03 重要なのは

「ハル」

 そう言えば王子はどうしているのか、と振り向けば、戦士と町憲兵のやり取りに余計な口を挟むことなく、物影でじっとしていた。ゴルンが少年を見つけていれば彼にも話を聞こうとして話が長引いただろう。ハルディールの賢明な判断にタイオスは安堵した。

「眼鏡はどこに行った」

「それは、私のことか」

 むっつりとした声が少し離れたところから聞こえた。

「おい。ハルを離れないんじゃなかったのか」

「誰が町憲兵を呼んできたと思っている」

 不機嫌そうに眼鏡をいじりながら、アンエスカは答えた。

「……成程」

 良策だったが、それは結果として、だ。

(この野郎)

(ついでに俺を捕縛させようと思ってなかったか?)

 先ほどの町憲兵が知った顔でなかったら、タイオスは事情を聞くために詰め所に連れていかれたはずだ。護衛が必要だとは思っていても、タイオスではなく、もっとアンエスカの気に入る戦士を見つけるために、ルー=フィンと同時にタイオスをも追い払う〈兎を仕留めた狐を捕まえる〉ような目論見でいたのでは。

 中年戦士は勘繰ったが、追及はしなかった。

 もしも、企みが巧くいかなかったためにアンエスカが不機嫌な顔をしているのならざまあみろ、と思って満足したからだ。

「アンエスカ。タイオスが怪我をした」

「何? ああ、いや、こんなのは怪我の内に入らん」

 戦士は手を振った。ルー=フィンにやられた腕も腰も、傷は浅い。

「装備には医療品もある。当て布と包帯くらいなら、与えてやろう」

「要らんよ、舐めときゃ治る」

「不潔な。化膿でもしたらどうする気だ」

「まさかとは思うが」

 タイオスはじとんとアンエスカを見た。

「俺を心配してる訳じゃあるまいな?」

「有り得ん」

 きっぱりとアンエスカは返した。

「殿下が要らぬご心配をなされぬようにとの配慮だ」

 そうだろうな、とタイオスは肩をすくめた。

「〈痩せ猫〉とやらがタイオスの情報を得て、それを売ったのであれば、僕らの宿の方はまだ見つかっていないかもしれない」

 ハルディールはそう言った。

「早く戻ろう。そして」

「発つ」

 タイオスがあとを引き継いだ。ハルディールはうなずく。

「門が閉ざされているのは好都合だ。まさか町憲兵を殺害してまで町を出ないだろう」

 王子は考えながら続けた。

「町憲兵を殺せば、ことはコミンのなかのことだけでは済まない。カル・ディアにまで伝わり、王陛下の耳にも入り、軍の小隊のひとつも送り込まれて、徹底的に調査され得る」

「ヨアフォードならそうしたことも警戒するでしょう」

 アンエスカが声を出した。

「しかし、指揮を執っているのは馬鹿息子のヨアティアです。いまは引きましたが、『さっさと逃げればいい』とでも考えて殺害を命じたなら、ルー=フィンは躊躇わない」

 その指摘に、ハルディールは表情を暗くした。

「そうか、有り得るな。考えが足りなかった」

「殿下はまだお若い。そこを補うために、私がいます。気にされる必要はありません」

 そう言って従者は慰めた。有難う、とハルディールは呟いた。

「カル・ディア。あと少しだ」

 顔を上げた王子の目に、暗いところはなかった。

「西の門から出よう」

 北西への街道がある、とタイオスは言った。だがアンエスカが首を振る。

「南だ」

「何? 阿呆か、お前は。何でわざわざ町を回らなきゃならん」

「ヨアティアはわれわれが〈白鷲〉と合流したと思っている。ならば、シリンドルへ戻るはずだと考えるだろう」

「待て」

 タイオスは制した。

「何を言ってる」

「判らないのか? 愚かだな」

「シリンドルへ帰ろうとしているように偽装しようってのは判る。だが、俺は〈白鷲〉じゃない」

「当たり前だ」

「待て。遮るな」

 タイオスは苦い顔をした。

「俺は、俺が〈白鷲〉じゃないことを証明したいんだぞ。向こうが誤解を解いてくれるなら好都合」

「それで誤解が解けるものか。私とて、見場の悪いごろつきが〈白鷲〉と思われている現状など、はなはだ気に入らないが」

「誰が見場の悪いごろつきだ」

「貴様以外に誰がいる」

「お前な、いちいちそうやって」

「タイオス。アンエスカ」

 叱責が飛んできた。こほん、と男ふたりは同時に咳払いをした。

「だが、重要なのは私の趣味ではない」

 アンエスカは言った。

「重要なのは、殿下を無事、カル・ディアにお届けすることだ」

「届けられただけでは意味がないだろう」

 ハルディールは苦笑を浮かべた。

「〈シリンディンの白鷲〉と呼ばれた男を見つけ、彼を連れてシリンドルへと戻らねば」

 王子はすっと南東を見やった。その先に彼の故郷がある。

(故郷、か)

 どこか不思議な感じがして、タイオスは過去を思い返した。

 彼の生まれ故郷は、北だ。

 覚えているのは、痩せた土地にしがみついていくばくかの収穫を頼りに暮らす痩せた人々と、薄ら寒いばかりの白い曇り空。

 ふた親の死をきっかけに彼は貧しい村を出た。幼友だちを思えば懐かしくもあるが、帰ることはないだろうと思っている。頑なに「帰らない」と言うのではなく、帰る必要を覚えない。言わば、どうでもいいのだ。

 ハルディールはそうではない。もちろん、彼は王子で、国に責任がある。まだ子供で、その責任をどこまで理解しているものかとタイオスは危ぶむが、それでも厳しい教育を受けてきており、多少なりとも判っているところはあるはずだ。

 だがそれだけでもない。ハルディールは故郷に愛情を覚えている。おそらくはアンエスカも。

 タイオスはそんな感情を「意味のないものだ」と思うと同時に、少し羨望めいたものも覚えた。

(守りたいものがあるってのは面倒だが)

(悪い気分じゃないかもしれんな)

「よし、それじゃ南門だ」

 タイオスはうなずいた。

「誰ひとりとして気に入らなくとも、ここはこのヴォース・タイオス様が〈白鷲〉ごっこを続けるのがよさそうだ」

「すまない」

 ハルディールが謝った。アンエスカは当然謝らず、王子に「謝罪の必要などございません」とやった。

 タイオスはそっと、深呼吸をした。

 十年馴染んだコミンの町。

 もしかしたら帰ってこられない、そんな覚悟を決めなければならないのかもしれない。

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