〈シリンディンの騎士〉ここにあり

 ばさばさばさ、と風が旗をあおった。

 レヴシーは強く、旗竿を握り締め直す。

「大丈夫か」

「へっちゃらさ」

 気遣う青年騎士に、少年騎士は陽気に答えた。

「これ持って逃げ回るのは容易じゃないけど、俺たちが目立たなきゃならないんだから」

 鮮やかな緑を基調にし、金糸で縁取りがされている。中央にザヘンデン山脈を背に剣を掲げた騎士たちの姿が描かれた、それは〈シリンディン騎士団〉の団旗であった。

「アンエスカってば、こんなのどっから用意したんだ」

 少し笑ってレヴシーは言った。

「護符はともかく、これを持ってカル・ディアまで行ってきた訳じゃなかろうに」

「〈古柳の根っこ〉亭の親父さんが持っていたらしい。彼の曾祖父がシリンディンの騎士で、勇退したときに贈られたんだとか」

 クインダンも笑って答えた。

「へえ、知らなかった」

「神殿にしまわれているものより、小さいだろう?」

「そうかな。言われてみればそうかも」

 団旗など持ったのは初めてであるレヴシーは、自らの頭上にある、縦に六十ラクト強、横に九十ラクト強の旗を見上げるようにした。

「それにしても僧兵の奴ら、思ったより見かけ倒しだな。俺たちがちょっと走っただけで見失うなんて」

「仕方がない。少し待ってやらないと」

 年上の騎士は肩をすくめた。

 〈古柳の根っこ〉から脱出する際、店主の息子が協力が申し出た。彼は一街区だけ王子のふりをしてくれたのだ。頭に布をかぶり、騎士たちに守られて逃げていく姿は、ハルディールとしか見えなかったはずである。

 目にとめた僧兵が大声を出し、すぐさま彼らを追ってきた。店主の息子は少し行くとさっと隠れ、巧い具合に連中を混乱させた。

 最初はルー=フィンも彼らを追ったが、王子の姿が見えなくなったので引き返したようだった。できればルー=フィンをこそ引き付けたかったが、剣を握ったこともない少年にあまり長いこと危険な囮をさせる訳にもいかなかった。一度はレヴシーがハルディールのふりをし、騙された僧兵もいたが、繰り返せば囮だとばれるだろう。

 もしヨアフォードの命令が「王子以外は放っておけ」であれば僧兵たちは彼らを見逃しただろうが、この場合は幸いなことにとでも言うのか、騎士たちは見つけ次第殺せという命令が出ていた。

 若きふたりの騎士は、彼らの目論見通りに、追ってきて訳だ。

「俺さあ、クイン」

 少年騎士は笑ったまま続けた。

「アンエスカがこの役割を振ってくれて、すごく嬉しいんだ。最悪、あのまま死ぬかと思ったのにさ……こんなふうに、騎士として戦って死ねるなんて」

「馬鹿を言うな」

 青年は顔をしかめた。

「彼は俺たちを死地に送り出したつもりじゃない。確かに危険な任務だが、いま、ひとりでも戦力を欠かす訳にはいかないんだ。彼は、俺たちが生きて館にたどり着くことを期待してくれている」

