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俺は正しかったのだろうか、と勝也は昨日からずっとそのことだけを考えていた。
自分の気持ちに正直になる。何が悪い? ちっとも悪くない。
他人はもちろん、自分にも嘘をつかずにいることなんて、 まったく理想的な生き方だ。誰もがそうありたいと願っているに違いない。
ただ……問題はそのやり方や。
デスクに向かい、今年中に片付けなければならない書類の山を前にして、勝也は頬杖を突いていた。
ベージュのコーデュロイシャツを肘のあたりまでロール・アップさせ、年季の入ったブルージーンズをはいていた。肩には空砲の拳銃をおさめた黒革のホルスターを着けている。
彼は警官だった。相棒が今休暇中で、自分も先月若い男に脇腹と腿を刺されてつい先日ギブスが外されたばかりだったので、しばらくはこうしてデスクワークに就くことにしていたのだ。
それにしても、さっきからまったくと言っていいほど
「──巡査部長、昨日のデートはうまく行かなかったんですか?」
後ろから話しかけられて、勝也ははっとして振り返った。
彼の所属する刑事課の庶務を受け持つ婦警の
「え、いや、別に……」勝也はぼんやりと答えた。
「だって、さっきからずっと考えごとしてはるじゃないですか。昨日のお相手とはうまく行かへんかったのかなって」
「……別に、そんなことないけど」
勝也は曖昧に首を振った。そして手首にはめた腕時計を香代に示した。「あ、これ、ほんまにありがとう」
その腕時計は昨日婦警たちから勝也に送られた誕生日プレゼントだった。
昨日のクリスマス・イヴは、彼にとっては二十九回目の誕生日でもあったのだ。
昔から、誕生日とクリスマスが一緒に来るなんてどうも損をした気がして仕方がなかったのだが、今ではこうして誰にでも覚えてもらえて、かえって得だとさえ思うようになっていた。
「いいんですよ。それより、彼女にもらったプレゼントの方がずっと嬉しかったんでしょ?」
香代はアーモンドのような目を柿の種のように曲げて勝也を見た。
──彼女か。彼女っていうのは、どっちのことなんやろう……。
「ね、どんな女性なんですか? 鍋島さんの好みのタイプって」
「いや、そんなんはもうええから」勝也は困って手を振った。
「もったいつけてないで教えて下さいよぉ」
その時、デスクに置かれた電話が一斉に鳴った。勝也は救いの神、とばかりに受話器を取った。
「刑事課」
《──勝也、あたしよ》
救いの神は彼にとっての愛の女神でもある、三上麗子だった。
「……ああ」
勝也は曖昧な返事をした。そしてそばに立っていた香代をちらりと見上げると、香代は小さく肩をすくめて立ち去った。
《……勝也、今、構わないの?》
麗子は普段以上にしゃがれた小声で言った。
「何やその声。二日酔いか?」
勝也は面白そうな表情になった。「飲み過ぎたんやろ」
《誰のせいだと思ってんのよ》
言い返した麗子の声は深刻だった。《言っとくけど、今さらあんたと減らず口を言い合うために電話したわけじゃないからね》
「分かってるよ」と勝也も真顔に戻った。「それで?」
《……あたしたち、いろいろ話さなきゃならないことがあると思うの》
「ああ、そうやな」
《近いうちに会えない?》
麗子はまるで仕事の用件を話しているようにあっさりとした口調で言った。
《あたしの方は大学が休みに入ってるから、あんたに合わせるわ》
「そうやな──今ちょっと仕事がたまってるし──」
《あんたまさか、その身体でもう追いかけっこしてるの?》
「心配してくれてるのか?」勝也は小さく笑った。
《当たり前でしょ。友達だって心配するわよ。生死の間をさまよったんだから》
「……まあええか」
勝也は言うと勝也はデスクの卓上カレンダーを覗き込んだ。
「しばらく夜勤はないし──あ、明日の昼やったらいいけど」
《いいわ。じゃあそっちに行くから。何時?》
「十二時頃がええかな」
《分かった。じゃ、河向こうの美術館の前で待ってるから。お邪魔したわね、仕事続けて》
受話器を戻した勝也は小さく溜め息をつき、呆れたように首を振って独り言を呟いた。
「……色気も何もあったもんやないな」
そして勝也はコーヒーを手に取ると、今度は真澄のことを考え始め、ひどく憂鬱な気分になった。
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