第3話:まつ毛むしりと件のオーメン



 まだ終わらねぇのかと何度思ったことか。


 少女の体をしたメンヘラに顔面をいじくられ続けて早数分が……いや、おそらく十分は優に過ぎたことだろう。


 終わりの見えないこの時間、何かについて思いをはせるのは当然の帰結だった。何せ退屈以外の何物でもない。


 こんなにメイクに手慣れた少女もそうそういないだろう。目の前の少女も中身が別の人物であるのは確かだとして、気になるのは我々がこうなってしまった原因だ。


 普通に考えて体が入れ替わるなどフィクションでもない限りはあり得ない。例外でもあるとすれば多重人格の奴の脳内での話~とかそんな所だろう。


 俺が適当に思いついた仮説はこうだ、


1・これは夢である。


2・脳を物理的に他の体に移植される等、納得できそうな理由でこうなっている。


3・魔法だ超常現象だで納得も理解もできそうにない理由でこうなっている。


 選べるのであれば迷いなく1を所望したいが、感覚がしっかりしているという自覚がそれを真っ向から裏切ってくれる。現にこうしている今も顔面はくすぐったくて仕方がない。


 現実的に考えるなら2なのだが、そうであるならば、大型の病院や秘密の研究所だで目を覚ますのが妥当だろう。目覚める少し前に謎の組織に拉致をされてここに、なんて無理やりな推測もできるが、頭に縫い痕などがあるわけでもないし、ひきつれも痛みも無い。


 そうなるとこれを結論にしたくはないが、考えられる限りは消去法で3になってしまう。別段、改造手術のモルモットにされていたと考えたいわけではないが、これはこれであってほしくない。何にせよ気持ちのいい状況でないのは確かだ。


 気の沈む勘繰りと、いい加減うんざりしてきた顔面のもどかしさに心を痛めていると、


「……うん。こんなところかな」


 今最高に聞きたかった台詞が俺の耳に届いた。


「……早かったな。ずいぶんと」


 ため息交じりに俺はつぶやく。吐こうと思って出てきたわけでもないため息の大きさには自分でも軽くびっくりだ。


「ごめんなさいね。色々と私の使ってた道具とは全然勝手が違って大変だったの」


「そうかそうか分かった分かった。じゃあまあ、これで出発ってことでいいんだな?」


 しゃがみ続きで曲げっぱなしだった脚をほぐしつつ、俺は今後のプランを確認する。


「ええ、そうね。あっ、あんまり顔には触らないでね? 化粧崩れるから」


 面倒くせぇ注文を次々と……。


 そうと言われた途端、まつ毛をむしり取りたいような衝動がして仕方なくなった。マスカラだか、アイプチだか、つけまつげだか知らんが違和感が半端ではない。


 だが現状こんなでも、このわけのわからない状況下で行動を共にする数少ない人間だ。仲違いするのもよくはないのでここは涙を呑んでおくとしよう。化粧品でドス黒く変色しているであろう忌々しい涙を。



 化粧も終わり、廃ビルのような殺風景な景観の廊下を歩き始めてみて、気付いたことがある。窓から外の様子を見るにここは建物の上層階らしい、現在いる階層は五階程度だと思われる。目覚めた部屋を出てすぐにでも内装が廃ビルのようだと感じたのは、何となくそれを感じ取っていたからなのかもしれない。


 窓の外には電気のついている建物が見えたのでとりあえず行くアテはできたが、あの建物にいる人物が味方であるとも限らないので、とりあえずこの建物の探索から始めてみようという運びになった。


「ところであなた、この場所について何か覚えはある?」


 建物内の探索をしていると、横で少女がそう尋ねてきた。


「いや全然。こんな建物の周りがだだっ広い所なんて初めて見たよ。どこか僻地の秘密施設とかなのかねぇ?」


 建物の周りの不気味な何も無さは、特殊部隊が秘密ミッションで破壊工作しに行く違法施設でも思わせるような景観だ。これに比べれば田舎のコンビニの駐車場がよっぽど窮屈に感じる。夜中で周りの灯りも乏しいので、どこまでこのだだっ広さが広がっているのか見当もつかない。


