月色相冠 / smalt
藤井 環
1)528~536 M.C.
多少の赤みの差はあれ髪も目も、薄茶色したものが一般的なその国で、彼らはともによくある色の髪と瞳をしていたから、その第一子が黒い髪に赤い目を持って生まれたことは驚きと、ある種の悲嘆をもって迎えられた。
その子の祖父も赤い目をしてはいたが――だから決して「ありえない」色ではなかったが――それでも、その国では目と髪の両方が揃ってこれほどはっきりした色であることは珍しい。そして、その特徴を備えた子はその国では大抵、長くは生きない。そうであるがゆえに、この国におけるその子の容姿は、彼らがいずれ子を失う両親であるとの同情を集めさせた。
しかし彼らはその同情に飲み込まれるつもりはなかった。
そしてその願いを載せるにふさわしい
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ユーレの首都グライトで、十歳に手がとどかないくらいの年代の少年と言えば、皆が揃って将来の夢に挙げるものがある。同年代の少女たちが「花屋」だとか「菓子店」だとか(もっともそれらは彼女らの間では、もっと小洒落た可愛らしい名前で呼ばれている)とお決まりのように答えるのと同じで、彼らに口を開かせれば相当の確率で同じ言葉が返ってくるのだ。「ナイト」。
それは王立の
必ずしも毎年叙勲される訳ではないのが幼心に彼らのロマンをかきたてるのだろう。花屋以上に手の届かない存在のそれになりきって日々腕を磨くのが、十代に上がる直前の彼らなりの、大事な日課だった。とは言えやっていることは要するに、単なる名乗り合いと「戦いごっこ」だ。
選ばれた名の効用か、両親を含めた周囲を呆れさせるばかりに元気に育った黒髪と赤目の少年ヴィダは、しかし、その名誉ある肩書きにはほとんど興味を示さなかった。
彼は戦いごっこさえできれば満足だったので、相手がナイトになりきるなら自分は国境侵犯を繰り返す
彼が朝食を終え、片付けと家の手伝いを済ませてから仲間を探しに玄関を勢い良く開け、砂色のレンガの階段を半ば飛び降りるように降りきった路地には「敵を待つナイト」が大抵既に三、四人は待ち構えている。彼らは毎回そこで鋭い目つきの無言の挨拶を交わすと、すぐさま運河沿いの開けた道に走り出て、川鳥がのんびりと羽を乾かしている傍で壮絶な死闘を繰り広げるのだ。毎日飽きもせずに。
そういう訳で、ヴィダは遊び相手に困ることはなかった。ただ問題はなりきりナイトは武器を持っていないということだ――正確には「持っているが見えない」ことになっていた。彼らの武器は揃って、何やらたどたどしい発音の「ウルティマ=ラティオ」だった。現実のそれは、ごく一部の軍人だけが国王からの終身貸与という形で手にしている、この時代に作り出すことはもうできないものだ。
半島に位置するこの国を遙かに望む洋上では、海底資源の掘削のため、大きなクレーンが無機質な骨組みをきしませながら絶え間なく上下している。
海底資源と呼ばれているのは、ずっと昔、人間が空を飛べた頃、そしてこの星に根をはる前に、はるか天上から落ちてきて、海に沈んだ巨大な船の残骸のことだ。その全容は明らかでなく、一説にはこの国を覆い尽くすほどだとも言われている。そんな遺跡からごくまれに掘り出されるその道具は、随分珍しいが故に一般には流通しておらず、相場すら形成されていない。
少年たちの噂では、ウルティマ=ラティオというのはなんでも「持ち主の心の強さが剣の強さ」とでも言うべき見えない光の刃であるらしい。選ばれた者しか使えないだとか、精神と連動して刃をなすのだとかいう話が、彼らの間でまことしやかに囁かれている。
彼らが目を輝かせて話すことは毎度違い、尾ひれも翼もついて大空に飛び立ってゆく。そのため彼らの説明はどこまで真実か、それとも全くの思い込み、勘違いなのかもわからないが、手にする機会は一生ないであろうものに夢を見るのはそれほど不自然でもないことだし、それが子供なら尚更だった。彼らにとってそれは、あらゆる可能性と期待に応える勇者の
