07 カル・ディア

 都市カル・ディア。

 マールギアヌ地方の二大国のひとつ、カル・ディアルが首都である。

 春先から初夏へと向かう季節の陽射しは穏やかで、風は爽やか。

 ともすれば他人を突き飛ばしても自分の目的地に走っていきかねない人々ばかりなのが大都市であるが、その忙しなさも、活気があって栄えていると見ることもできる。

(何でも、見方考え方次第だ)

 などとタイオスが思ったのは、ハルディールという王子殿下がまるで田舎者のように目を見開き、拳が入るほど大口を開けて、カル・ディアの街並みを眺めるのを見ていたときだった。

「ハル」

 こほん、とタイオスは咳払いしてハルディールの気を引いた。

「――口」

「あ」

 間抜け面をさらしていたことに気づくと、王子もまた咳払いをする。

「どうしたんだ。ここまでにも大きな街は通ってきたろ」

 ワスド。セツバル。タイオスが苦手とする、人の多すぎる街。シリンドルからコミンの間に、いくつも街はある。

「キルヴンでしたら、通りましたが……これほどでは」

「ああ、そっちを通ってきたのか」

 頭のなかの地図に書き込んでいた、シリンドルからの彼らの経路を訂正する。

「何て広い。それに、何て言う人数と、活気だ。今日は何かの祭りという訳ではないんですよね」

「違うだろうな」

 苦笑してタイオスは答えた。

「年明け、夏至、冬至、それぞれの祭りは、そりゃ酷いもんだ。何になりたくないと言って、俺はどんなに報酬を積まれても、カル・ディアの町憲兵にだけはなりたくないと思う」

 羽目を外しすぎた人々の騒乱と醜態と。町憲兵らは、騒ぎに乗じた犯罪を防ぎ、やらかした者を捕らえ、引っ立てるだけではない。市民から苦情が出ないようにそれらをさばかねばならないのだ。この「苦情」は、泥酔して他人に迷惑をかけまくった人物からもやってくるとか。

「心配する必要などない」

 彼らの乗ってきた二頭のケルク――王子と従者のものであり、ここまではタイオスとハルディールが同乗した――の手綱を引きながら、ふん、と鼻を鳴らしたのは眼鏡男だ。

「たとえカル・ディアの町憲兵がひとり残らず病に伏したとしても、まともな人間なら、お前に代替を頼みたいとは考えぬからな」

 コミンから五日弱、少しもタイオスに歩み寄る様子のないアンエスカが言った。

「どうかね」

 彼は肩をすくめた。

「賭けてみるかい」

 タイオスも歩み寄りはしなかったが、いちいち正面から受けとめることをやめるようにはなっていた。

「成立せぬ賭けを持ちかけるとは、頭が悪いのか」

「これは冗談と言うんだ」

「冗談であろうと、私は身を持ち崩す賭けごとなどに手を染めぬがね」

「そりゃご立派」

 賭けで全財産を失うような人間はひと握り。多くは、ちょっとした娯楽としてそれを――町角の喧嘩に賭け師が素早く倍率を定めるようなこともあれば、公式の賭場ということもある――たしなむだけ。アンエスカの発言は極論だ、とタイオスは思った。

 だが、ここで価値観や人生観の違いについて語り合っても意味はない。

 タイオスはそう考えて、適当にアンエスカをかわした。眼鏡をかけた男は、神経質にその位置を直し、視線でタイオスを黙らせられないかとでも言うように睨んだ。

「本当に広い」

 大人気ないふたりの大人を諫めるのが日課になりつつある少年は、しかしカル・ディアの広さに心を呑まれたままでいた。

「シリンドルの領土が、まるまる入ってしまいそうだ」

 王子は呟き、タイオスは笑っていいものか迷った。「面白い冗談だ」では済ませられない響きがあった。

「いくらなんでも、そこまでのことはないだろう」

 代わりに、タイオスは遠慮がちに言った。

「首都の広さが段違いだ、とでも言うならともかく」

「〈峠〉まで領土とすれば別ですが……あれは、神の土地なので」

 寝呆けてでもいるかのように王子はぼんやり呟いた。アンエスカの訂正が入らないところを見ると、まんざら誇張や王子の勘違いでもないのか、とタイオスは気づいた。

(まじでそれほど、小さな国なのか)

