08 細っこい肩
彼のそれは想像、推測、邪推と言ってもいい。
もっとも、アンエスカが信用ならん、と言うのではない。アンエスカの方で、タイオスは信用ならん、と思っているだけだ。
タイオスの邪推によれば、アンエスカは手がかりをもっとたくさん持ちながら、ハルディールにそれを告げていない。
その理由は判然としないながら、カル・ディアにたどり着く前に、どこそこの曲がり角にある屋敷に住んでいるなどと説明しても仕方がないというだけのことかもしれない。しかしそれは問題も大きい。アンエスカが情報を抱えたままで死んでしまえば、ハルディールは〈白鷲〉に出会えなくなってしまう。
ただ、途上でアンエスカに何かあれば、世間を知らない王子、しかも未成年の子供がひとりでカル・ディアまで旅するのは不可能に近かった。
コミン辺りで従者が王子に詳細を告げる気であったと仮定すれば、胡乱な戦士を前に情報を出すことをやめた、と考えることもできる。
アンエスカがタイオスの裏切りを案じる、それは不思議でも何でもない。
「とにかく」
宿だ、と中年戦士は繰り返した。
「ハルは、もう限界だろ」
顔色の冴えない王子を案じて彼が少年の細い肩を抱けば、そこでハルディールは少年らしい意地を見せた。
「これしき、何ともない」
姿勢を正して言う少年王子の様子は微笑ましくもあり、痛ましくもあった。
(この細っこい肩に、小さいと言えども国の運命がかかってる訳だ)
タイオスはぽんとその肩を叩き、よし、と言った。
「まずは休息だな。それから、飯。街を歩き回るんじゃなく、何か買ってきてもいい」
ハルディールには、他人の視線から遮られる場所が必要だろう。タイオスはそう考えた。いや、彼自身もだ。この雑踏のどこからヨアティアとルー=フィンが湧いて出るかと思うと、気が休まらなかった。
「あんまり詳しくはないが、よさそうな宿屋が揃っていた大通りがあった」
曖昧な記憶を呼び起こしながらタイオスは言った。
「ああ、厩舎が必要だな」
「いや」
しかし、アンエスカは否定した。
「『いや』?」
タイオスは顔をしかめる。
「馬をどうする気だ」
「私に、当てがある」
王子の従者は言い、きたな、と戦士は思った。
「ほう、初耳だな」
何気ない調子で、タイオスは肩をすくめた。
「当てがあるのか」
「ある」
「アンエスカ?」
不審そうに王子が男を呼んだ。
「カル・ディアにたどり着いた先のことは何も判らないと言っていたじゃないか」
「ええ、判りません」
彼はうなずいた。
「ですが、当てはある」
繰り返してアンエスカは、馬に括り付けてある荷の隠しを探ると、紙切れを取り出した。
「あちらへ」
「それは、何だ」
ハルディールは眉をひそめた。
「手がかりがあるのか。僕に黙っていたのか」
「そうではありません」
アンエスカは首を振る。
「〈白鷲〉の手がかりではありません。ただ」
眼鏡の奥からちらりとタイオスを見やり、アンエスカは少し躊躇ったが、続けた。
「協力者がいます」
「誰だ」
王子はもっともな問いを発した。従者は言葉を濁した。
「訪れれば、お判りになります」
「まだ俺を信用しないのか?」
つい、タイオスは口を挟んだ。
「言いたかなかったが、俺はいつでも、とんずらしようと思えばできたんだ。その気になれば、〈白鷲〉もシリンドルもない、別の地方へ行ったっていいさ。しがらみなんか何もないんだからな」
これはいささか、大口だ。彼はコミンの町に愛着を抱いているし、ティエに何も言わずに去ることも抵抗があれば、あの付近で顔を知られているからこそ「戦士タイオス」に需要があるという実情も存在する。十年も前ならともかく、いまから新天地を訪れて一からやるというのは難題だ。
だが、本当にどうしようもなければ、タイオスが逃げる道は確かに存在する。それを選べるのに選んでいないのだ、ということを戦士は眼鏡男にはっきり告げてやりたかった。
「全面的に信じろとは言わないさ。しかし、俺がヨアティアどもに情報を洩らすだとか、そうしたことを警戒するのは無意味だ」
「語るに落ちるとはこのことだな」
アンエスカは唇を歪めた。
「情報を洩らすなど、そういうことを考えているから、出てくる発言であろう」
「何だと、このクソ野郎」
戦士は凄んだ。
「品のない。申し訳ございません、ハル様」
ヨアティアらに対してもはや偽装は意味がないが、街なかで「殿下」という目立つ呼称を使うことを控え、アンエスカは王子を向いた。
「私が剣の達人でありましたら、このような男をお近くに寄らせることなどしないのですが」
「そう言うな。タイオスは、剣が使えるだけじゃない。好人物じゃないか」
「物事を深く考えないだけです」
きっぱりと従者は言った。
「気軽に我らに手を貸すと口にする気質は、気軽に奴らに寝返ることも考えられる」
「そうしたかったらとっくにやってると、そう言ってるだろうが」
この数日間、ハルディールとアンエスカが寝ている間に彼らののどをかっ切ることだって、タイオスには可能だったのだ。それをやれば、間違いなく、彼が〈白鷲〉でないことが伝わる。
だが、タイオスはやらなかった。
考えもしなかった、とは言わない。正直なところ、その手もあるとは思った。
だが――やらなかったのだ。
彼は、これまでになくきつく、アンエスカを睨みつけた。男は少しも、気にしない風情だった。
「アンエスカ。お前がそうやって、僕を補おうとしてくれることは有難い。しかしタイオスの言うことももっともだ。我らが騎士団を信じるように信じろと言うのは酷だろうが、根拠のない疑いだけは、収めてほしい」
ハルディールは真摯に言った。アンエスカは黙り、恭順の礼をした。
(俺に対する謝罪はないのか)
(……とまでは、言ってやらんでもいいか)
アンエスカの態度は腹が立つことばかりだが、判らない訳ではないのだ。タイオスがその立場にあれば、素性も知れぬ戦士など、同じように疑うだろう。相手が苛立って離れるように、挑発を繰り返すかもしれない。
彼は、自分の任を果たしているだけだ。
個人的好悪も、いくらかは入っているとしても
「それで、誰のところを訪れると言うんだ」
改めてハルディールは尋ねた。
「名前を申し上げても、ご存知ありますまい。とにかく、出向きましょう」
「判った」
聞き分けよく、王子はうなずいた。王子と従者の間では、何もわざわざ、信じるの信じないのと言い合う必要はなかった。タイオスは少しだけ疎外感を覚え――そんな自分に乾いた笑いを洩らした。
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