「期待はしてくれてるだろうけど。アンエスカは現実的だろ。クインは夢見がちだ」

「騎士が理想を追わなくなったらおしまいだろう」

 クインダンは後輩の肩を軽く叩いた。

「意外と悲観的だな、お前は」

「そんなんじゃないけどさ」

 レヴシーは顔をしかめた。

「夢なら……俺も見たよ。国を守って戦うなんて格好いいって思った。〈シリンディンの騎士〉には、子供なら誰だって憧れるし、試験に通ったときは有頂天だった。……でも」

 少し息を吐いて、彼は続ける。

「『国を守って戦う』ことなんて、ない方がいいんだな」

「確かにその通りだな」

 クインダンもうなずいた。

「だが、これは私たち騎士団の使命の一部でしかない」

「一部だって?」

そうだアレイス。神と王家に仕えることの、一部だ」

「じゃあ、穢れの日の神殿警護なんかと同じ?」

「それと違って命の危険はあるが、同じだ」

「同意できるような、できないような」

「どっちだ」

 クインダンは苦笑した。レヴシーは唇を曲げる。

「命がけってこともあるけど、普通の任務と重さが違うだろ」

「どの任務も、常に本気で向かうべきだろう?」

「まあ、それはそうなんだけど」

「――確かに、これまでにない危険で、重要な仕事だ」

 そっとクインダンは呟いた。

「だがそこに萎縮するようでは」

「萎縮なんてしないよ」

 レヴシーは手を振った。

「命がけの重要任務にやる気満々、ってところ?」

「それなら、いい」

 クインダンはまた笑って、手を差し出した。

「代わろう」

「いいよ。剣を振るう段になったら、クインの方が上なんだから。俺が旗を置いて剣を抜く間、ひとりふたりやっつけといてくれよ」

「それも重要任務だな」

「いたぞ! あれだ!」

「お、きたきた」

 レヴシーは旗を振った。

「あんまり逃げ回ってても、陽動だと気づかれるよな」

「幸い、追いついてきたのはたったの四人」

 剣の柄に手をかけ、クインダンはにやりと笑った。

「ひとつ、やるか」

「やろうやろう」

 はしゃいだ調子で少年騎士は言うと、団旗をこの状況で可能な限り丁寧に、地面に下ろした。

「レヴシー」

「うん?」

「命を賭けることと、命を捨てることは違うからな」

「了解!」

 ぱっと細剣を抜き、騎士たちは地面を蹴った。

 本気で足を止めて戦えば、四人とも斬り伏せることは可能だろう。だがその間に次が追いついてこないとも限らない。軽く手を合わせるにとどめ、隙があればもちろん斬り込むが、無理はしない。肝要なのは彼らが撹乱を続けることだ。

 クインダンは冷静にそんなことを考えていたが、実際にはなかなか思うようにもいかない。

 まずクインダンは、鋭い突きを放った。逃げ回っていると見えた彼らが攻撃に転じたことは僧兵をまごつかせ、青年騎士は革の籠手を切り裂いてひとり目の腕に傷を作った。

 レヴシーも倣い、相手の腕を狙って武器を落とさせる。ふたりはきれいに揃って踏み込むと、まるで芸事トランティエのように揃ってふたりの僧兵を斬った。

 そのとき、角を曲がって更に四人の僧兵が走ってきた。

 だが若者たちは引かず、そのまま勢いに乗って剣を振るった。

 それは、彼らが若すぎて我を忘れたため――という訳でも、なかった。

 戦闘の高揚感で周りが見えなくなってしまう、ということはある。だが彼らは、新手をきちんと目に入れていたし、慌てることもなかった。

 彼らは此度のことがあるまで実戦を知らずにいたが、王女を守りながらの戦闘は彼らに経験を積ませ、度胸も養っていた。

 もとより、実力はあるのだ。彼らはよほどの不運に襲われない限り、ひとりでふたりか三人の僧兵を相手取ることができた。

 ましてや――。

 びゅん、と飛んできた何かがクインダンの視界をよぎった。

 それは見事に、騎士たちに向かってこようとしていた僧兵の頭に命中した。

「騎士様!」

「みんな、我らが守護騎士に加勢だ!」

「ヨアフォードの手下なんざ、騎士様の手をわずらわせるまでもない!」

 十人かそこらだろうか、シリンドルの町民たちが、手に石やら板切れやらを持って、窓辺や小道から姿を現していた。

「クイン……」

 レヴシーは目をしばたたいた。

「これは」

 クインダンも驚いた顔をする。

「騎士様!〈シリンディンの騎士〉!」

「シリンドル、シリンドル!」

 わああ、と歓声は続いた。僧兵たちは思わぬ投石に怯み、隠れ場所を探すようにしている。

「行ける」

 青年騎士は判断した。

「レヴシー! シリンドルの掃除をはじめるぞ」

 こうなったらこの場で、少しでも僧兵の人数を減らすことがハルディールのためになり、民たちを守ることにもなる。青年はそう判断した。

「言うねえ、クイン!」

 陽気に少年騎士は笑った。

「ようし、やってやるっ」

 いつしか、団旗に気づいた町民が剣を振るう騎士に代わってそれを掲げた。

「――〈シリンディンの騎士〉」

「ここにあり!」

 ふたりは叫ぶと、彼らの戦いを続けた。

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