第2話:躊躇疵分合
気付けば女に。気付けば見知らぬ場所に。
フィクションではよくある話だが、実際に起きると思う者はいまい。後者ならともあれ、前者は特に。
目覚めた部屋にあったドアは鍵がかかっているという訳でもなかったし、何に遮られるという訳でもなくすんなりと開いた。
体が女になっているという点はさることながら、置かれた状況が拉致の類と仮定してみても引っかかる点は数多くある。
だがまぁしかし、あらゆる内容を踏まえてこれだけは言わせてほしい。
「訳がわからねぇ……」
原因も目的も分からないようなことが同時におきすぎている。
突然の性転換。見知らぬ場所。そして――。
靄がかかったように、昔のことが思いだせないということ。
自分が特に珍しくもないような人間であったことは思いだせるが、詳細なことが思いだせない。記憶にある人物は、顔は浮かんでいても名前は軒並み思いだせない。
名前が思い出せないというのは、俺自身も含めてだ。
ひょっとしたら自分は最初から女だったのかもしれないだの、夢を見ているだのと思いたいが――どうやらそうもいかないらしい。
「あっ、私だ」
廃ビルのような不気味で殺風景な廊下を歩くこと数分、突然背後から声がした。
子供の声だ。自分の正気を疑いつつあった中、不気味な景観でそんなものが聞こえては身もすくむ。
見たら死ぬ類の幽霊では? と嫌な寒気が身を包むが、振り向かない訳にもいかないのでぎこちない動きで俺は声のした方向へと視線を移す。
「あぁ、やっぱり」
声のとおりな容姿の者がそこにはいた、十歳いくかいかないか程度の少女だ。
小奇麗な格好に、身長の半分くらいはある長い髪が目を引くが、俺の疑問は別のところにあった。
「やっぱりというと……?」
少女らしからぬ落ち着き様、少女には似合わないシチュエーション、そして先程の台詞……。湧き上がる疑問の真相を確かめるべく、俺は目の前の少女に問う。
「……あなたは私で、あなたは本来あなたじゃない。……言ってることわかる?」
なるほど、なるほど……。
普段の日常でこんなこと言う者が現れればまともに相手をしようとは思わないが、この状況であれば話は別だ。
「君――いや、貴方はこの体の本来の持ち主ってことかな?」
「そういうこと」
良いのか悪いのか……疑問が一つ解消された。
俺のこの体は性転換ではなく、誰かの体と入れ替わっているらしい。話から察するに、目の前の少女の中身の女性が、今の俺の体の人物らしい。うーん、分かりづらい状況だ……。
「その口調、あなたはこの体の持ち主ってわけじゃなさそうね?」
少し状況が飲みこめてきた中、目の前の少女はそう口にした。
「ああ、残念ながら中身はおっさんだよ」
「……そう」
俺の返答を聞き、少女は顔を逸らし、表情が陰ったのを感じた。
むこうからしたら複雑だろう、自分の体が見ず知らずのおっさんに操られているわけだからな……。
だがしかしだ、味方に数えても問題なさそうな人物が現れた。拉致の類ではと不安がぬぐえなかった中、これには少々安堵する。
「どういう状況か説明できないかな? 俺はさっき目が覚めたばかりで、記憶もおぼろげなんだ」
何か有用な情報が得られないかと期待する俺だが、
「ごめんなさい。私も少し前に目覚めたばかりで、あなたと同じく記憶が曖昧で、どうしてここにいるのかもわからないの……」
どうやら目の前の少女も状況は同じらしい。
人には会えたが、進展は無しか……。
いや、考えようによってはより面倒な状況だということが分かった。
目の前の少女の中身が、今の俺の体の人物なら、俺の体は今どうなっている? 最低でももう一人体が入れ替わっていると考えるのが自然だろう。まさか目の前の少女の人格が俺の体に……。
「……だったらいいけどね」
状況について愚痴を漏らす俺に、不穏なことを少女は呟く。
「嫌なこと言うなよ……」
まさか何百人もランダムに入れ替わっているとかないよな……だとしたら……。
いや、この際数は関係ないか、元の体に戻れるのかこれ?
「とにかく外に出るなり、連絡できる設備なりを探しましょう。どうするかはとりあえず安全を確保してからってことで」
疑問や不安に頭を悩ませていると、少女は今後のプランを切り出す。
だが……。
「危険なんじゃないか? 拉致の類だったとして、俺達をここから出したくない勢力なんかが見回りをしていないとも限らないし……」
「じゃあ何? このまま大人しくここで餓死するまでじっとしてるの?」
…………。
言われてみればもっともだ。危険は伴うが、何かしらのアクションは起こすべきだろう。では慎重に行動しようと、場の空気を固めようとする俺だが、
「その前にちょっと顔を降ろして」
少女が手振りでしゃがめと合図したので俺は言われた通りにする。
その後、少女がカバンから何かを探り始めたあたりで何か嫌な予感が少々し始めたが、少女が取り出した物は――何らかの小物入れだった。
「何それ?」
「化粧ポーチ」
何でそんなものを今……と思う俺だが、
「今あなたすっぴんよ? あなたっていうか私だけど。すぐに済むからちょっと動かないでいて」
「いま大事なのかそれ? つーかどこで手に入れたんだそれ……」
「すっぴん見られて嬉しいわけないじゃない。道具はその辺探してたら見つかったから持ってきただけ。ほら、目つぶって」
分かるような分からないような理由を話されるが、「はいそうですか」とはならない。
「それ本当に安全なのか? 中身が毒だったらとか考えないの?」
「大丈夫よ、さっき自分で試したもん」
そう言うと、少女は袖をまくって肘の裏側あたりを見せてきた。肌に合うかどうかはここいらに塗って調べるんだっけか? 化粧品を使ったことなどないのであまりよくは知らないがこのタイミングで見せてきたというのは恐らくそういうことなのだろう。
同時に、袖をまくる所作を目にした事であることを思い出す。
確かこの体の手首には……つまり目の前の少女の中身は……。
恐怖や憐み、その他諸々の感情を抱きつつ、俺は「なるほど」と口を開き、メンヘラ淑女の要望通り瞼を閉じる。そのことを思い出してからは、こんな状況下でも化粧をしたがる理由が何となくわかった気がした。
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