夢の彼氏はいつまでも

腹筋崩壊参謀

【短編】夢の彼氏はいつまでも

『今日の夕ご飯、何を作ってくれるのかな?』


 夕焼け空が広がる窓の傍で、今日も『彼』は台所にいる私に甘い声をかけてきた。勿論私の答えはいつもと同じ、出来てからのお楽しみ、だ。


 ふんわりとした黒い髪にいつでも見とれてしまう美貌、アイドル顔負けの体つき、そして困った時にはいつでも私の味方になってくれる――理想のイケメンが形となって現れたような彼と付き合い始めて、もう何年になるだろうか。気づけば一つ屋根の下で同棲するまでに距離を縮めていた私たちの楽しみは、毎晩の料理だ。

 いつも彼は、私が作る料理を何よりも楽しみにしてくれる。よく焦がしたり煮すぎたり、時間をすっかり忘れたりとずぼらさのせいで失敗ばかりな私の作品でも、彼は常に美味しく、そして嬉しそうに食べてくれる。その時に見せる笑顔を見るだけで、私の心は最高の気分で満たされ、明日への活力になる、という訳だ。


『いい匂いがしてきたね……あ、もしかして?』

「ふふ、分かってても内緒にしてくれれば嬉しいな……」

『了解。楽しみにしておきます♪』


 悪戯げに見せた彼の笑顔が良いスパイスになったお陰か、その日の私の料理はとんとん拍子に完成へと進んだ。野菜や肉を切り、鍋の中でじっくりと温め、水を入れて煮た後、中にルーを加えて程よく粘りが出るまで混ぜる――そして私たちの目の前には、本日の夕食であるカレーライスが並ぶ事となった。

 いただきます、の声とともに、私と彼は同時にスプーンを口に運び、その味を思いっきり堪能した。焦げ目もなく具の大きさも完璧、というのが私自身の感想だったけれど、1つだけ心配な箇所があった。私にとってはちょうど良い味かもしれないけれど、もしかしたら彼には若干甘すぎたかもしれない、と。だけど、まるで味を審査するように目を瞑りながらじっくりと味わい続けた彼からの回答は――。



『……うん!美味しい、とても美味しいよ!』

「ほ、本当……!?」

『勿論さ!自信持ちなよ、僕が言うから間違いないさ』



 ――最高の賞賛、最高の笑顔だった。


 正直、目の前で美味しく夕ご飯を食べている彼の様子を見ているだけで私のお腹や心は満たされそうだったけれど、我ながら今回のカレーはとても良い出来で、彼共々あっという間に食べ終えてしまった。美味しいから、と何杯もお代わりをした彼のおかげで、鍋の中もすっかり空っぽだ。

 再び声を合わせてごちそうさまの挨拶を交わした後、食器や調理器具を洗う彼を眺めながら、私はリビングでのんびり寛ぐ事にした。あまりにもたくさんカレーを食べたせいか、次第に私の体は心地よい眠気に包まれ始めていった。



「ふわぁ……あっ……えへへ……」

『ふふ、気にしなくていいよ。ぐっすりおやすみなさい』

「ありがとう……私、とっても幸せだよ……」

『どういたしまして。この僕もさ』

 

