手のかかる診断
あれから何度も夜を明かし、牢での暮らしにも慣れ始めていた頃になってその言葉は私の耳へ届いた。
「セシリアが戻りました」
――!!
その言葉を待っていた。おそらく誰よりも。
半狂乱で喜びの声を上げてもよかったが、ここでの私は模範囚だ。
最後までそうしていよう。私が消えても、この時代の者の記憶に強く残らないように。
だがまあ、正直なところ。口角は勝手に上がって仕方がなかった。
長い時間待った。この時を待ちわびていた。それがようやく訪れたのだ。
牢の外へ出てから、取調室でセシリアが来るのを待つ時間は、体感ではそれまで牢で過ごした時間全てと比べてもいい勝負をするだろう。
ドアが開き――見た事のある顔が私の視界に映る。
セシリアだ。
この薬品のような気味の悪い色の髪に、生気の抜けた隈だらけの顔……。普段なら見たくないもののトップに入ってもおかしくないが、今ではそれが何よりも目にしたかった。
目の前に現れた唯一の希望は、私の顔を見るや「おっ?」といった表情だった。
いいぞ。嬉しい反応だ。
「私に覚えはありますか?」
「知り合いと似ています」
うわー、気持ち悪い。セシリアが私に対して敬語で話している。
まあそうか。私の知るセシリアと比べて、このセシリアはとても若い。今の私の方が、このセシリアよりも年上かもしれない。
若いセシリアを目の当たりにした事によって、本当にこの世界が過去であるという確信が持てた。頼む。このことについて何か知っていてくれ。私を、私達を帰してくれ。
「私はアリアです。いや、仁義と言うべきでしょうか。ともかく、私は貴方の思い浮かべている知り合いと同一人物で――」
焦りが言葉に現れる。だが落ち着け私……。何を話せば納得してもらえる……。
「あなたと初めて会った場所は……宝物庫でした。そうでしょう? そして私達以外これは知りません。信じてくれますか?」
これしかない、というジョーカーを切った。本当に誰にも話していない事だし。私の姿に覚えがあると言っている以上、この事はこのセシリアも知っているは――――。
――――。
ひどく嫌な予感がした。
いやダメだ。そんな予感など嘘だ。
何だよその顔……。
その目は……。
何だよその冷めた目は――!?
私の話を信じていない?
言葉にしてなくても分かる。いや、分かりたくはないけど分かる。分かりたくないからこそ、分からないのは――。
違う。
考えるべきことは何だ? 希望を捨てるな。
「……この際私がアリアだと信じてもらえなくてもかまいません。とにかく未来へ、私が元居た場所へ帰りたいんです! こうなった原因は貴方にあるんだ! 何か知っているでしょう!? 教えてくださいよ!!」
余裕という概念が、 自分の中からなくなっていくのを感じる。
声を荒げ、熱くなってしまっている私とは真逆に、目の前のセシリアは冷めまくっていた。
手元の紙に、何かを記録しながらセシリアは冷めきった声で話す。
「どうやら時間を置いて、また話をした方がよさそうですね、後日またお話しましょう」
慰めるように、諭すように、ゆっくりとそう言った。
『錯乱の兆候が見られる』――?
それが目に入った途端、物凄い吐き気と共に目眩がした。頭を殴られたのではと勘違いするほど、視界が傾いた。
この世の全てに裏切られたような気分だ。
胃が痛い。
胸の中心が痛い――。
わたしのなかで、何かが壊れた気がした。心だろうか?
胸を押さえ、私は悶えながら体を丸める。その行動は意思によるものではなかった。
……貴方は唯一の希望だった。
それがなんだよ。
なんだよこの仕打ち。
唯一の希望を掴み損なわまいと、ジョーカーを切っておいてこれかよ。
ついさっきの光景なのに、だいぶ昔の事を思い出すように、私の頭にそれは浮かんだ。
あの冷ややかな視線……信じる気など毛ほどもないって顔だったな……。
絶対夢に出ることだろう。いや、寝ずとも忘れられないよ。
というか寝れるのか……?
後日また話そうだって?
信じてくれないのなら貴方に話すことなど――。
次の瞬間、私は急に冷静になれた。私の肩に手が置かれたのを感じる。無論、この状況で、それだけでは到底冷静にはなれなかっただろう。
私を冷静にするに至った理由は、肩に置かれた手とは別に、服の中へ入ってきた、紙の切れ端のような物の感触だった。
涙目になりつつある顔を上げると、セシリアが意味ありげな顔で私を見ていた。
正直それが何を意味しているのかは分からなかった。だが希望を捨てるにはまだ早そうだ。
あの表情に、この感覚……。
服に入れてきたこれは、何かのメッセージを書いた紙だろうか?
何故こんな面倒な真似をしたのかは分からないが、こっそりと行わなければいけないだけの理由はあったのだろう。ならこれを見るのも、ここではなく独房に戻ってからの方がいいか……。
希望的観測とも思える。なんなら現実逃避とも思える考えではあったが、今の私にすがれるものは、服の隙間に入り込んだ紙切れだけだった。
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