11 元騎士

「はなし……放しなさい!」

 怒りと恐怖で声が上ずる。ヨアティアはもちろん、聞き入れなかった。続く寝室に少女を担ぎ込むと、やわらかい布団の上に彼女を投げ出した。間髪を入れず、これまで王女以外が上がったことのない寝台に乗ると、エルレールを組み伏せた。

「観念するんだな。どうせ、いずれは誰かに奪われる。それが少し早いだけだ」

 男は興奮に息を弾ませながら、片手で少女の両手を押さえ、もう片方の手で乱暴に上質な衣服を破った。留め具が嫌な音を立てて飛んでいく。

 異性にいまださらされたことのなかった若く白い乳房が、露わになった。

 それに目を奪われたヨアティアは、力弱いエルレールの手首を押さえることをやめ、両手でそれをわしづかみにする。痛みと恥辱が、彼女の内を駆け抜けた。

「いい感触だ。まだ小さいが、まだ育つだろうな。ルー=フィンが育てるか? いや、俺も手伝ってやろう。俺を忘れられぬようにしてやる」

 左手が乳房を掴んだまま、右手が下衣のなかに伸びた。エルレールは全身の力を込めて両脚を閉じたが、男の手はそれを割って入ってくる。

「いや……やめて」

 恐怖。

「やめて。たす……助けて」

 悲鳴など、上げたくなかった。下卑た男の色欲と支配欲、年下の新王への妬みに染まった暴力に、怖れをなすなど。

 だが、ルー=フィンにこそ敗れても、ヨアティアは男だ。それも、暴力を振るい慣れている。

 女同士の喧嘩すらしたことのない少女、それも、普段よりも心身ともに弱っているエルレールが抵抗しきれるはずがなかった。

「助けて、誰か」

 自尊心も限界だ。王女はただの少女のように叫ぶ。

「助けて……助けて。――クインダン、クインダン、クインダン!」

 我知らず、彼女の口からは愛しい騎士の名が洩れていた。ヨアティアは笑う。

「生憎なことだな、お前の騎士たちはみな捕らわれたか、死んだ。クインダン・ヘズオートも死ぬか、ルー=フィンに忠誠を誓うかしかない。どちらにせよ、シリンディンの騎士がお前の操を守ることなど不可能」

 完全に勝ち誇ったヨアティアの手は少女の乳房を捻り、片手は力ずくの侵入を続けた。痛みと絶望に、エルレールの青い瞳から、これまでずっとこらえてきた涙がこぼれ落ちそうになった。

 ガ、シャン、と――重いものが何かに当たって割れる音がした。

 同時に、強く突き飛ばされたような衝撃と、それから男の身体の重みが彼女を訪れた。次の瞬間、重みは消える。

「何て野郎だ。まさかこんな真似をするとはな」

「え……?」

 王女は、無意識の内に閉ざしていた瞳を開けた。

「遅くなりました、王女殿下。クインダンでなくて申し訳ありませんが」

「お前は」

 エルレールははだけた胸を隠しながら、目をしばたたいた。

「ニーヴィス……?」

「ご記憶いただけていたとは、光栄の至り。このニーヴィス・ハント、国よりも自分の女を選んだ引退騎士ですが、このシリンドルの危機に、いつまでものうのうとしていられず」

 三十代半ばほどの元騎士は、意識を失った不埒な男を寝台から放り出し、手に残っていた大きな陶製の花瓶の取っ手を床に捨てると、寝台の上の掛け布を取って王女に差し出した。

「お怪我は」

「だ、大丈夫よ。何も……服を破られた、だけ」

 震える声で、だが少女は気丈に言った。まさぐられた怖ろしい感触は残っていたが、助かったのだ。

「お前、いったい、どうやって」

「この館には、王陛下と一部の騎士だけが知る秘密の通路があるんです。ヨアフォードに見つかっていることも考えましたが、ものは試しと侵入を試み、こうして運よく間に合いました」

