アシッド・マリア

 騎士団本部の外へ出ても、出来レースと芝居は続いた。

 一体いつまでこれを続ければいいのだろう。即席で芝居をするのって結構疲れるなあ……。本番でアドリブが出来る役者の凄さがわかるよ……。


 相変わらず、錯乱して記憶が混同している者を扱うような態度で接してくるセシリアだが、まあそれはいい。それももうじき終わりそうだ。

 誘導があった。正確にはあったわけではないが、何かを見る度「何か思い出しませんか?」なんて言われれば「さっさと思い出したフリをしろ」と言われているような気になる。


 そんな甲斐もあり、私の身の上は固まった。

 貧民街出身で、本当の名はマリア。それがこの世界での私という事になった。


 咄嗟に言わされて出た名で、気に入らないフレーズだがこの際文句は言えない。

 まあアリアと似たような名前だし、自分がアリアだと思い込んでいた者、という点ではこうでいいのかな……。


「記憶も大方戻ったようですので、私は戻って、貴方が牢から出られるよう書類を纏めます。まだ何か見たい所はありますか?」


 見たい所。忘れかかっていたが、ふと思い出した。

「あっ、新聞が見たいです」

「分かりました。買って本部へ戻りましょう。明日には出られるはずです」


 明日ね……。まあ、タダ飯食らいが、長居するのは好ましいとは思われないか。

 その上私は貧民街出身という事になっているし、報告がされ次第、さっさと出ていけという空気になりそうだ……。




 セシリアに新聞を買ってもらい、その日は独房へ戻る事になった。話が本当ならここで過ごすのも今日が最後かな。

 独房で、買ってもらった新聞を広げる。独房の中で新聞を読む、中々オツな体験なのかもしれないが、そんな事はどうでもいい。


 新聞に書かれてある日付を見ても、あまり特に衝撃は受けなかった。

 ここが過去の世界であるのは分かっているので、感想としては「ああそうか」といった程度だ。

 逆算すると十年前か……。この時代の私は何をしていたかな……。


 今後の行動にも支障が出てくるので、当時の私が何をしていたのかを思い出そうと記憶の深層への扉を開けようとした私だが、膝元に落ちた何かに気を取られた。


 折りたたまれた紙。新聞紙とは似ても似つかないし、広告にしては小さすぎる紙が私の膝に落ちていた。


 ふと、あの時の記憶が呼びさまされる。

 肩から胸にかけてがむず痒くなる。昨日私の服へ入れられた、紙の切れ端の感覚だ。

 中身を見ずとも、その紙がセシリアのメッセージであるという事は察しがついた。


 今日は言うとおりにしたよ。

 次は何だ? 明日どこそこへ来い。そこで元の時代へ帰す。とかかな?


 なんて、内心そんなに簡単にはいかないだろうと分かっていながらも、私は落ちた紙を広げた。

 書いてあった文字は、筆跡が分からないようにわざとカクカクに書かれた文字がほとんどを占めていたが、一部は書き足すようにして、例の走り書きと同じ筆跡の文字が書かれていた。


 察するに、あらかじめ用意した部分と、今日即席で書き足したものだろう。

 内容は――。


『信じている。だが私は帰す手段も何も知らない』


 一行目から心が折れそうだが、まだ続きは長い。

 私は走り書きで書き足された続きに目を移す。


『だが状況から察するに、未来の私もここへ来ている可能性がある。頼るのならそちらだ』


 ――盲点だった。

 確かに全員あの場に居たんだ、十分あり得る線だ。

 もっと希望が欲しい。まだまだ続きがあるので希望を胸に次の行へ目を移す。


『今の私は監視されており、目立った行動がとれない。協力には期待するな』


 良い情報と悪い情報が交互に来るな。という事は次に書いてあることは……。


『仮に未来の私がこの世界にいないのなら、他に頼れる人物はD隊のダイアナ隊長くらいだ。彼女と会うのはとても困難であると予想されるが、他に頼れる人物もいない。最悪の場合は苦労を承知で彼女を探せ』


 良い所もあり、悪い所もある情報だが、希望とするには十分だ。感謝するよ、セシリア隊長。

 ん? 十年前の時点でセシリアは隊長であっただろうか……。いや、そんな事は外に出てから調べればいいか。だが手紙の『私は監視されている』という点と、昨日今日の芝居をする必要性から、そうではないという結論を私は導き出しつつあった。


 まあ、元の世界のセシリアを探す。もしくはD隊の隊長ダイアナさんを探す。と、やる事ははっきりしてきた。何もわからないでいるより、道しるべがあるだけ希望は持てる。


 安心したらおなかが空いてきた。思えば今日はまだ何も食べていないな、芝居が長引いた結果、食事の時間も過ぎてしまったか……。

 食べる事の出来なかったメニューについて思いをはせようとしていたら、手に握られた紙が一枚でないという事に気付いた。


 まだあったのか……。

 これまでの内容は、良い事と悪い情報が交互に書かれていた。

 良い所もあって悪い所もあった内容の次は一体何だろう?

 多少は悪いことが書かれていてもと、覚悟は決めていたが、二枚目の紙に書かれていた内容は、私の予想を遥かに超えるほど好ましくないものだった。


『そして貴方と共にこの世界へ来たという赤い髪の女性は、投獄された初日の晩に脱獄したらしい。貴方とあの女性の間柄も、あの女性が何故脱獄したのかも私には分からないが、手遅れになる前に手を打つべきだ。ついでに知らせておくと、貴方の命もこの世界で狙われないとは限らない。とにかく急げ』


 ……最後の最後でとんでもない内容を放り込んできたな。

 自分の事だけでも手一杯で、ずっと独房にいたから半ば忘れかけていたが……。


 パトリシアが脱走? 何故?

 私の意向が伝わっていなかったのか? 

 それともよほど狭い所で待つのが嫌だったのか?

 だからといって、脱獄なんて馬鹿な真似をするような人物だとは思えない。付き合いが長い訳ではないが、パトリシアは冷静な人物だ、愚かな印象はない。


 分からないことだらけの世界で、手がかりが得られたと思いきや、また分からないことが増えたな……。パトリシアが脱走した理由については、いくら考えても分かりようはずもなかった。


 何も入っていない私の胃は、面倒事が増えてイラついていたが、「どの道人探しをすることには変わりない」と私は無理やり自分を落ち着かせていた。


 ただでさえ、最近は胃が痛くなるような事ばかり起きているんだ。胃が空っぽの状態な今、胃液が出るのは好ましくない。


 そんな中、ふと最後に書いてあった追伸が目に留まった。

 ああ、元気づけてくれるメッセージかな。これだけ悪いことが書かれた後だ、さぞ勇気付けられる言葉が書いてあるに違いない。


『この紙は飲みこんで処理し、決して証拠を残すな。他の処理は認めない』


 …………。


 空腹を訴える胃が、地獄の業火に包まれていくのを感じる。

 まったく災難だ……。

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