 そして、彼の優しい言葉を布団代わりにしながら、私は次第に意識を暗闇の中へと沈めていき――。



~~~~~~~~~~


「……はっ……」



 ――夜の帳が包み込む、静寂に包まれたマンションの一室で意識を取り戻した。


 周りに広がっていたのは、とっくに見慣れた、いや見慣れてしまったの光景だった。片付けが面倒だからと放置した結果山積みになった封筒や手紙、ノートの山。傍らに転がるTシャツやブラウス。そして台所に残された、洗ってすらいない調理器具。幸か不幸か、この酷い有様を見て注意する人は、私の傍にはいなかった。生まれてこの方『彼氏』という存在に巡り合えてすらいないのだから当然かもしれない。


「はぁ……」


 ため息をつきながらも、私はゆっくりと立ち上がり台所へと向かった。いちいち食べ終わった後の食器や鍋を洗わないといけないのは面倒だけど、今洗っておかないとまた大量に溜まってしまう。夢の中なら『彼』が全部やってくれるのに――そう思ったとき、私はある不思議なことに気が付いた。ここ最近、何故か私は連続して同じ夢――超絶美形のイケメン男子を彼氏に持ち、一緒に夕ご飯を食べて二人の時間を心行くまで堪能する、と言う内容ばかり見るようになっていたのだ。しかも目が覚めた後もその内容は頭から消えることなく私の中に残り続けていた。何せ夢の中で料理する夕ご飯は、決まって現実世界で私が1人で作り、1人で寂しく食べる夕ご飯と同じ中身なのだから。


 とはいえ、今回の夢の中で私が『彼』へ作ったカレーは手間暇かけた手料理だったのに対し、現実世界で私が作ったのは鍋で温めただけのレトルトカレー。やっぱり心の中で、彼氏を作りたい、恋人への手料理を作りたいという思いが日増しに膨れ上がっているのだろうか――そう考たせいかもう一度ため息をつきながら台所へ足を踏み入れた、その時だった。



「……?」



 一瞬、私は目の前にいた存在を認識することができなかった。そんなのいる訳がない、と頭の中で否定したかったのかもしれない。だけど、私の瞳に映ったのは紛れもないだった。私の手のひらほどの大きさの、長い触手と、黒い流線型の体と、そこから覗く6本の足を持つ、私以外の存在――。



「……きゃああああああああああああああああああ!!!!!」



 ――世界で最も嫌われる、で示される名前すら呼びたくない『』が、台所の中を悠々と歩いていたのだ!



~~~~~~~~~~


 思い出すだけでも身がよだつあの惨劇から、月日が流れた。

  

「ふわぁ……」

 

 あの後、無我夢中で必死に『害虫』を家の外へと追い払った私は、応援のメッセージを見てわざわざ駆けつけてくれた友達と一緒に、あの恐ろしい『害虫』が現れないよう懸命に部屋の掃除や対策を行った。一人暮らしとはいえ、こんなに家の中を汚くするからあんなのが居座ってしまうんだ、という厳しい言葉に反省しつつ、私は友達と共にあの『害虫』が現れそうな場所へ様々な罠を仕掛けておいた。そのお陰か、あの日以来私の部屋の中に『害虫』が現れることはなかった。のんびりあくびをしながらリビングで寛げるほど、私は平和を取り戻したのである。


 だけど、不思議なことにここ最近の私はあの夢――黒い髪が似合う超絶美形のイケメン彼氏と一緒に楽しい時間を味わうと言う内容の夢を見る事が無くなっていた。もしかしたら熟睡している間に見ていたかもしれないけれど、目覚めてもその内容は綺麗さっぱり忘れてしまっていた。結局あの夢は何だったのか、という残念な気持ちはあったけど、逆に私は彼と会えなくなった事で少しだけやる気を作り出す事ができた。二度と夢が見れなくなったのなら『現実』で叶えれば良いだけ、いつかアイドル以上のイケメンを彼氏に持ち、美味しい手料理を一緒に食べるんだ、という前向きな気持ちである。


 ただ、ここ最近の私は若干その根性が薄れていた。


「……あー……どうしよう……」



 瞳に映るのは、また床に放置され始めた書類やノート、衣類の数々。そして左に目をやれば、洗うのを忘れたままの皿や茶碗が放置された台所。だけど、その時の私はやる気より眠気の方を優先したいという心で満たされていた。しばらく仮眠した後に掃除やら食器洗いやらをすれば問題ないだろう、と思いながらも、次第に私の意識は薄れていき――。




『……はよう』

「……っ……」


『おはよう、お寝坊さん』 

「……んっ……!」


 ――懐かしく暖かい声で、意識を取り戻した。



『ふふ、久しぶり♪』

「わぁ……!」


 私の傍にいたのは、ずっと会えないと思っていたあの『存在』だった。ふんわりとしたについ見とれてしまう美貌、アイドル顔負けの体つき、そして私の心を包み込んでくれる優しい声――『彼』が再び、私の前に現れてくれたのだ。嬉しさのあまり抱き着く私の頭を優しく撫でながら、今日も美味しいご飯を楽しみにしている、と彼は優しく声をかけてくれた。ここは現実ではなく夢の中。それでも、私と彼がいつでも通じ合っているという事を認識できるだけでも、私はとても嬉しかった。彼の優しさに応えるためにも、今どんな人が作るご飯よりも美味しい料理を作って、彼との時間をたっぷりと楽しまないと――決意を新たにしながら、私は笑顔で台所へと向かった……。


♪』

「……うん!」


<おわり>

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