02 伸るか、反るか
「いい加減にそこをどけ。この、うるさい春女め」
「ちょっと、乱暴はよして」
笑っていたリーラリーも、タイオスが急に彼女を力強く押したことに顔をしかめた。
「せっかく声をかけてやったのに、所詮、酔っ払いって訳ね。嫌な男!」
べえっと舌を突き出して、春女はぷいと踵を返した。
面白い人から降格だなと思ったが、タイオスは、もうリーラリーのことを見ていなかった。いなくなってくれれば、それでいい。
彼は、戸口にたたずみ、じっと彼を見ている相手を睨み返していた。
「――ヨアティア。ルー=フィン」
上質のマントを身につけた男と、まるでその騎士のように半歩下がった位置で、瞬きもせずにタイオスを眺めている若者は、間違いなくそのふたりだった。
タイオスは腰の剣を意識する。
(抜くか)
先に剣を抜く。それも、人目のある酒場で。
これは間違いなく、捕縛対象となる行為だ。
馴染みのあるコミンの町憲兵だって、路地裏の喧嘩で彼を捕らえかねなかった。あのときは適当にごまかしてしまったが、知った町憲兵などいないカル・ディアではどんな言い逃れもできない。
素面であれば判断力のあるはずだとされ、逆に悪質だと取られることがあった。だが、酔っていれば許される訳でも無論ない。
罰金、または拘留時間は上積みで、街によっては鞭打ちも有り得る。万一大きな負傷者や死人が出たなら、強制労働所送りやら、果ては処刑ということだって。
タイオスはそうしたことをよく判っている。彼は武器を振り回すだけの暴れん坊ではなく、良識ある戦士なのだ。
だが、先手を取らねば負ける――死ぬとなれば?
投獄や鞭打ちを怖れてじっとしている手など、ない。
何気ない様子を装って、タイオスは剣の柄に右手をかけた。
ルー=フィンが不穏な動きを見せれば、たとえこの場所が町憲兵隊の詰め所であろうと先に打ちかかる。中年戦士はそう決めた。
だが、それは
ヨアティアは、武器を持たぬことを示すように胸の辺りに両手を上げ、ゆっくりとタイオスに向かって歩いてきた。ルー=フィンは手こそ上げないが、自身の両肘をつかむようにすることで、容易に剣には触れぬと示していた。
しかしタイオスは、剣から手を離さぬままでいた。
すぐに立ち上がれるように椅子には浅く腰かけ直し、場合によっては卓を蹴り飛ばして彼らの不意をつけるよう、そっと距離を保った。
「ヴォース・タイオス」
少し高めの声で、ヨアティア・シリンドレンは戦士を呼んだ。タイオスは返事をしなかった。
「ハルディールはどこだ」
これにも、タイオスは黙っていた。
「――幾ら積まれた」
しかしここには、彼はつい反応してしまった。
「馬鹿らしい。俺が、金で動くとでも?」
もちろん、動く。報酬のために仕事を受けるのは当たり前のことだ。
ただしそれは、名もなき護衛戦士の話。
〈シリンディンの白鷲〉は、報酬に目が眩んで王子を守るのではないだろう。
(ん?)
(俺は何を考えてる?)
自分は、〈白鷲〉のふりを続けようと言うのだろうか。何の益もないどころか、危険を招くだけなのに。
「もちろん、動くだろう」
ヨアティアは、まるでタイオスの思考を読んだかのように言った。
「お前は、伝説の〈白鷲〉などではない。金で雇われた護衛にすぎないのだから」
ばれた――とぎくりとしたのは、何故だったのか。タイオスは自分でも判らなかった。
(ここは、安堵すべきだろうが)
(どうしてか、災いの源たる誤解がなくなったようなんだから)
タイオスは肩をすくめた。
「最初の最初から、俺はそんなもんじゃないと主張してたはずだがね」
剣の柄からそっと手を放し、彼は認めた。
「俺は〈白鷲〉なんかじゃない。ご立派な騎士でもない。お前が勝手に勘違いをして人の話を聞かないから、仕方なく逃げたが」
〈白鷲〉じゃないと戦士は繰り返した。彼より十は年下の男は、得たりとうなずく。
「そうであろうな。お前の身元を洗った」
特にタイオスの許可など求めることなく、ヨアティアは向かいの席に座った。ルー=フィンはその斜め後ろに立ったままだ。
「ヴォース・タイオス。クワールの村に生まれ、成人前に親を亡くしたことをきっかけとして故郷を離れる。当時、警備隊で高名であった戦士ラカドニーに弟子入りして戦士の道を志し」
「……おい」
「以来二十年間、一戦士として暮らしを立てている。チャートの丘より南を訪れたことはない。現在はコミンに居を定め、〈霧桜屋〉の貸部屋を根城に、〈鵯の木〉や〈紅鈴館〉を贔屓としながら、生活をしている」
ヨアティアはタイオスを正面から見据えて、そこで言葉をとめた。
タイオスはぞっとした。合っているのだ。
「俺ぁ、〈痩せ猫〉に故郷の話なんざした覚えはないぞ。師匠のことも」
コミンでの行き着けならば、あの情報屋は彼がわざわざ語らなくとも知っている。だが、それ以外はプルーグの知るところではない。
「調べれば何でも判る」
ぴくりと得意気に鼻を動かして、ヨアティアは笑った。
「お前は我がシリンドルへやってきたことなど、ないな。ハルディールやアンエスカとの接点も見当たらない。王子が落とした護符を偶然、拾いでもしたか」
「……似たようなもんだ」
ハルディール少年が彼の腰帯にくくりつけたのだが、はなからタイオスのものではないという意味で、戦士は男の言葉を認めた。
