梅田へ出た二人は、真新しいオフィスビルの地下にあるイタリア家庭料理の店に入った。


 一時近くになっていたので店はちょうど落ち着いてきたところで、二人は入口から一番奥のテーブルに案内された。そばの壁には大きな風景画が掛かっていた。

 オーダーを済ませたあと、勝也は店内の効きすぎの暖房に顔をしかめてジャケットを脱ごうとした。しかし途中でその手を止めた。

「どうかしたの?」麗子は怪訝そうに勝也を見た。

「いや、別に」

「暑かったら脱げば?」

「……銃を持ってるから」勝也は声をひそめて言った。

「嘘、何やってんのよ?」麗子は露骨に迷惑そうな顔をした。「持ってこないでよ。そんなもの」

「置いてくるの忘れたんや。銃弾たまは入ってない」

「……まあ、不法所持ってわけではないけど」

 そう言うと麗子は後ろを振り返ってウェイターを呼び、暖房を少し緩めてもらうように頼んだ。

 勝也はテーブルに両肘を突き、顔の前で手を組んだ。「なあ」

「何?」

 麗子は微かに首を傾げて、微笑みながら勝也をじっと見つめた。

 勝也はどきっとした。いくら九年間で見馴れているとは言え、そんなに綺麗な顔で見つめられてはさすがに男として応えるものがある。まさにノックアウトだった。

「……いや、ええよ」勝也は思わず俯いた。「何でもない」

「言いなさいよ。相変わらず、そうやってちっともはっきりしないのがあんたの悪い癖よ」

「たいしたことやないから」

 麗子はやれやれと言うように溜め息をついた。

「……あたし、分かってるのよ」

「えっ?」

「言ったでしょ。あんたのことはだいたい分かるって」

 麗子は得意げに言ったが、すぐに俯いた。「と言うより、あたしの今までの経験が分からせるって言うべきね」

「今までの経験?」

「……あたし、自分が世間で言う美人だってこと、分かってるつもりよ。小さい頃からずっとそう言われてきたし、高校生の頃はそれが快感だった。ほら、欧米人の中では東洋人はどうしても地味な存在でしょ? だからブロンドの髪や青い目の女の子たちの前で、みんながあたしを美人だって褒めるのが気持ち良かったわ。でも、そのうち分かってきたの。それって確かに褒め言葉ではあるけれど、結局のところ、あたしという人間に対する評価はそれ以外には何もないってことが」

 麗子は情けなさそうに勝也を見た。「要するに、お人形よ。男性誌のカバーガールと同じ」

 勝也は麗子が学生時代に何度となくモデルクラブや芸能プロダクションの連中にスカウトされ、そのたびに 嫌悪感を剥き出しにしていたのを思い出した。

「あたしが就職せずに大学に残ったのは、もちろん研究を続けたかったのが第一の理由だけど、あの歳で社会に出たときに自分がどんな扱いを受けるかが分かってたからっていうのもあるの。どうせ男の目を喜ばせる飾りもの、受付嬢か、たいして忙しくもない役員秘書ってとこね。いくらあたしが抵抗しても無駄だろうって思ったわ」

 麗子は自嘲気味に笑った。「あんたも今、あたしの顔を見たとき、何か文句の一つも言おうとしてた気持ちを失ったでしょ?」

「いや、そんなこと──」

「今までつきあってきた男、結局みんなそうだったわ。あたしと一緒に生きようっていうよりも、一緒のテーブルに座らせて周囲の注目を集めたいだけなの。あたし、そんなことにはもううんざりなのよ」

