10 怪我はないか

「俺は有能さ。だが半刻じゃちょっと短すぎただけ」

「だろうな」

 タイオスは知ったふうにうなずいた。

「繰り返すが、依頼は取り消す。俺の言ったことはみんな忘れろ。それから」

 じろりと、プルーグを睨む。

「さっき口走ったように俺を売ってでもみろ、どんなに逃げ隠れても必ず見つけ出して、剣の錆にしてやるからな」

「うへえ、怖い怖い」

 どこまで本気か、〈痩せ猫〉は身をすくませて厄除けの仕草をした。

「判ってるよ、旦那は大事なお客様だ。目先の小金のために、今後も長いおつき合いを棒に振ったりするもんか」

「本当だな」

「本当だよ」

 何なら誓うとも、とプルーグは片手を上げて宣誓した。

「よし」

 舌先で生きる情報屋の誓いにどれだけ信憑性があるかはともかく、タイオスはうなずいた。

「それじゃまたな、〈痩せ猫〉。用ができたらまた呼ぶ」

「その前に」

 プルーグはにやっとした。

「『金ができたら呼ぶ』だろ?」

「そうだな」

 タイオスは苦笑した。

「『俺とお前の仲』なんてそんなもんだ」

 要らないなどと言っていたが、何のことはない、建て前という訳だ。

「あっちだよ」

 不意にプルーグは、自分の背後を指した。

「……何?」

「〈ひび割れ落花生〉から逃げ出した禿げ親父とガキなら、あっちへ行った。俺ぁ、見てたんだ」

 どこそこの小さな通りに入っていったようだ、とまで詳しく情報屋は述べた。

「本当か」

 タイオスは指を弾いた。

「でかしたぞ、〈痩せ猫〉。次回には必ず、割り増して支払ってやる」

「期待しないで待っとくよ」

 情報屋はひらひらと手を振った。

「じゃあな、タイオスの旦那。――死ぬなよ」

「……プルーグ?」

 その言いように、違和感を覚えた。

 イリエードのような戦士からそう言われるのと、情報屋から言われるのとでは、印象に違いがあった。イリエードの場合は「俺も死なんようにするがお前も頑張れ」という同族意識によるものであり、プルーグの場合は、単なる軽口だ。「金づるなんだから死ぬなよ」とでもいう辺り。

 しかしこのとき、タイオスは〈痩せ猫〉の口調に普段と異なるものを感じた。

「お前」

 プルーグが護符について口走っていたことを思い出した。

 何か知っているのか、と再び問いかけをしようとしたが、猫はまるでしっしっと追い払われたかのように、素早く逃げ去ってしまっていた。

 タイオスは少しだけその場にとどまったものの、いない情報屋に答えは訊けない。彼は首を振って気分を変えることにした。

(思わぬ時間を取ったな)

 タイオスは思った。

(プルーグを無視する訳にもいかなかったが、もしハルがまた迷子になってたら、探す範囲が広くなりすぎるところだ)

 冷静なように見えたが、恐慌状態に陥って、闇雲に駆け出しでもしていれば。

 アンエスカは王子を守る立場だが、以前にハルディールとはぐれた前科がある。それに、口は達者だが、アンエスカこそ泡を食って右も左もなく逃げ出しているかも。

(少なくともハルを離れやしないだろうが)

(いや、判らんか)

 緊急事態になると、人は自分でも思わぬ行動を取るものだ。高潔とされていた人物だって、女子供を押しのけて逃げようとすることもある。

 ましてや、あの嫌味男。王子を離れぬなど、気持ちは本気だとしても、いざとなればどう出るものか。

(「あっち」か)

 プルーグの指した方角を信じるなら、彼の向かっていたのは逆方向。

 タイオスは踵を返して、そちらに向かってみることにした。

(もしも奴らが捕まり、殺されたら)

(俺が〈白鷲〉じゃないという証明ができなくなる)

 そうなればほとぼりが冷めるまで逃亡生活。そんなもの、いつ冷めるか!

