04 王弟の息子

 へぐしゅあん!――と中年戦士は、破裂音のような派手なくしゃみをした。

 ルー=フィンは顔をしかめ、手布を取り出すと、タイオスの唾が飛んだと思しき箇所を吹いた。

「下品だ」

 ぼそりと銀髪の若い剣士は言い、白髪混じりの黒髪の男はむっとした。

「こういうのは自然と出てくるもんだ、仕方なかろうが」

「せめて人のいない方角に顔を向けるのが良識というものだ」

「小うるさいこと言いやがって」

 礼儀だの良識だの、まるで小型アンエスカだ、とタイオスは思った。

「まあ、いい。それで、どうすんだ」

「それはこちらの台詞だ、ヴォース・タイオス。王女の望みは叶えてもいい。だが、何をして騎士生存の証拠とするんだ」

「そうだよなあ、何がいいもんか」

 タイオスは両腕を組んだ。

 ヨアティアはルー=フィンに直接連絡は取らず、タイオスにとっては面倒なことに、ヨアフォードに書を送って王女の希望を伝えた。神殿長は、息子がきちんと許可を得ようとしたことと、ルー=フィンの能力を認めたようなことに満足したか、ヨアティアの言葉通り、銀髪の若者を監視役とすることにした。

 と言っても新王たる若者を下働きのように動かすことはせず、タイオスがルー=フィンの部屋まで出向かされた。

 だが戦士としては、けっこうなことだと思っていた。

 ヨアティアの手下という身分であっても、王女の部屋付近しかうろつけないのでは目的に適わない。こうして神殿内を歩き回れば、案の定と言うのか、何をしていると咎められた。しかし「神殿長のご指示でルー=フィン殿にお話しにいくところだ」と本当のことを話したから、おそらく次には、放っておかれるだろう。

 意気揚々とタイオスはルー=フィンを訪れ、そして王女が欲する証拠の話をした、というところだ。

「髪だの着ているものだのでは、死体から取ったのではないと言えない。持ち物の類でも駄目だな」

 若い剣士は公正に考えると、そんなことを言った。

「それじゃ」

 中年戦士は指を弾いた。

「手紙、なんてのはどうだ?」

「手紙?」

「そうだ。今日までの現状と、日付でも入れさせればいい」

 タイオスはそんなことを言って、うなずいた。

「それから、王女様と彼らしか知らないようなことを書かせればいいんじゃないか。それで殿下も納得だろう。たぶん」

 紙と筆だ、と彼は言った。

 ルー=フィンは少し考え、その程度ならば問題はないだろうと答えた。これまでと同じように用心を怠らなければ、授受の際に何が起こることもないだろうと。

 若者は使用人を呼ぶと、書くものを一式用意するようにと命じ、彼らは少し待つことになった。

「しかし、本当のところはどうなんだ?」

 タイオスがそっと尋ねると、ルー=フィンは首を傾げた。

「本当のところとは、何がだ」

「少なくとも、殺しておいてその命を盾にする、なんて詐欺は働いてなさそうだな。だが健康面の問題やら、よりによってお前に忠誠を違うなんて約束を本当に連中がしたのかどうか」

「……体調は、好調とは行かぬだろう。それは当然だ。何しろ、捕らえられた際には鞭打ちに遭ったと言う」

「そりゃ気の毒に」

 戦士は顔をしかめた。

 彼自身は幸いにして鞭打ちの経験はないが、常習の盗賊がついに捕まって公開の場で鞭打ちの刑を受けるのを見たことがある。幼い少年少女に鞭打って興奮する変態貴族から彼らを助けたときも、酷い傷に同情を禁じ得なかったものだ。

「傷口は癒えたとしても、半月以上、日の光を浴びることもなく、最低限の食事だけで生かされていれば健康とは言えまい。もっとも」

 神殿長が〈シリンディンの騎士〉の名前を利用し、存続させることを決めてからは、改めて傷口の治療を受けさせ、与えられる食事もまともになっている、などということをルー=フィンは話した。

「それでも、狭い牢のなかで腕を縛られ、足枷までつけられていれば、ろくに運動もできない。力はだいぶ弱っただろう」

 若者は淡々と、事実と思しきことを話した。そこには優越も同情もなかった。

 ルー=フィン青年にとって〈シリンディンの騎士〉は名誉ある国の守り手だが、クインダンとレヴシーという個人については、何も特別な感情を持っていないのだ。

 彼の立場としては「狂王ラウディールの手先」と認識してもおかしくないくらいだが、年齢的に若い騎士らがラウディールの暗い企みに参加したはずもなければ、知っていることすらないはず。となれば、彼が地下牢の虜囚に何らかの思い入れをする必要はなかった。

「そいつあ、まじで気の毒ってもんだなあ。俺ぁ、幽閉なんぞで自分の衰えを覚えたかないね。年齢的なもんは……仕方ないところもあるが」

 一方で中年戦士は同情を口にし、訊かれていないことまでつけ加えて肩をすくめた。

「忠誠の方については、判らない。私は聞いていない」

「へえ、そうかい」

 あまり興味がない風情を装って、タイオスはまたくしゃみをした。

(――つまり、少なくとも、新王陛下予定の前で何らかの誓いをした訳じゃない。「誓うという約束」程度なら、やったとしても、挽回のしようがあるだろう)