 金貨三百枚で空になりそうな財宝庫。カル・ディアよりも小さな領土。

 だからこそ、騎士捜索などという旅路に王子たる人物がつくのだ、と改めてタイオスは腑に落ちた。アンエスカも王――前王の側近であったこと、剣士ルー=フィンの口からタイオスも聞いて知っている。

 ここにいるのは、小国であろうとも、シリンドルの重要人物ふたり。

「まずは、宿を取るか」

 タイオスは、奇態な気分――彼らに比して、自分はでもないのだな、などという、まるで思春期の少年のような劣等感、そこまで行かずとも、戸惑いに似たもの――を振り払うように、現実的な話をした。

「資金に問題がなければ、中心街区クェントルの一流宿屋がいい。俺の好みで言ってるんじゃないぞ」

 アンエスカが嫌味を言う前に、タイオスはあらかじめ言った。

「警備がしっかりしていて、容易に夜襲をかけられることもない場所、というようなことだ」

 コミンを出て一日二日は、ヨアティアやルー=フィンの気配がなかった。アンエスカの作戦が功を奏したと思われたが、完全に騙されるほどは、彼らは頭も目も悪くなかった。二日後の夜半にタイオスは、連中の斥候と思しき人影を見かけた。

 それから馬足を速め、最低限の休息でカル・ディア入りを目指した。

 ルー=フィンだけでも彼らを追ってくれば、今度は町憲兵の助けもなく、タイオスは敗れてハルディールもアンエスカも殺された可能性が高い。だがヨアティアは、ルー=フィンだけに任せることを怖れているのだ、というのが王子の従者の推測だったが、的を射ていそうだった。

(奴らはただの殺し屋ではない)

 途上でアンエスカが言っていたことをタイオスはふと思い出した。

「奴らの望みは、殿下を筆頭とする、われわれの首三つ。だが、奴らがただの殺し屋ではないことが、幸いしている」

 ヨアティアは、ハルディールやアンエスカ、〈白鷲〉の死ぬところを見届け、その証拠――もしかしたら本当に首級――を持ち帰らねばならない。たとえばルー=フィンがひとりで彼らに挑み、戦闘の際に崖から底知れぬ谷に突き落とした、というようなことではヨアティアは困るのだと。

 もっとも、ヨアティアが自身で目撃をしたい、証拠を手にしたいのであれば、ルー=フィンを連れてふたりで彼らを襲えばよさそうなものだ。タイオスならそうする。

 だがヨアティアは、そう考えなかった。十人ほどからなる黒服団を率いて、彼らを追ってきている。

 ルー=フィンというのは、シリンドル最強の〈シリンディンの騎士〉と肩を並べる剣士だということだった。

 彼らが剣を合わせたことはないが、ルー=フィンは他国の大きな剣術大会に参加して、何度も優勝を収めているのだとか。さもありなん、とタイオスは思った。

 そうした男が、追ってきている。彼らの命を狙って。

 タイオスは胃が痛くなりそうだった。

 護衛対象の命が狙われている、という状況ならば飽きるほど経験した。だが、「護衛戦士」としてではない、「ヴォース・タイオス」が狙われるなど。

(いや、俺が〈白鷲〉であるという誤解に基づく訳だが)

(少なくとも「名もなき護衛戦士」ではないからなあ)

 名のある護衛戦士、ということになるだろう。何とも似合わないことだ、とタイオスは自嘲気味に考えていた。

(あと少し、本物の〈白鷲〉を見つけるまでの辛抱とは言え)

 タイオスも、ハルディールに倣うようにして広い街並みを眺めた。

(……本当に「カル・ディア」しか手がかりがないとしたら、洒落にならんな)

 ハルディールはそうだと言っていたが、タイオスはどうかと思っていた。

 少年王子は嘘をついていないと思う。しかし、アンエスカは?

(アンエスカは〈白鷲〉の顔を知っているらしい。名前くらいも知ってるだろう)

(ほかにも知っていることがあるんじゃなかろうか)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る