 シリンドルの運命より、自分の命。

 アンエスカに何をどれだけ罵られようと、命あっての物種。

 もっとも、タイオスの現状としては、自分のを証明するためにハルディールを守り、助けなければならない。アンエスカに文句を言われる筋合いはないと思っていた。

「……ハル? アンエスカ、いるのか」

 周辺を警戒しながらプルーグの示した方角に足を伸ばしたタイオスは、闇にそっと呼びかける。

 「ハルディール」の偽装に「ハル」ならば、「アンエスカ」にも愛称をつけてやった方がよかっただろうか、だが「アン」などでは気味が悪いな――などとタイオスは益体やくたいもないことを思った。

(あんな奴に親しげな愛称なんか必要ない)

(言うとすれば)

(「眼鏡」で充分だな)

 それでよし、とタイオスはひとりうなずいた。

「ハル」

 そっと繰り返して、反応を伺う。五度目になると、無駄なことをしているかという気分になりだした。しかしそこでタイオスは「ここだ」という返事を聞いた。

「ここだ」

 ハルディールはもう一度声を出して、暗がりから姿を見せた。隣には、「眼鏡」アンエスカもきちんと逃亡せずにいた。

「まずは返そう」

 タイオスはアンエスカに細剣を差し出した。

「いい手入れをしてるな」

 この男を褒めたくはなかったが、公正な観点からタイオスは言った。

「当然だ」

 男は礼を言ったりはしなかった。彼から愛剣を取り返すと、ためつすがめつ、傷が増えなかったかと確認をする。

「斬ったか」

「ああ。少し腕を切りつけたくらいだが」

 戦士は認め、片眉を上げた。

「きちんと拭ったつもりだが、判ったか」

「それくらいは」

 アンエスカはそれだけ答え、細剣を鞘にしまった。指先が、腹の前で動く。タイオスが見たことのない仕草だった。王に賜った剣ということだったから、何か忠誠を示す仕草なのだろうと戦士は考えた。

(王への忠誠、か)

(俺にはよく判らんね)

 彼にも「主人」がいたことはあるが、それは金と契約によるつながりで存在した関係であり、誰かに忠義心を抱いたことなどない。立派な人間に敬意を覚えることはあっても、それ以上のことはなかった。

「その剣は?」

 タイオスの腰にあるもう一本の武器に目をとめて、アンエスカは尋ねた。

「襲撃者から譲り受けた」

 もちろん、お願いして譲ってもらった訳ではない。死体から剥いだ、ということだ。アンエスカはそこに気づいたにせよ気づかなかったにせよ、何も言わなかった。

「怪我はないか」

 尋ねたのはタイオスではなくハルディールである。戦士は苦笑した。

「そいつは、俺がそっちに尋ねることなんだがなあ」

 見たところ、彼らに怪我はなさそうだった。連中が彼らを見失ったことは判っていたが、慌てて転んだということもないようだ。

「そうとも限らないだろう。護衛が対象を気遣うほかに、あるじが臣下を気遣うことも」

「臣下になる契約はしていないね」

 タイオスは言う。

「頼もしい護衛と離れて心細かった、と素直に言ったらどうだ」

 これはちょっとした軽口、冗談というやつだ。

 「こちらの方が優位にいるんだぞ」と、どこかに本音も混じりつつ、しかしあくまでも冗談――という機微は、しかし王子には伝わらなかったと見えた。

「そうだな」

 ハルディールは言った。

「アンエスカより頼れる剣士がいなければいないで覚悟が決まるが、あるのに不在である、というのは落ち着かない気持ちだ」

 真顔で王子は言い、タイオスは苦笑して、アンエスカは苦情をこらえた。

「とりあえず逃げ切れたようで、よかった。しかし」

 戦士はううむとうなった。

「どうしてまた、あの場所がばれたもんか」

「タイオス」

 王子は声をひそめた。

「店の主人に、話を聞いた」

「何だって?」

「彼は僕たち以上に泡を食って、自分の店から逃げ出していたんだ。それを見つけて、連中が押し入ってきたときの様子を聞き出した」

「どうやって」

 逃げ出したとしても、ああした店を経営、或いはどこかの闇組織ダースルスから任されている男だ。火事の目撃者のように、興奮してぺらぺら話すとは思えなかった。

「アンエスカが、卑劣な脅しをかけた」

「殿……ハル様」

 言われた男は苦々しい声を出した。

「本当のことだ」

 さらりとハルディールは言った。

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