07 侮辱
滅多なことでは怒りを露わにせぬ神殿長の頬は、そのとき赤く染まった。
ルー=フィンはひざまずき、ただ頭を垂れ、どのような叱責も受けるつもりでいた。
即位はもとより彼の望むことではなかったが、その取り消しはもちろんのこと、シリンドルの追放や、処刑を命じられても甘んじて受けるつもりでいた。
つまらぬ戦士の口先に、二度に渡って乗ってしまったことになる。カル・ディアのときよりも酷い。騎士たちの逃亡を許したなど。
報告を聞いたヨアフォードは怒りに拳すら振るわせながら、黙ってルー=フィンを見据えていた。
長いこと降りた沈黙を破ったのは、黒いローブを着た男だった。
「ヨアフォード殿。起きてしまったことは仕方がない。次の手を」
イズランは言ったが、ヨアフォードはまだ黙っていた。
「ルー=フィン殿。カル・ディアでタイオスを逃してかまわないと判断したのは私です。ヨアティア殿は彼の殺害を主張されましたし、あなたも疑っていた。責められるべきは私だ」
「イズラン術師を責めるつもりはない」
そこで神殿長は口を開いた。
「殺さなかったのはヨアティアの判断違いであり、一度はそうすべきと考えた男を再び雇ったのも我が愚息。信用できぬと思いながらも後ろを見せたルー=フィンもまた、大きな失態をした。これは事実だ」
ヨアフォードはルー=フィンに敬称をつける「ごっこ遊び」をしなかった。
「次の手、か」
神殿長は握り締めていた拳を開き、息を吐いた。
「こうなると、アンエスカの死も怪しいものだ。いや、間違いなく生きているということになろう。ハルディールがカル・ディアにいるとも思えん。何ということだ」
彼はうめいた。
「最も失策をしたのは、私だ。――お前たちを信用した」
「ヨアフォード様」
銀髪の若者はその緑眼を閉じ、床に額がつくほど低く頭を下げていた。
「どのような、処罰でも。どうかご命令下さい。自害でも、縛り首でも」
「ならぬ」
短く、男は答えた。
「イズラン。護符のためにハルディールの居所が知れぬと言うのであれば、ほかの人物だ。アンエスカでも、タイオスでもよい」
「すぐに」
魔術師が手を振ると、何もなかったはずの手に長い木製の杖が現れた。
「ルー=フィン殿。手をお出しください」
その言葉に若者は躊躇いがちに顔を上げた。神殿長はそれを叱責せず、魔術師の言葉に従うよう、身振りで命じた。
イズランは彼のもとに寄り、杖を持たぬ方の手を差し出している。彼はそれを取った。
「カル・ディアでは、ヨアティア殿に同じことをやっていただきました。いまでは私もタイオスの顔を知りますが、侮辱を受けたあなたの方が、彼への遺恨が深い。そうした強い感情を持つ方の力を借りる方が」
探しやすいのです、と魔術師は言った。
「侮辱」
ルー=フィンは頬が熱くなるのを感じた。
感じるのは失態への恥と、それから――確かに恥辱。
『ガキを殺すのは寝覚めが悪い』
タイオスはそう言った。ハルディールを殺したくないと告げたのと同じ言い方で、彼を子供だと。
正面から剣を合わせれば、確実にルー=フィンが勝つ。彼にはその自信があり、それは過剰なものではなかった。
コミンの路地裏で剣を合わせたときは戸惑ったが、あれがタイオスのやり方と知れれば、次には五合とかけずにあの男を殺す自信があった。
向こうも熟練の戦士だ。ルー=フィンの力に気づいているだろうと感じていた。
だと言うのに、子供だと。ハルディールと同じような、力のない子供だと。
ふつふつと、ルー=フィンの内に怒りが湧いてきた。
彼は床に膝をついたままでイズランの手を取り、魔術師が顔をしかめるほど強く握った。
「……いました」
数
「どこだ」
「それが……」
イズランはルー=フィンから手を放し、どう言おうかと迷う様子で神殿長と剣士を見やった。
