ふるさと地球に墜つ


「歯を食いしばれ」

「断る」


 自分の襟首をつかもうとするレッドを、ヒグモはひらりとかわした。


 レッドが怒るのも仕方ない。

 もう少しでハビタットごと殺されるところだったのだから。


「ハビタットのシステムに捨てられたんだから、今更オレ様に捨てられてもたいして変わらないだろ」

「だから怒ってるんじゃねえか!」

「わかったよ、1発だけな?」


 神妙に直立不動の体勢を取るヒグモ。

 レッドは拳を振り上げ――当たる寸前で止めた。

 拳の先に、泣きそうな顔のメンカの表情があった。


 それがすぐヒグモの顔に戻る。


「……やると思ったぜ、てめえ」


 レッドは舌打ちして拳を戻した。


「あれ? 殴らないの? 人格は違っても同一人物だぜ? 男女差別は良くない」

「人格が違うところが重要問題なんだよ!」


 ヒグモ達を乗せた宇宙作業艇はゆっくりと地球に向かっていた。

 長距離移動を想定されていない作業艇はスピードも出なければ噴射を続ける燃料もない。

 向かっているというより、漂流しているに等しかった。

 だがどのみち大気圏に突入するためにはラーディオスの力を借りねばならないので、再使用までの時間を稼ぐと思えばむしろ好都合というものだ。


 その長い時間は休息と食事――遭難時用のサバイバルキットが常備されていた――と、ヒグモの紹介に使ってもまだあまりがあった。


「だからって、くだらねえ喧嘩なんかしてんなよ。酸素の無駄だぜ」


 ヒグモとレッドのやりとりを退屈そうに見ていた絶遠は、大袈裟に欠伸をしてみせた。


「そんなことより、やることがあるだろ」

「なんだよ散々人を弄んだ挙句、大口叩いて出ていってほぼ役に立たなかった奴」

「…………これを見ろよ」


 涙目の絶遠が指し示したのは、レーダー図だった。


「これが今のこのしみったれた作業艇の位置。この円が地球。そしてこの6つの点だが、何かわかるか?」

「スペース・ハビタット……?」

「そうだ。シリンダー部分があるべき位置を越えて移動している。まあ、わかりやすくいうとだ、既に破壊された第7管区シリンダーを除いて、残る6基が地球に落下しようとしている」

「管理システムの言ってたこと、脅しじゃなかったんだ……」


 船内が静まりかえ――らなかった。

 ヒグモが胸を張って勝ち誇った笑みを浮かべたからだ。


「つまりあの時第7管区を破壊したオレ様の判断は正しかったってことだな!」

「ホントにおまえ殴っていいかな?」


 冷笑的なヒグモの表情が1転、不安と憂いに満ち溢れる。

 メンカに切り替わったのだ。


「ハビタットの落下、止めないと……!」

「今更だけど、人格と表情の振れ幅が広がると、会話してて怖いな」

「そんなこと言ってる場合!? ハビタットが地球に落ちるってことは……、えっと、どうなるの?」

「流石に核の冬までは起こらんだろうが、相当の被害が予想される」


 首を捻るスゥに、操縦士席をグルグルさせながら絶遠が答えた。


「相当って、具体的には?」

「……計算するのが面倒臭いほどだ」

「わからないんでしょ正直に言いなよ」


 オレは数学者でも天文学者でもなくてな、と絶遠は降参のポーズを取った。


「だが少なくとも60億トンの物体が落ちるんだ。地表に届く前に燃えつきてくれるってわけにはいかんだろうぜ。まあオレとしては落下そのものよりも、眠っている究極等級竜が目覚める方が怖いね」


 それぞれがそれぞれの頭の中で、最悪のカタストロフを想像する。

 沈痛な表情が並ぶ中、しかしヒグモだけが薄ら笑いだ。


「なんだぁ、てめえ? ニヤニヤしやがって」

「いやさ、スゥの奴が、地球がくす玉みたいにパックリ割れる想像をするからおかしくって」

「なんであんた、あたしの心の中まで覗いてるわけ!?」

「え、マジでそんな想像してたんだ」

「……し、しししてないし。あたしだってそんなの現実的じゃないってわかってるですし」


「ふざけてる場合か!」


 レッドは今度こそヒグモの胸倉をつかんだ。


「ふざけてる場合だよ」


 ヒグモはあくまでも冷笑的態度を崩さない。


「どうせ地球にいるERF兵士も、非斗も、ジェローム派も、オレにとっちゃ自分の存在を脅かす敵でしかねえ。コロニー落としで絶滅してくれるなら好都合ってもんだ。つーかよぉ、この中に、どうしても地球を守らなきゃいけないって奴がいるのか?」


 辺村は反論の言葉を失う。

 ハビタットの人々は同じ人間ではなかった。

 非斗にいたっては言うまでもない。

 地球自体、自分が知っているものとは大きく様変わりしてしまった。


 それでも地球とそこに生きている人々を救いたい、と即座に言い切れるほど、辺村はヒューマニストではない。


 人間の肉体を失ってしまった以上、精神性だけでも人間らしくありたいと思った時期もあった――が、苔色の地球を見て以来、辺村の中でこの世界の出来事は、ひどく遠い場所でのまぼろしのように映るのだった。


 それは絶遠にしたところでそうだろうし、同胞から人間爆弾にされたスゥ達だってそうだ。

 妻子さえ切り捨ててしまえるレッドにもハビタット落下を止めようという発想はないだろう。

 むしろスゥがラーディオスの変身時間を使い切れば地球に降りられなくなる可能性もあるのだ。

 再使用可能まで艇内の酸素は持つまい。


 今、この宇宙空間にいる限りは安全なのだ。

 地球がどのような被害を受けようと、対岸の火事である。


「たとえベムラハジメやスゥ、メンカがやる気でも、オレ様は動かねえぞ。たとえ世界最後の1人になっても、オレ様を守るのがオレ様の生まれた意味だからな」


 好きにしろよ、と絶遠が言った。


「ハビタット落下はオレが止める」

「……なんで」


 辺村には信じられない。

 絶遠だってあの変わり果てた地球を見たはずだ。

 非斗はもちろん合成人間達も人類の紛い物として嫌っている。

 そんな彼が、何故?


「簡単だろ。辺村、おまえの住む世界だからだ」

「…………」

「ヒグモとかいったな。おまえだって一生この作業艇の中で生きていられるとは思わないだろ? スゥやメンカに、可能な限り無傷の地球を遺したいとは考えないか?」

「…………」


 クサいことを言っちまったな、と呟いた絶遠は、照れ隠しのつもりか、エケケケケ! と笑った。

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