発掘されたそれらの形状は必ずしも剣だけではないのだが、そんなことは彼らにはさしたる重要性を持たない。そもそもこの国では一般市民に武装は許されていないので、武器自体滅多にお目にかかれるものではないのだ。だからこそ彼らの妄想は膨れに膨れ、その結果がご覧の有様、というわけだった。
ただしヴィダにとって問題なのは、少年たちの妄想の真偽ではない。彼は、少年たちがこぞって構えるその希望の刃と正々堂々戦えという難題を突きつけられている。なりきりナイトの皆が口々に我こそ一番というその剣は、形を持たず、目にも見えず、空を切る。一方、そんな立派な武器は持っていない(ことになっている)「悪者」ヴィダが構えた木切れで直接攻撃を仕掛ければ、それがどれだけ細いものであっても彼らは揃ってヴィダを卑怯だと非難するから、どうしようもなかった。
かと言っていつまでも見えない武器同士を振り回しても勝負は決まらない。それで彼らの戦いごっこは大体が、最終的には武器をかなぐり捨てた殴り合いで決着を迎えていた。
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ヴィダの家の裏を少し行ったところには、ある父娘が住んでいる。
娘の方は彼より四つか五つ下のように見えたが、はっきりしない。父も娘もごく浅い薄茶色の髪で、その色はそう珍しいものではなかったものの、彼らの持つ淡い紫の瞳をヴィダは他所で見たことがなかった。
極々普通の場所、普通の建物に住んで、普段は普通に食料品の買い物に出かけたり子供を散歩させたりしているというのに、近所の大人は皆、どこかふたりによそよそしかった。父親には年配者も必ず
国や宗教における立場のことなど興味がなかったヴィダにとってその呼び名は特別の意味を持つものではなかった。彼に見える範囲ではその父親は、会うたびいつもゆるゆるとした笑顔でのんびり挨拶をしてくる気の抜けた大人であったので、そんな彼の許にしばしば王宮からの使者がやってきていることがヴィダには不思議でならなかった。
王宮からの使者がくると、サプレマは毎度数日、家を空ける。
王宮と言えばおいそれと入り込める場所でもないから、サプレマというのが一体どういう仕事なのかヴィダには見当もつかなかったが、とにかくそういう時、彼の小さな娘は父親に連れられることはなく、家で留守番しているようだった。
彼がそれを知っているのは、両親に言付かった荷物を届けたことがあったからだ。
家の中から見た訳ではないので確実ではないが、窓枠に置いた手の様子と上半分しか見えない顔から判断する限りは、少女は背伸びをしてぶら下がるように外を眺めていたのだと思う。彼女はガラスを叩いた彼に、父親と同じ色をした目をしばたたかせ、ぱたぱたと足音を立てて玄関を開けた。
ヴィダが渡したのは決して大型の箱ではなかったが、少女にとっては十分に大きいもので、たどたどしく受け取った少女の後ろには、随分ほっそりした色白の女性がいつでも手助けできる距離に控えていた。ヴィダはその女性に会ったのは一度ではないし、サプレマと一緒のところも何度も見たが、彼女のことを少女の母親だと思ったことはない。彼女があまりに人間離れした深い藍色の髪と目をしていたから、そして彼女が
彼はそのことを一度「マスター」本人に尋ねたことがある。ヴィダの家は代々、個人経営の小さなものではあったが運河を利用した水上輸送を生業としていたので、そこに時折客として向こうから接触を持ってくることがあったのだ。
親の見ていない隙を見計らって質問を繰り出したヴィダに、彼は苦笑と曖昧な返事を返した。女性は妻ではないし、自分の名前は「マスター」でもない。まあ君が呼ぶ分には今みたいに「オジサン」でも何でも、好きに呼んだらいいけどね、と。
そう言われてようやく彼の謎を解き明かしたい気持ちになったヴィダが両親に、サプレマとは何かを聞いたのはその晩のことだ。他国にもいる
神竜の依り代の証が紫の目。当代サプレマが退いたときにはその後を継ぐであろう、同じ紫の目を持った娘にはそのとき、既に母親がいなかった。
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