「町の北東の方に茫洋としたものを感じるのですが、特定ができません。護符を持った者がすぐ近くにいます」
「ハルディール」
ぱしん、とルー=フィンは手を打ち合わせた。
「やはり戻ったか。いいだろう。シリンドルの地で葬ってやる」
呟くように言うと若者は立ち上がり、ヨアフォードに礼をして踵を返す。
「待て」
神殿長は素早く命じた。
「お前に行けと告げてはおらぬ」
「ですが、この失態は、私が私の手で挽回します」
「仔細は判らぬのだぞ」
「しらみつぶしに」
「駄目だ」
ヨアフォードは首を振った。
「いくらお前でも、〈シリンディンの騎士〉が三人揃った場にひとりで踏み込めば無事では済まない。僧兵団長を呼ぶ。精鋭を集め、一団を組織させる」
「その間に逃げられては」
「奴らはどこにも逃げない。わざわざ殺されるために帰ってきたのだ。ちょうどいい。ハルディールはもとより、生きているのであればアンエスカも公式に縛り首にしてやろう。正しくも私を疑った、あの男は目障りだった」
ヨアフォードは瞳をぎらつかせた。
「処刑の前に、鞭打ちにしてやってもいい」
「私怨は判断を誤らせることもあります、神殿長。お気をつけください」
イズランが忠告した。ヨアフォードはじろりと魔術師を見た。
「私怨と言うほどの強いものは持っていない。だが、その助言は心にとめよう、イズラン術師」
「かたじけなきお言葉」
「しばし待て、ルー=フィン。指揮はお前に執らせる。エルレールの身柄を盾に、まずは投降を呼びかけよ。おそらく脅しと見て従わぬだろうが、王子を揺さぶる効果はある」
「投降や縛り首と仰るということは、王子を生け捕りにするのですか」
「……いや」
少し考えて、ヨアフォードは首を振った。
「王子がカル・ディアでびくついているのならば放っておけたが、帰ってきたものを生かしておいては不具合ばかりだ。王子は殺してよい。だが」
彼は続けた。
「アンエスカは殺すな」
「……アンエスカ、ですか?」
銀髪の剣士は少し驚いた。
「考えがある」
神殿長は再び言った。魔術師は少し危惧するような視線を投げかけたが、同じ忠告を繰り返すことはせず、次の提案をした。
「王子の死と時を同じくして、ルー=フィン新王陛下のご即位とご婚礼の発表というのはいかがです。多少は市民の反感を買うでしょうが、何、エルレール殿下が王妃となられるのであれば、歓迎する者も多いはず」
「それは私も考えていた。そろそろお前の間者に、カル・ディアで王子を診ているという医者に接触して買収し、毒を盛らせろとでも命じるつもりでいたのだ」
「当然、お考えでいらっしゃいましたな。余計な差し出口をしました」
イズランは追従するように言ったが、ヨアフォードは眉をひそめた。
「ハルディールが帰ってきているのであれば、お前とお前の間者も騙されたということになるのだぞ」
「その通りですな。ヨアフォード殿の仰る通り。他人任せはよろしくない」
魔術師は自らの失態を詫びることなく、笑った。
「ルー=フィン殿も、自らハルディール王子と、そしてタイオスを屠りたいことでしょう」
イズランは笑みを浮かべたまま、剣士に話を振った。ルー=フィンは応とも否とも答えなかったが、その代わり、左手で剣の柄をきつく握り締めた。
「それでかまわぬ」
ヨアフォードは言った。
「アンエスカは殺すな。王子をはじめ、残りは躊躇なく斬れ。若い騎士どももその年若さ故に、寝返ることなど考えもできなさそうだ。もはや不要とする」
斬れ、とヨアフォードは繰り返した。ルー=フィンは唇をまっすぐに結び、恭順の仕草をした。
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