03 幽閉

 かちゃり、と扉の開く音に、少女は振り返りもしなかった。

「これはこれは」

 訪問者は気にせずに、声をかけた。

「麗しき王女殿下におかれましては、まだ、意地を張って食事を摂らないことをお続けに?」

 エルレールは壁を向いたまま、何も言わなかった。

「頑固なことだ。そのようなところばかり、ラウディールに似ている。他者の忠言など受け入れる気のなかった、傲岸不遜なる男に」

 ヨアフォード・シリンドレンは、わざとらしいまでに、死んだ王を貶めんとする口調で言った。

「――お父様は」

 年若い娘もこれには黙っていられず、男の方を見ないままではあったが、言葉を発した。

 逃亡生活転じて、捕虜生活。

 ヨアフォードは捕らえた王女を王女らしく処遇し、手荒に扱うこともなければ、彼の神殿に押し込めることもせず、彼女の父親の館に返した。

 もっとも、当然のことと言おうか、男は部屋に厳重な見張りを置き、錠前をつけ、間違っても自由に外に出したりはしなかった。

 少女はよく馴染んでいる自室で、幽閉をされていた。

 食事は与えられたが、一口も食べなかった。皿を手に取ることさえ。

 そうして数日に渡る時間を送った王女の声はかすれていたが、聞き取れぬほどではなかった。

「不作に民があえいでいるときにまで、豊作でどうしようもなかった年と同じ供物を捧げる必要はない、とお思いになっただけだわ」

「そう、不作」

 ヨアフォードは繰り返した。

「冷夏。厳冬。酷い雪崩や、大雨による崖崩れも。それらは全て、〈峠〉の神がお怒りになったためだ。ラウディールが、吝嗇にも自身の財を削らぬようにしたため」

「お父様の財ではないわ。民のものよ」

「口清いことを」

 神殿長は笑い、王女はついに、振り向いた。

「――神殿に捧げた宝はどこに行くの? 神殿長」

「無論、神の御許に」

 薄い笑みを顔に張りつけて、神殿長は答えた。

「それが『口清いこと』と言うのではないかしら」

 体力が低下しているために顔色は青かったが、あくまでも凛として、エルレールは指摘した。

「信仰は、金額で換算されるものではないわ。〈峠〉の神は、供物が足りないとシリンドルの民を苦しめたりしない」

 きっぱりとした言葉に、ヨアフォードはくっと笑った。

「いまだ巫女でもない貴女が、神の代弁を?」

「ええ。いまだに、巫女ではない。いつまでも神殿長が難癖をつけてきたせいね」

「他者のせいにするとは、やはりラウディールに似て傲岸な娘よ。一言、どうか力添えを――とでも言ってきたならば、何とでもしてやったものを」

「それが『傲岸』ね」

 王女はまた言った。

「〈峠〉の神は、民を罰しない。お前のような男が神殿長をやっていられるのは、それでもお前がシリンドルの民だからよ」

「お判りいただけているようで、何よりだ」

 ヨアフォードは嫌みたらしく、宮廷式の礼をした。

その通りアレイス。私は常に、シリンドルのために行動をしている」

「シリンドルが富み、栄えるように? そうして得られた富は、誰が手にするの?」

 再度エルレールは尋ね、やはりヨアフォードは笑った。

「国を貧しいままに保つのがよい王家だとでも言うつもりか」

「貧しいと言うの? 何と比較して?」

 エルレールはきつく男を睨んだ。

「大国アル・フェイルやカル・ディアルと比較して、貧しいとでも言いたいの? それならば確かに、そういうことになるでしょう。でもシリンドルはシリンドル。アル・フェイルじゃないわ。比較に、何の意味があるの」

「領土が違う。『大国のように』栄えることは不可能。それでも、我が国はこのままで富むことができる。それを見送り続けているのが、愚行だというだけ」

「やはり、峠の通行権を売るつもりなのね」

 王女は汚らわしいものを払う仕草をした。

 どこからの旅人も、シリンドルは同等に扱った。北からのものはもちろん、南からのものも。

 近場の商人は峠の存在を知っており、数月に一度ほど、山脈の向こうへ商売に行った。南に隣接している町はなく、峠の存在は知る人ぞ知るというところだが、年に数度は訪問者がある。知らずにたまたまやってきた好奇心旺盛な旅人などは峠の上にある神殿に驚くが、北の町の存在を知って納得する。

