05 ちょっと縁ができてな

 囚われの騎士たちの現状は、ルー=フィンが口にした通りのものだった。

 生きてはいるが、弱っている。

 だが厳しい試験と訓練を乗り越え、名誉も誇りもその内に秘めたる男たちは、決して弱音を吐かなかった。

 新王に忠誠を誓えなどという話は、とても了承できなかった。彼らが応じようと拒否しようと、どうせ神殿長は自分に都合のいい話を王女にするのだから、ここで屈する必要はないとも考えた。

 捕らわれたばかりのときと違って、行き先にあるのは処刑による死のみではない。

 王子の帰還により、神殿長が正式なる処罰を受け、彼らも解放されてハルディールに改めて忠誠を誓うというのが理想的ではあったが、その前にルー=フィンへの忠誠か死かを選べと言われても、選べる自由はある訳だ。

 誇りと規範には反するが、忠誠を誓うふりをして牢を出、戦って死ぬ、という選択肢もある。

 もっとも、それではシリンドルも――王女も守れない。

 当然のことながら、戦って勝つという方向に行きたかった。

(エルレール様)

 クインダンは王女を思って唇を噛みしめた。

(ルー=フィンとの婚礼を迫られ……どれだけ怒りに燃えながら、同時に不安に思っていらっしゃることか)

 ヨアティアの不埒な振る舞いについては、さすがに牢まで噂は届かなかった。ただ、エルレールの相手がルー=フィンになったという話だけは聞かされていた。

 もしもヨアティアの愚行をクインダンが知れば、彼はついに我を忘れて、狂人のように鉄格子を手で破ろうとでもしたかもしれない。

 彼がエルレールに、王女への忠誠心以上の感情を抱きだしたのは、もう何年も前になる。

 それは許されぬ恋だった。

 彼女が王女であることはもちろんだが、彼が〈シリンディンの騎士〉である以上は、たとえエルレールが市井の娘であったとしても。

 規範では何も、〈シリンディンの騎士〉は恋愛をするべからずだの、結婚をするべからずだのとは定めていない。だが、何を置いても王家を守るのが彼らだ。ニーヴィスが騎士を退いたのは、恋愛や結婚が規範に反するからではなく、王家への忠誠と妻への愛情とのどちらをも採れぬからであった。

 団長が厳しく、言ったのだ。

 もしも妻を切り捨てねば王家一族を守れぬという段になったとき、それを躊躇う男は騎士団には要らぬ、と。

 ニーヴィスは苦渋の決断をして、騎士団を離れた。

 彼が騎士であり続ければ、老ウォードも死ななかったかもしれない。だがそれでも団長は、自らの言葉を悔やまないだろう。ニーヴィスは成した決断を悔やんでいたが、〈予知者だけが先に悔やめる〉ものだ。

 そう、未来が訪れぬ内に、悔やむことはできない。

『クインダン――クインダン』

 まだ平和を疑いもしなかった日々。ハルディール王子に剣技の指南をしていたクインダンに、エルレールはよく声をかけてきた。

「どうかしら、ハルディールは」

「よい太刀筋をお持ちです。われわれ同様の訓練をなされれば、私はいまに、殿下に打ち負かされるでしょう」

「本心から思うのかしら?」

 王子への世辞ではないのか、とエルレールは笑ったものだ。

「もちろん、本心です」

 彼は明るい茶色の瞳を王女の蒼い瞳に合わせて答えた。

「〈シリンディンの騎士〉は心にもないおべっかなどを使いません」

「そうね。当然のことだったわね。すまないことを言ったわ、クインダン」

「いえ、そのような」

 クインダンは慌てて、エルレールの謝罪の仕草を取り消そうとした。その拍子に手が触れて、まるで、初恋をしている少年のようにどぎまぎしたことをよく覚えている。

 この心を露わにすることはない。そのつもりでいた。

 だが死が不可避となれば、想いを告げなかったことを悔やむだろうか。それはいまのクインダンには判らない。ただ、騎士と王女である限り、彼はこの恋を隠さなければならなかった。