 麗子は訴えかけるように言うと顔を上げた。

「勝也、あんたは違う? さっき言ってたみたいに、自分が本当に安心できる相手としてあたしを選んでくれた?」

「おまえ、俺のこと分かってるんやろ」勝也は穏やかに言った。

「ええ。ただし、今までの親友としてのあんただったらね」と麗子は頷いた。「でも、恋愛の対象としてのあんたはどうかしら」

「俺は容姿で女を選ぶような男やないよ。もしそうやとしたら、おまえのことを何で九年間も放っとく?」

「勝也──」

「なんぼでもチャンスはあったはずや。いくら俺が優柔不断でも、そこまで我慢はできひんよ。男やから」

 分かったわ、と麗子は微笑んだ。「それが一つ心配だったの」

「それにしても、人が聞いたら怒るような悩みやな」

「でしょ。誰に言ったって相手にされないわ」

 そこへ料理が運ばれてきた。ウェイターはセッティングの間じゅう、麗子をちらちら見てばかりいた。その反面、勝也に対しては極めて冷たい視線を向ける。あまりにも露骨な違いだった。

 ウェイターが去ったあと、二人は思わず顔を見合わせて笑った。

「──でしょ? 頭に来るわ」

「頭に来るのは俺の方や」勝也は灰皿を脇に寄せた。「俺が何をしたって言うんや?」

「つまりこういうことなのよ」麗子はまた沈んだ表情になった。「みんな、今のあんたみたいな気分にさせられて、あたしといることが嫌になるの。最初の動機が動機なだけに、周りの視線が気になり始めるのね。羨望の視線だけじゃなくて、妬みの視線が」

「俺は違うぞ」

「あんたのこと言ってるんじゃないのよ。今までがそうだったってこと」

「確かに、おまえが綺麗な顔してて良かったとは思うけど……」

 勝也はぼそぼそと言うと顔を上げた。「それ以上の感想は今のところないな」

「もう見飽きたってとこね」

「おまえの方はどうなんや」

 今度は勝也が深刻な表情で訊いた。

「あたし?」

「俺のこと、まだ兄妹みたいに思ってるんやないのか」

 麗子は黙って首を傾げ、テーブルの料理をぼんやりと見つめた。

「……やっぱりな。その方がええか」

「違うわ。誤解しないで」

「誤解?」

 勝也は片眉を上げて、いくぶん挑戦的な眼差しを向けた。

「ちょっと……何怒ってんのよ」逆に麗子は笑った。「落ち着いてよ、刑事さん」

「からかうなよ」

「真澄のことが引っかかってるのよ」

「あ──」

「あたしの従姉よ。それこそ姉妹きょうだいみたいな」

「……うん」

「それにあたし、ついこのあいだ、しばらく男はお預けだって決心したところなの」

「それを律儀に守ろうって言うんか? 修道院のシスターみたいに」

「そうじゃないけど──そう簡単に気持ちが盛り上がると思う? もう恋愛なんてこりごりだとさえ思ってたんだもの」

 麗子はまるで女友達に愚痴をこぼすような言い方をした。

「俺にその気持ちを撤回させるだけの魅力はないってことや」

 勝也は自嘲気味に言って料理をつついた。「まあ確かに、今までは兄妹やったんやからな」

「もう、いちいちひねくれないでよ」

 そう言った麗子を勝也は上目遣いで見た。麗子は呆れたように溜め息をつくと、声のトーンを落として言った。

「……兄妹とあんなに長いキスする?」

「そしたら──」

「もちろん、あんたが好きよ」麗子はまっすぐに勝也を見た。「ただ、今言ったみたいなことがあるから、少し消極的な気持ちになってることも確かよ。そこは長い目で見てくれない?」

「分かった」

「九年も遠回りしたんだもの。この際構わないでしょ?」

「そう考えるようにするよ」

 二人はそれぞれにほっと溜め息をつき、しばらくは食事を進めた。やがてそれも終わり、ウェイターが食後の飲み物はコーヒーか紅茶か、コーヒーを頼んだ勝也にはカプチーノかエスプレッソかを訊ねて戻っていったあと、麗子が嬉しそうに勝也を見つめて言った。

「ねえ」

「うん?」

「あたし──今日あんたと会うのに、初めて着ていく洋服に迷ったわ」

「そうか」

 勝也は照れ臭そうに微笑んだ。


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