 ラスカルトの領主ヴァイアラスも〈峠〉のことを知っていたが、大軍が攻め込めるような広い道でもないために気にもとめていない。彼がマールギアヌ地方と貿易をしたければカル・ディアルと行えばいいのであって、強いてアル・フェイルと折衝する利点は、ヴァイアラスにはないのだ。

 つまり、それほど数は多くないが、やってくるのは北から南へ行き、帰ってくる人々ということになった。

 稀ながら要人には接待をすることもあったが、それは礼儀の範囲内だ。少なくとも、普通の旅人に〈峠〉の通行許可を出さず、「お偉方」には出す、というようなことはなかった。穢れの日と言われる時期であれば、たとえ大国の王がやってきたとしても許可は出さず、そうでなければ金持ちも貧乏人も同じように、好きに通す。

 その対応はこれまで、何の問題も起こさなかった。

 だがヨアフォードは、金を取って通行を許可しようと考えている。場合によって、大国に都合よくすることも視野に入れて。

「アル・フェイルに媚びを売る。お前の言うのはそういうことだわ、神殿長」

「媚びが金になるのなら、それは立派な手段だ」

 だが、と神殿長は続けた。

「小娘の気高き理想論につき合うために、ここにきたのではない。もう一度、告げるためにきた」

 ヨアフォードは黒茶の瞳をエルレールの青いそれに合わせた。

「お前を巫女として認めてやってもいい。ヨアティアとの婚姻書に署名をするならな」

「するものですか」

 エルレールは即答した。

「何度言われようと、答えは同じよ。お父様とお母様の仇の息子、弟の命を狙う男を夫にするなんて、決して有り得ない」

「考える時間をやったつもりだったが、無駄だったか」

「そうね、無駄だわ」

「ならば、気の毒に」

 ヨアフォードは首を振った。

「どちらを先にする?」

「――何ですって?」

「お前の、騎士たちだ。クインダン・ヘズオートか、レヴシー・トリッケンか、どちらを先に絞首台に送りたい」

「この……卑怯者!」

 かっとなってエルレールは叫んだ。

「彼らの命を盾にするなんて!」

「〈シリンディンの騎士〉は命を張って王女を守る。私は、そのまま斬り捨てられる運命だった彼らに、任務を与えてやった訳だ」

 面白がる口調でヨアフォードは言った。

「生け捕りを命じたために、こちらにも多くの死者が出た。だが、その咎は問うまい。こうして、王女殿下が再び日の目を見られるために、協力してくれるのだから」

「……卑怯者」

 絞り出すようにエルレールは言った。

「――彼らは! 私に対する人質となるくらいだったら、死を選ぶわ!」

 青い瞳を爛々と燃やして、エルレールは叫んだ。

「そうであろうな。気高き愚者どもだ」

 ヨアフォードはうなずいた。

「彼らは、そうだろう。だがエルレール王女よ、お前は?」

 唇の両端が、上げられた。

「お前は、お前自身の誇りを守りたいがために、騎士たちが死んでいくのを見ていられるか」

 勝利を確信している神殿長に、王女は何か言おうとした。

 だが彼女は、どんな言葉を発することもできなかった。

 クインダン。レヴシー。彼女を守り、支えてくれた騎士たち。彼らがいなければエルレールはとうに捕まっていたし、ハルディールだって逃げられなかったかもしれない。

 優しくて穏やかな年上の騎士は、言うだろう。どうか、我らの安全などは考えませぬよう、と。たとえこの場を逃れたとて、ラウディール王に忠誠を誓った騎士をヨアフォードが生かしておくはずはないのだからと。

 そう、ヨアフォードは必ず、〈シリンディンの騎士〉たちを殺す。

 いまは、エルレールを脅す目的で生かしているだけ。

「もう一日、時間をやろう」

 親切ごかして、男は言った。

「明日には返事をもらう。署名をするか、それとも、ヘズオートとトリッケンのどちらから死なせるか」

 少女の両親の仇は踵を返した。

「ああ、まずは、食事をするのだな。明日にも手つかずのままのようであれば、トリッケンを鞭打ちに処す」

 後ろを向いたままでヨアフォードは告げ、あとはもう王女を見ることなく、部屋を出ると扉を閉ざした。

 ガシャン、と冷徹な錠の音が、王女の心に深く刺を突き刺した。

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