 それはエルレールの方でも、同様だった。彼らは互いに想い合いながら、どちらもそれを表には出せなかった。

 がちゃん、と階上の扉が開く。食事の時刻ではない、とクインダンはレヴシーと目を見交わした。

「今度は、何だ」

「また、鞭打ちとか」

 口の端を上げて、レヴシーが言った。

「願い下げだ」

「そうじゃなきゃ懲りもせず、忠誠を誓えとくるのかな」

 数名の牢番が何度も何度も同じことを言ってくるのに飽き飽きとしていた彼らは、誰がやってくるのかを見るためにいちいち廊下を注視したりはしなかった。

「こりゃまた、しけたツラしてんなあ、騎士さんたちよ」

 聞いたこともない声が、彼らの顔を上げさせた。

「噂の〈シリンディンの騎士〉だろ?『このような監禁などで誇りを失いはしない!』とでもやってくれるのかと思ったのに」

「誰だ」

 クインダンはもっともな問いをタイオスに向けて発した。

「〈シリンディンの騎士〉が誇りを失いなどせぬこと、言うまでもない」

「成程ね」

 うんうんとタイオスはうなずいた。

「それなら、想像してた感じとぴったりだな」

「お前は、誰なんだ」

 再度、クインダンは尋ねた。

「お前たちの王女の護衛についている戦士だ」

 答えたのはルー=フィンだった。クインダンは銀髪の男を睨む。

「われわれの、ではない。シリンドルの王女殿下だ」

 青年は、彼の愛しい少女を娶るとされている新王僭称者に、鋭い声を投げた。

「シリンドルの民ならば、王女殿下に敬意を払え」

「ないがしろにするつもりはない」

 ルー=フィンはそうとだけ答えた。

「護衛だと?」

 今度はクインダンは、タイオスをじろじろと見た。

「僧兵ではないようだが」

「俺ぁ、まあ、通りすがりみたいなもんだ。ちょっと縁ができてな」

 タイオスは全く説明にならないことを口にした。

「ヨアティアが雇っている」

 ルー=フィンが補足した。クインダンは眉をひそめ、タイオスは乾いた笑いを浮かべる。

 どうしたら銀髪の見張りの前で、この若く、ハルディールと同じようにまっすぐな目をした騎士に、自分は味方だと伝えられるものか。中年戦士は悩んでいたが、それをルー=フィンに気づかせまいとしてにやにや笑いに変えた。

「ともあれ、ヨアティアはなあ、王女様を襲った責任を取らにゃならんというので」

「襲っただと。どういうことだ!」

 クインダンは縛られた手で、格子を強く掴んだ。

「殿下に、何が!」

「何もなかった。ヨアティアはヨアフォード様から謹慎命令を受けている。タイオス、余計なことを言うな」

「はいはい」

「まさか……」

 男が女を襲う、という言い方は、まずひとつのことしか意味しない。殴る蹴るの暴力という場合もあるが、そういうときはたいてい、殴ったの蹴ったのと言うものだ。

「――ヨアティア・シリンドレン。ここから出たら、我が剣の錆びにしてくれる」

 唇を結んで、青年騎士はそう誓った。

「そういうことは、出てから言った方がいいなあ」

 忠告するようにタイオスは首を振った。

「俺がヨアティアに警告したらどうすんだ?」

 もちろん彼にはそんなつもりはなく、ルー=フィンにもないが、僧兵が聞いていれば判らない。ヨアティアにではなく神殿長の方に警告すれば、クインダン・ヘズオートに叛意有りとして――あるに決まっているが――新王に忠誠を誓うふりなど、やる段になっても疑われることだろう。

 と、タイオスとしてはそういう忠告のつもりであるが、彼の立場を知らないクインダンは、それを脅しと取って中年戦士を睨んだ。

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