「そうかもね……私もあまり覚えはないわ。無事に帰れるといいんだけど……」


 少女も覚えがあるわけではないらしい。というかだ……。


「訊きそびれていたんだが、あんた名前は何ていうんだ?」


 この女を少女ととらえるのも、メンヘラととらえるのも何かが違う気がする。相変わらず俺自身の名前は思い出せないが、今後の為にと訊いてはみたのだが、


「うーん……あなたの方から教えてくれるのなら」


 名を尋ねるならまず自分から名乗れ、か。納得はできる言い分だが、この場合は少し困ってしまう。


「実は言い辛いんだが……こんなことになった影響なのか、名前が思い出せないんだ」


「あらよかった。実は私もそうなの」


 ……言い辛いからってまず先に俺に言わせたなこいつ。


「適当な名前付けてよ。あなた、お前で呼び合うのも何か老夫婦みたいであれだし」


 こいつが注文をしてくるのにも多少慣れ始めてきたが、中々に困った注文だな……。


 当たり障りのない仮の名前……『Aさん』とかが一番当たり障りがないが、俺の体が見つかっていない以上、メンバーが増える可能性があるしそれは一人ではないかもしれない。そうなれば性別なんかが分からなくなるアルファベット案は微妙だな……。


 そんなこんなで俺が適当に思いついた名は、


「……ジェーンとかでどうだ?」


「ああ、なるほど。じゃああなたはジョン?」


「ああ、それでいこう」


 適当な名前といえばこれだろう。向こうも元ネタを汲んでくれたのか自然と俺の呼び名も決まった。


 そうしてジェーンと共に建物内を探索して少しした後、事件は起こった。



 


 先程いた五階程度の場所から探索を開始し、フロア内をざっと探索しては階段を下りるのを三回は繰り返した。目算が正しければ今いる場所は二階なのだろう。


 各階を探索したものの、結論から言って役に立ちそうな物は何もなかった。いや、役に立ちそうな物、というよりは”何もなかった”が正しい。


 ロープだ、ライターだ、ナイフだ、こんな状況で見つけて嬉しいものはもちろんのこと、瓦礫片や、ボロ椅子などあってもおかしくなさそうな物なども含め、本当に何も見つからなかった。廃墟にしては埃やゴミもあまり散らばっておらず、それがまた不安を掻き立てる。そして、やってみれば解るが夜中の廃ビル探索は酷く恐ろしい。相手がメンヘラでも、今は一人じゃなくてよかったとしみじみ思うね。


 各階は全て同じ構造をしており、ペーパーカンパニーのような何もない小部屋がいくつかと、トイレがあるのみだ。トイレの中も調べてみたが、水は通っていなかった。


 またどうせ何もないんだろうなあと諦めムードが漂う中、今いる階の探索を始めようとしたその時、俺はある異変に気付く。


「……なあ」


「何?」


 真剣な眼差しで俺の呼びかけに答えるジェーン。訊きたいことはそれほどシリアスなものではないので、こっぱずかしさから目線を逸らしつつ俺は、


「トイレに行きたいって感覚は、男女とも同様の感覚なのかな?」


「いや女のままの私に訊かれても……」


 ……そうだった。我ながら阿呆な問いをしてしまった……。


「したいの?」


「う、うん……」


 面と向かって答え辛い上、あんな問いかけをしたばかりなので顔をそむけつつ俺は返答する。


「まぁ多分だけど、男の人ほど我慢はできないと思うの。手遅れになる前にした方がいいんじゃない? 水は流れないけどそうも言っていられないし」


 確かにそうだが……。


「どのフロアも紙が置いてあったりはしなかったよな。勝手を知らない体なわけだし、正直どうなるかは……」


 元の体なら正直振ったりすればなんとかなるんだが、この体じゃそうもいかないだろう。本来の体の持ち主がそばにいる以上、ぞんざいにも扱えないので俺は問題点を打ち明ける。


「……じゃあ見ててあげるから言われた通りに――」


「えっ?」


 気のせいだろうか、耳を疑うようなことが聞こえた気がする。


「……えっ? 見られながらするの?」


 聞き間違いであってほしいと思いながら確認を取る俺だが、


「初めてすることを口頭でだけ教わってすぐに出来るの?」


「…………」


「それに、失敗されたら困るのはあなただけじゃないんだし、私の体なんだし問題ないでしょ別に。拭く物もほら、ティッシュなら持ってるし」


 そういうわけで……失敗されて困るのは俺だけじゃないと言われたあたりから断れそうな空気でもなくなり、ついには本当にそういう運びとなってしまった。

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