 〈シリンディンの騎士〉がどれだけ名誉を重んじるとしても、誓うと約束したから死んでも誓う、などとは言わないだろう、と彼は考えた。彼らとて、逃れることを望んでいるはずだ。

「それで、即位だの婚礼だのは決まったのか」

 話のほんのついで、という調子を保って、タイオスは尋ねた。ルー=フィンは黙った。

「……何だよ。決まったとか決まってないとか、どっちにしろ返事はできるだろうが」

「私は」

 若者は呟いた。タイオスは続きを待ったが、言葉は発されなかった。

(何だ何だ)

(こいつは、ヨアティアみたいな見栄っ張りとは違う。それは、カル・ディアでのやり取りでも何となく判ってたが)

(……王様になれそうで嬉しい、なんて気分は、ない訳か)

 この男はまるで騎士だ。タイオスはそう感じていた。

 〈峠〉の神を崇め、礼節を重んじ、あるじに忠実。

 ルー=フィンがヨアフォードに拾われた経緯などは彼の知るところではなかったが、もしも神殿長側ではなく王家側についていれば、この男は〈シリンディンの騎士〉の一員だったのではないかと。

(そうだったら、俺もハルも楽だったろうなあ)

 彼はそんなことを考えたが、考えても意味のないことだった。タイオスはそっと首を振り、有り得なかった運命の行き違いに思いを馳せることはやめた。

「時に、ルー=フィンよ。ひとつ気になってることがあるんだが、いいか」

「何だ」

「お前、本当に王弟の息子なのか」

 彼がそれを知っているのは、ヨアティアが洩らしたからだ。「どうして新王候補がヨアティアじゃなくてルー=フィンなんだ」と言ってやれば、悔しそうに神殿長の息子はその血筋を話した。

「何だと」

 若者は戦士を睨んだ。タイオスに知られていることは驚かなかった。ヨアティアが話したのだろう、と正しい推測をしたからだ。

「騙りだとでも、言いたいのか」

 彼が引っかかったのはそれだった。

「知らん知らん。ただの興味だ。もっとも」

 戦士は肩をすくめた。

「本当は違うんだ、なんて言うはずはないか」

「私は……私の父と母はラウディールに殺された」

 きゅっと拳を握り締めて、ルー=フィンは告白した。

「……何だって?」

 タイオスは目をしばたたいた。

「復讐を――と思う。強く」

 銀髪の若者は呟いた。

「この怒りは、正当なものだ。ハルディールの王位を脅かすかもしれないというだけで両親を殺し、私を殺そうとした男が死に、その息子が王位を継ぐことなどなければ、シリンドルは浄化され……母アズーシャも浮かばれる」

「あー……」

 彼は言葉を失った。

(こりゃ、意外な話を聞くもんだ)

(ハルの父ちゃんと言うからには清廉潔白なのを想像してたんだが……)

(いやいや、本当とは限らんか)

 少なくともルー=フィンはそれを信じている。だが、ヨアフォードがそう思い込ませているということも十二分に有り得る。タイオスはすぐ、そのことに気づいた。

(……真偽は判らんがな)

 ルー=フィンが王弟の愛人の息子であることは確かだとしても、父親が本当に王弟であるのかは判らない。

 ましてや、その死にどんな裏ごとが関わるのかなど、ヴォース・タイオスには知りようがなかった。

「あー、証拠は、あるのか?」

「ない」

 若者は即答した。

「証拠を残すほど、ラウディールも馬鹿ではなかった」

「成程ね」

 しかしルー=フィンは信じている。

「じゃ……神殿長が、そう言ったのか?」

 慎重に、彼は尋ねた。

「お前の考えていることは判るぞ、タイオス」

 緑色の目を光らせて、若者は戦士を見た。

「ヨアフォード様が嘘をついているとでも言いたいのだろう。だが生憎だな。彼が私を擁立したかったのなら、ただ、そうすればよかったのだ。ヨアフォード神殿長に、王弟ケイダールの殺害を企む理由はない。過去には王甥があとを継いだ例もある」

 ましてや、と彼は続けた。

「私自身も殺されるところだった」

「あー、うん。そうか」

 タイオスはあまり意味のない相槌を打った。

(王弟の殺害自体は、ラウディール王が殺人者だ、との話をでっち上げるためという可能性もあるが、確かにルー=フィンを狙う理由はない)

(ルー=フィンのことはから殺すつもりじゃなく、こいつに復讐という動機を植え込むために一芝居を打った……なんてのは少し穿ちすぎか?)

(……判らんな)

 彼が答えを出すには、判断材料が少なすぎた。タイオスは、話を心にとどめておくことにし、判定はしないことにした。

 それから彼らはそれぞれの考えに沈むように黙り、沈黙が部屋を支配した。

 少しするとタイオスは、静寂に居心地が悪くなってきたが、彼がそれに耐えきれなくなる前に使用人が戻ってきた。

「お持ちいたしました」

「どれ」

 声を出してよい許可をもらったかのようで、中年戦士は安堵すると、さっさとそれに手を出した。

「ああ、いいんじゃないか、こんなもんで」

 僧兵が指示に見合うものを持ってきたのにうなずいて、タイオスは満足そうに、墨と筆と紙を受け取った。

「さて」

 と、彼は空いている手を手首の辺りに打ち合わせて音を出した。

「さっさと案内してくれ。早く済ませられる仕事は早く済ませたいもんだからな」

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