08 神様に祈んな

「……まさか」

 タイオスはぎくりとした。

「まずい、事態か?」

 裏ごとを扱う店にも、それなりの不文律がある。

 この場所での密談に何か気に入らない思いを抱く者でも、ここに入り込んで密談そのものを邪魔しようとしたりはしない。この店を知っているなら屈強な護衛がいることを知っている、ということもあるがそれだけではない。こうした場所で騒ぎを起こしたという話は裏の世界全体に広まり、二度とどんな便宜も図ってもらえなくなるどころか、追われることだって有り得る。もしやるのであれば入る前か、出たあと。

 コミンの町は平和だが、それなりに裏がある。コミンの人間は、それを理解している。

 ではそれを破る者は?

 余所者だ。

「アンエスカ、剣を寄越せ!」

 言うなりタイオスは、返事を待たずにアンエスカの腰に手を伸ばした。反射的という様子でアンエスカは身を引きかけたが、タイオスの危惧する「事態」を理解して、渋々と彼の細剣が抜かれるままにした。

「力任せには、扱うな。それは叩きつけるには向いていない武器だからな」

「言われるまでもない」

「陛下から賜った剣だ。折ったら、お前を殺す」

「充分に気をつけるさ」

 アンエスカの名誉や誇りなど知ったことではないが、剣戟の最中に剣を折るということは敗北を意味する。敗北は、即ち死だ。

「この部屋に入ってこられたらどうしようもないな。先に出て突破するしかない」

 タイオスは戦士の神ラ・ザインの印を切った。普段はちっとも信心深くないが、こういうときばかりは神の助けがほしい。

「いいか。一、二、三、で俺が扉を開けて先に出る。さっきの広間まで階段を昇ったら、とにかく出口を目指せ。背後は気にかけるな。俺がいる」

「出口がふさがれていたら?」

「――神様に祈んな」

 戦士は唇を歪めた。

「行くぞ。一、二の」

 三、とタイオスは扉を開け、二段抜かしで階段を駆け上っていった。

 その間にも、剣と剣が交わる音と怒号が聞こえる。

 問題が起きていることは間違いない。これがハルディールに関わることでなかったら、タイオスはアンエスカに殴られてもいい。

 広間では、店の護衛戦士が黒い服の禿頭男たちと剣を合わせていた。黒服はタイオスを追ってきていた連中に相違ない。いや、同じ人物かは判らないが、同じ一味であることは確実。

 店の護衛はふたり。侵入者は五人。護衛は手練れだが、それでも手こずっているのはすぐに判った。

「走れ!」

 幸いにして、右手の扉をふさぐように立っている者はいなかった。タイオスは剣を構え、ハルディールに指示をする。

「見ろ、〈白鷲〉だ!」

「だから、違うと」

 タイオスは低く呟いた。

「ということは、あれは」

「王子だ。追え!」

「追わせんよ」

 戦士は飛び出し、ハルディールとアンエスカに向かって駆け出した男に斬りつけた。ぎゃあ、と悲鳴を上げて男は剣を取り落とす。

「こりゃ、いい切れ味だ。手入れだけは褒めてやるか」

 剣技が苦手と言う男の持ち物にしては、よい剣だった。王から下賜されたものであれば当然かもしれないが。

「〈白鷲〉だ」

「剣を持っているぞ」

「気をつけろ」

「何を訳の判らんことを!」

 怒鳴ったのはこの店の護衛だった。

「エドル、右の奴をやれ」

「任せろっ」

 タイオスの乱入で混乱した侵入者たちは、動じていた護衛たちに我を取り戻す時間を与えた。

「頼もしいもんだ」

 この場合、彼らは明らかにタイオスの味方である。ひとりで逃げ走ってきた今夜のことを思うと、実際以上に有難く思えた。

「引け、引けっ」

「王子が逃げるぞ、ここにいる意味はない」

 戦士たちと剣を合わせることをやめ、侵入者たちは戸口へと向かいだした。護衛たちがそれを追う。タイオスが更に追う形となった。

 狭い酒場を抜け、屋外に出る。ハルディールたちの姿は見えず、侵入者たちがもたつけば、護衛が斬りかかった。ふたりが即座に切り倒される。残りは泡を食ったように逃げた。

「追うか?」

 エドルと呼ばれていた、少し若めの――と言っても、三十は越している――護衛が尋ねた。

「いや、放っておけ。それより、こいつらだ」

 年嵩の、タイオスと同年代か少し下の護衛が倒れた侵入者たちを指した。即死とはいかなかったようであり、倒れたふたりはうめいていた。護衛戦士はそれらの傍らにひざまずく。

「おい。お前らは何者だ? 何の目的で――あっ!?」

 護衛が焦った声を出した。

「クソッ」

「どうした!」

 不穏な空気を感じ取って、タイオスは叫んだ。

「死んだ」

「何?」

「毒か何か、あおりやがった。何てこった」

 護衛は舌打ちし、タイオスはぞっとした。

「おい、エドル。そっちは」

「レウラーサ・ルトレイン!」

 問いかけに、聞き慣れない音がかぶさった。

「どうかお許しを!」

 タイオスは、傷を負ったもうひとりが、そう叫んで腕輪のようなものに口を付けるのを見た。即座にその男が死ぬのも。

「おい。おいおい、何なんだこいつらは」

 気味が悪いと思うのだろう、護衛は立ち上がると厄除けの印を切った。

「あんたの関係者か?」

「いや……」

 どう言っていいものか、タイオスは曖昧に呟いた。

「うん?……お前、ヴォースか?」

「何?」

 名を呼ばれ、驚いてヴォース・タイオスは相手を見た。

「俺だ。何とか言う吟遊詩人フィエテの護衛で一緒した、イリエードだよ」

「ああ、イリエードか。驚いたな、見違えた」

 よくよく見てみれば、見覚えのある顔だった。

「髭がなくなると、別人だな」

「若く見えるだろ?」

 イリエードはにやっとした。

「故郷に帰ったんじゃなかったのか」

「いろいろあってな、旅暮らしに舞い戻った。ここで護衛を捜してると言うんで雇われたんだが……」

 店の護衛戦士は顔をしかめた。

「何ごとだ? ヴォース、お前、何に関わってる」

「さあな」

 タイオスは肩をすくめた。

「ごまかすのか」

「俺もよく判らんのさ」

 彼は本当のところを言った。

「訳の判らん言葉を叫んで死んだようだが、聞き覚えはあるか?」

 タイオスは尋ねた。イリエードは首を振る。

「いいや。祈りの言葉に似ていたようだが」

「『ルラーサ・ナサレイン』か」

 それはごくごく一般的に、七大神と呼ばれる神々に祈りを捧げるときに使われる決まり文句だった。「ルラーサ・ナサリース」と言う場合もある。そこの違いに意味合いがあるのかどうか、タイオスは知らず、興味もなかった。

「確かに、似ていたな。神への祈りか」

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