05 「ハル」

「タイオス。どうか判ってほしい」

 少年王子はじっと戦士を見た。

「あなたが助かるには、もう僕に協力をするしかないんだ」

 ヨアティア――ルー=フィンに殺されるか、命令違反を覚悟したアンエスカに背後から斬られるか、どちらかという訳だ。

「冗談じゃない」

 彼は呟いた。

「いったい俺の人生は、どうなっちまうんだ」

 これまで、順調にやってきた。命の危険を覚えることはあっても、その嵐は素早くやってきて、後腐れなく去っていった。ややこしい話など、もしかしたら彼が護衛をした誰かの裏にあったとしても、彼自身には降りかかってきたことなどなかった。

 当然だ。彼は、しがない一戦士。騎士も王子も出てくることのない世界に生きてきた。

「どうか、タイオス。ただとは言わない。報酬を用意する。話した通り、アンエスカでは護衛としては心許ない」

 言われた従者は眉をひそめたが、反論はしなかった。

「護衛として、僕を守ってほしい。こういう正式な依頼では、どうだろう」

 タイオスは黙った。

 要人の警護などしたことはないが、彼の畑であることは間違いない。逃げるの隠れるのと言ったところで、確かに彼らの言う通り、見つかる危険性も高い。だいたい、けりがつくまでびくびくと待っているなどというのは性に合わない。これは、戦いを前に待機するのとは違う話だ。

 しかし――。

「ご立派な騎士団は、どうしたんだ」

 シリンドルには〈シリンディンの騎士〉がいるのではないのか。

 タイオスがそう尋ねれば、ハルディールはちらりとアンエスカを見た。アンエスカの顔が、わずかに強張ったように見えた。

「――有名無実だ」

 眼鏡の位置を直しながら、シリンドルの男は呟いた。

「何だって?」

 タイオスは目をしばたたいた。アンエスカはうなる。

「シリンディンの騎士は、言うなれば名誉職だ。小国ゆえもあるが、高給だと言うのでもない。たとえばカル・ディアの階級なき軍兵セレキアより、給金は低いだろう」

「そりゃ……低い」

 戦士は呟いた。

 正規の軍兵は、安定して給金をもらえる。下町で今日の仕事はあるか、明日はどうかと悩む身に比べれば余裕はあったが、一年分を総計すれば、タイオスのように、むらはあっても大きく稼ぐこともある護衛戦士の方が上であることも多い。

 もっとも、軍であれば装備は支給品だし、衣食住の心配はない。そうした意味ではやはり宮仕えの方が恵まれていると言えたが、単純に金額の換算をすれば、下っ端兵士などはちっとも高給取りではない。

「それにも関わらず、試験は厳しく、訓練も、規律もとても厳しい。そうして騎士となっても、華々しい活躍の場はない。彼らが活躍しないということは国が平穏であるということだが、若者はそれでは満足しない」

 アンエスカは首を振った。

「志願する者は年々減り、受かる者も応じて減っていった。既に騎士であった者からも、辞任を望む声が出るようになった。ゆくゆくは団長にと嘱望されていたほどの男ですら」

 従者は息を吐いた。

「かつては三十名いた騎士団も、いまでは老人がひとり、若造がふたり、たったそれだけだ」

「そりゃ……また」

 お気の毒に、というような言葉がタイオスの脳裏に浮かんだが、そぐわない気がして黙った。

「だが、老人はともかく、残りの若いのはどうしてるんだ」

 代わりに彼はそこを尋ねた。

「国元に残っている。エルレール王女殿下をお守りしながら」

「王女殿下?」

「姉だ」

 ハルディールが言った。

「無事でいるといいが……」

「〈シリンディンの騎士〉をご信頼下さい、殿下」

「もちろん、信頼している。レヴシーは僕の友人だし、クインダンは剣の師匠キアンだ。彼らならば――」

「命に換えても、エルレール殿下をお守りします」

 従者が継いだ。

「だからこそ、心配なんじゃないか」

 王子は息を吐いた。

「これ以上、誰も死なせたくない」

 では誰が死んだのか、という問いをタイオスは飲み込んだ。

 騎士が、姉王女を守っていると言う。より重要人物であるはずの父王や、母王妃ではないのだ。

 答えは自ずと知れた、と思っていいだろう。

「タイオス。答えをもらえないか」

 ハルディールの方が答えを要求してきた。

 戦士は両腕を組んだ。

 やばい話だ。彼の望む「緩やかな人生」計画のなかに、こんな予定は入っていない。

 あと何年かいまの生活を続けて、そろそろ限界だと思ったら田舎に引っ込んで、村の畑を狙う獣程度を相手にしながら、できれば美人の妻を見つけて、自分も畑を耕して、やがて寝台の上で家族に看取られながら逝く。その予定なのだ。

 王の暗殺。おそらくは、反乱。命を狙われている王子。王子とシリンドル国を救える〈白鷲〉の捜索。

 こんな話に関われば、生きていられるかどうかも、判らない。

(どう考えても、断るべきだ)

 逃げ隠れは性に合わない。かと言って、多人数の山賊が武器をかまえて待ちかまえているところにひとりで突撃するような真似も馬鹿らしい。

 王子の護衛。伝説の存在の探索。

 若い頃ならば、そんな冒険も夢見た。

 しかし、いまは。

「――判った」

 ゆっくりと、タイオスは言った。

「俺を〈白鷲〉だと思い込んでいるあの阿呆野郎に、ひと泡吹かせてやる。俺を雇え、ハルディール」

「タイオス」

 ハルディールはほっとした顔をした。アンエスカはもちろん、これでもかと言うほどに顔をしかめている。

「有難う」

「礼を言うのは早い」

 タイオスは手を振った。

「報酬の内容いかんによっては、取り消す」

「何たるごうつくばりなことを」

 アンエスカが苦情を言った。

「阿呆。俺は『シリンディンの』とつこうがつくまいが、名誉を重んじる騎士様じゃないんだぞ。命を賭ける仕事には、それなりの報酬が約束されてなけりゃ」

「もっともなことだ」

 王子はうなずいた。

「アンエスカ」

 少年は手を差し出した。男は渋々と、財布らしき袋を王子に手渡す。

「いまの僕に必要なものだから、これを全額とは言えない。前金として、まずはこの半分で納得してくれ」

「殿下! 半分も与える必要など」

「あー、いまはとりあえず、とっとけよ」

 タイオスは首を振った。

「経費をそっから出してもらえりゃ、充分だ。あとは成功報酬。 〈白鷲〉にあんたを引き渡したらという条件でけっこうだ、ハル」

「……ハル?」

「『ハルディール』は、長ったらしい」

 唇を歪めて言えば、「ハル」は笑った。

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