 ニーヴィスは突然現れた理由を簡単に説明した。

「クインダンだったら、躊躇なくこいつを斬り殺したでしょうな。彼はあの年齢にしては優秀で冷静だが、殿下の危機となれば目の前が見えなくなる」

 言いながら男は、昏倒した暴力男を見下ろした。

「下卑た男を刑に処するとしても、王女殿下のお部屋でやるべきではない」

「ど、どうすれば、いいかしら」

 少女は受け取った掛け布を身にまとい、動揺をおさえながら尋ねた。元騎士はそっと手を貸し、寝台から彼女を下ろす。

「助けはとても嬉しいけれど、ここから逃げてもすぐに捕まるわ」

 恐怖を取り去ろうと頭を振って、エルレールは続けた。

「いいえ、逃げれば……レヴシーとクインダンが何をされるか」

「騎士はシリンドルのために生きている。殿下のお気持ちは嬉しく思いますが、殿下が彼らを気遣って身動きが取れなくなるようでは〈釣り人の釣り餌探し〉です」

 釣り人が釣り餌を探すことで一日を過ごしてしまうように、本来の目的を忘れた行為だとニーヴィスは告げた。

「理屈は判るわ。でも、彼らを見捨てるなんてできない」

 彼女は力なく首を振る。

「ハルディールはおそらく、緊急時に情を選ぶことのないよう、教育を受けている。それでもあの子も、迷うはずだわ」

「そうかもしれません」

 ニーヴィスは同意した。

「そうした王子殿下、王陛下であればこそ、望んで仕えたく思います。ですが同時に、失礼ながら『我らの努力を無駄にしないでいただきたい』とも」

 男は肩をすくめた。

「では、こうしましょう」

 ニーヴィスはぱちんと手を叩いた。

は」

 と、彼は倒れた男を指す。

「王女殿下がやったことに」

「私が?」

 エルレールは目を見開いた。

「ええ。こいつは私が飛び込んできたことなんか気づいていません。殿下が、ほら、その棚に置いてあった花瓶を夢中で掴んで、思い切り殴りつけてやったと」

「私が」

 もう一度言って、少女は面白そうな顔をした。心に少し、余裕が出た。

「それは悪くなさそうよ、ニーヴィス。ヨアフォードは、私を新王の妻にと考えている。私を襲おうとしたことが知れれば、彼は息子を罰するでしょう」

「動物並みの男は父親の怒りを買い、巧くすれば信頼も失い」

 もともとあったものかは判りませんが、と男は間に挟んで続けた。

「二度とエルレール様に近づけぬかと。万一、父親がどうしようもない愚息をかばうようであれば、次には、斬ります」

 ぱしん、と彼は腰に差した剣の柄を叩いた。

「いまのは無論、次に殿下が襲われるときと言うのではなく、そうなるより前、次に私がこれと相向かったときです、念のために申し上げておきますが」

「護衛を要求しようと思うわ。僧兵ではヨアティアの言いなりになってしまうことも考えられるから、誰か違う人物をと」

「たとえば、ルー=フィンでも?」

 元騎士は言い、王女は顔をしかめた。

「ニーヴィス。それでは、同じではないの」

「失敬。確かにその通りです。夫になる男の権利だ、などと思い込まれればヨアティアよりも厄介」

「誰か、いないかしら。われわれも、ヨアフォードも信頼できる人物なんて――」

 自分たちの味方であり、敵の味方でもある人物。

 何と言う矛盾レドウを口にしているのか。エルレールはこんな状況にも関わらず、少し笑ってしまった。

「いるはずがないわね」

「さて、どうですかな」

 三つ目の――声がした。

 エルレールははっとなって声の方を見る。

「ニーヴィス。背後の警戒を怠るな」

 厳しい声に、中堅の元騎士は肩をすくめた。

「怠っちゃいませんよ。あなたが後ろにいると判ってるから、任せてるんじゃないですか」

 にやりと笑って、ニーヴィスは相手を見た。

「ただいま戻りました、と言いたいですが、むしろ俺の方があなたに、改めて『お帰りなさい』と言った方がいいんですかね」

 男は続け、王女は目を見開いた。

「よくぞご無事で。――アンエスカ」

 ニーヴィスは敬礼を決め、アンエスカはただうなずいた。

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