「出身やねぐらを調べ上げられたってのは気味が悪いが、誤解がなくなったのならけっこうだ」
それで、と戦士は慎重に続けた。
「わざわざ、間違えてすみませんでした、と言いにきてくれた訳か?」
まさかそのようなことのあるはずもなく、ヨアティアは口の片端を上げた。
「お前は、我らを
最初からそれが目的だったのではないとは言え、結果的にはそういうことになる。もっとも、タイオスが黙ったのは「応であり否である」という答えにくい答えを抱えていたせいではない。
「ハルディールから報酬は受け取ったか? いいや、まさかな。奴らは吝嗇だ。王家の宝は神の宝などと言って出し惜しみ」
ヨアティアはふんと笑った。
「お前は高額の報酬を提示されて言いなりになったものの、結局ははした金か、それとも一銭も手にできずに放り出され、ここで飲んだくれているのだろう」
やはりタイオスは黙っていた。
「言いなりになった」訳ではないが、大筋ではその通りだ。
だが彼は、図星を指されて黙ってしまった訳でもない。
タイオスには、ヨアティアの言おうとしていることが判るように思えたためだ。
(どうする)
戦士は既にそれを考えていた。
(伸るか、反るか)
「――我らの側につくのであれば、ハルディールが約束した金額の倍、出そう」
案の定、ヨアティアはそうした提案をしてきた。
「何らかの地位を用意し、迎えてやってもいい」
タイオスは乾いた笑いが浮かぶのを感じていた。
客観的な判断を下すならば、ハルディールとヨアティアは彼に同じものを差し出したということになる。
即ち、金と地位。
どう使うか、と戦士は瞬時に計画を立てた。
「言っとくがな、ヨアティア」
彼はにやりとしてみせた。
「ハルが俺に提示したのは、金貨五百だぞ」
「馬鹿な」
ヨアティアは一蹴した。
「あの子供にそんな金額が出せるものか」
「そう思うかい?」
「アンエスカが許すはずもない。お前のようなごろつきに五百など」
「へえ。アンエスカとハルディールは、どっちが偉いんだ?」
澄まし顔でタイオスが言えば、ヨアティアは顔をしかめる。
「王子が血迷ったのだとしても五百は有り得ない。せいぜい、五十を聞き違えたんだろう」
「そんな大きな聞き違いをするもんか」
もちろん実際のところは三百で、タイオスはそれを多すぎると感じ、五十だって多いと感じるが、この場に必要なのははったりだと決めて話を続けた。
「倍だと言ったな、なんて迫って千も寄越せとは言わないさ。そんな金、使いきれん」
彼はひらひらと手を振り、それに、と続けた。
「確かに、本気でハルが五百も出す気だったとは思えん。仮に、〈白鷲〉の身代わりは危険だからという頭があったとすればそう法外な金額じゃないが」
「ごろつき戦士の命に、それだけの価値があると思っているのか」
「そのごろつきを〈白鷲〉だと決めつけてはしゃいでいたのは、どこのどいつだ」
ふん、とタイオスが鼻を鳴らす。ヨアティアはむっとした。
「俺を抱き込みたいなら、まずは何をさせたいのかきちんと言え」
戦士は人差し指で卓をとんと叩いた。
「それに見合う報酬はどんなもんか、俺の方で考えさせてもらう」
タイオスは手招くようにして、ヨアティアを促した。神殿長の息子は、目前の戦士がどういうつもりでいるのか見極めようと、口をつぐんでじっと彼を見る。
「見合う金額を用意するなら、俺の提案に乗ると?」
ゆっくりと、ヨアティアは確認した。
「ああ」
簡単にタイオスは答えた。
公正に、客観的に、そして正直に言うなら、タイオスはシリンドル国がどうなろうと痛くもかゆくもない。
ハルディールに対しては、真面目で立派な王子殿下だと好印象を抱いてはいるものの、契約が切れた以上、
同時に、ヨアティアやその父親だかに与する理由もない。
いまのところは。
「そうだ」
ぼそりと、中年戦士は呟いた。
「理由があれば、俺はそっちについてもいい」
彼は唇を歪めて言った。
「金額と、依頼内容次第だ。数字と中身が見合わなけりゃ断るし、いくら積まれても断ることもあるが」
「ではそれを聞いておこう」
ヨアティアは指を弾いた。
「禁忌を聞いておけば、あとは何でもするということだからな」
「金次第だぞ」
戦士は念を押した。判っているとヨアティアは言い、促した。
「お前が、せぬこととは」
「あー」
タイオスは白髪混じりの濃茶髪をかきむしった。
「ガキを殺すのは寝覚めが悪いから、断らせてもらう」
「成程」
男は知ったようにうなずいた。
「かまわん。ハルディールはルー=フィンが殺す」
タイオスの言う「ガキ」をハルディール王子に限定して、ヨアティアはうなずいた。傍らで、微動だにしていなかったルー=フィンがぴくりとする。
「では」
少し間を置いて、ヨアティアは続けた。
「その傍らに立つ人物ならばどうか」
アンエスカ。もちろんヨアティアは、彼のことを言っていた。
「あの野郎には、腹を立ててる」
タイオスは、それが誰であるか確認する手間をかけず、軽く片手を上げた。
それから、彼はにやりとする。
「前金で金貨五十。成功報酬で、そうだな、金貨二百」
指を二本立てたまま、タイオスは続けた。
「――あいつを殺れと言うんなら、王子様のたったの半額で、引き受けてやるよ」
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