犬と少女


 シィはCATに近づいていく。

 その背後、少し離れた場所には武装した非斗の兵隊達が物陰に身を隠している。

 人間達がシィを信用して扉を開けた瞬間、一気に飛びかかる算段だ。


 シィが銃弾を盗もうとしたのがバレたとき、彼の教師は怒らなかった。


 ――君はすごく悪いことをしようとしています。しかしこれは君にとってチャンスでもあります。


 隠れ潜んでいる人間を兵隊に引き渡せば、一躍英雄になれる、と教師は囁いた。

 そうすれば、もっと勲章がもらえる。仲間から尊敬される。


 どちらかといえば愚鈍な方であるシィを懐柔するなど、教師にとって容易いことだった。

 名声欲や承認欲というものは非斗にもあって、そしてシィはそれに飢えている。

 更に付け加えるならシィは非斗なのだ。ヒトの友人よりも非斗の同胞に尽くすのは、考えてみれば至極当然だと、シィは思った。

 別にスゥ達が自分に何か恩恵を与えてくれるわけでもないのだし。


「まーちのゐよー こいちねおー ゆ」


 自分の選択によってスゥ達がどういう目に遭うか、シィはほぼ正確に理解していた。

 だが怖ろしいことに、開けてくれと呼びかけるその声は、いつもとまったく変わりない普段通りのもので、声色からシィの裏切りに気づくことは不可能だっただろう。


「……?」


 だが、いつもなら向こうから開けてくれるドアが、今日はうんともすんともいわない。

 救出作戦決行に備えて寝ているのか。

 シィはドアの開閉機構を動かしてみた。カチリと音がして、扉がわずかに浮く。


 ちらりと背後の兵士達を振り返る。

 視線を察して、何人かが音もなく走り寄ってきた。

 銃を構え、シィに開けろと指示する。

 シィはそうした。


 その瞬間だった。

 CATのキャビンから炎が噴き出し、シィ達を呑み込んだのは。

 炎にまとわりつかれた者達が狂ったように吠えながらのたうち回るのを、後方で待機していた兵士達は呆然と眺める。


「今だ!」


 資材の陰に隠れていたブルーとピンク、コラドは兵士達の背後に踊り出た。

 数発の銃声が響き――それで終わり。


「はっ、1発も撃ち返せねえのかよ。訓練が100時間足りなかったみてえだな」


 ピンクが鼻で笑った。


「CATは?」

「キャビンの中はひどい有様だが、走るのに支障はなさそうだ」

「そりゃよかった。荷物を積み直してすぐ出発――おい、271、ぼんやりしてんなよ」


 スゥの目の前には、虫の息のシィが転がっている。

 ひどい火傷だ。放置していけば、長くはないだろう。


「おい、行くぞ。そいつなら、仲間が手当をすれば助かるさ」

「……なんで、192とベムラハジメは、シィが裏切るってわかったの……?」

「裏切るも何も、あいつは最初から仲間じゃなかった」

「勲章をもらったときのあいつの喜びよう、気になってな。普段誉められてない奴が急にチヤホヤされると、気が大きくなってハッスルするか、でなけりゃ掌返しに馬鹿馬鹿しくなってよりいっそう捻くれていくかのどっちかだろ」


 自分は前者だったな、と辺村はしみじみ思う。

 ひきこもりとフリーターを行ったり来たりし、家族からは罵られ蔑まれるだけだった孤独な自分を、絶遠はパイロットという輝ける舞台に引き上げてくれた。

 だから当時の辺村は絶遠に心酔していた。ちょうど、ジェロームに対するコラドのように。端から見れば、友人や仲間というより子分のように見えただろう。


(あの頃は、絶遠のことを、本当に恩人だと思っていた。いい人だって――)


 自分が過去形を使ったことに、辺村は気づいた。


 今だって、恩人だと思っている。そうじゃないのか?

 そうでないとしたら、いつからだ? いつからそうではなくなった?

 それはもはや思い出せない。


 自分が昔馴染みの絶遠の手を振りきって、会って数日のメンカとスゥを選んだ理由も、辺村の中でははっきりしていなかった。


 辺村がぼんやりしているうちに、スゥ達はCATに乗り込んで走り出した。

 その振動で辺村は現実に引き戻される。


 頭上には、スゥのしょぼくれた顔。

 無理もなかった。なんだかんだいって、シィと1番親しく接していたのだから。


「気にするな。元々、おまえたちは仲良くなんてなかった」


 だが、彼女に労りの言葉らしきものをかけたのは、辺村よりコラドの方が早かった。


「仲良かったよ! 友達だったんだ!」

「おまえとシィが最初に会ったとき、おまえ、怪我をしてたってな」


 瓶子草型械獣との戦いでいつの間にか負っていた傷のことだ。

 もうすっかり治っている。


「……それが?」

「蟷螂型械獣との戦いでも、あちこち怪我や打撲を負ってたな」

「掠り傷みたいなもんだよ。それが、何?」

「非斗は、死んだ動物なら食べられる」

「だから……何だってんだよ?」

「あいつは、おまえがもうすぐ死ぬと思って、死体たべられるものに変わるのをずっと待ってただけなんだよ」

「…………」


 スゥは、既に見えなくなったシィに向けて、虚ろな視線を向けた。



 その視線の遥か先で、シィは意識を取り戻した。

 非斗の大人達が彼を見下ろしている。

 シィの口が震え、助けを求める声を発した。

 だが、大人達は動かない。感情のこもらない目で、『その時』を待つ。


 やがてシィの身体から力が抜けたとき、大人達は大きく口を開き、争うようにしてその遺体にかぶりついていった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 行方不明だったCATが王宮に向けて大通りを爆走中、という報せを受けたとき、イクッネンは王宮の狭い一室でジェロームの尋問中だった。


 ドサクサに紛れて捕らえてから、既に数日が経っている。


「君等は、せっかく罪を犯さずに生きる土壌を持っているのだ。戦いは我々に任せて、ただあるがままに生きればいい」


 非斗の言葉でジェロームはそう言った。


「おまえ達など信用できるか。所詮おまえも奴等の仲間だ。俺達が頼り切りになったところで、奴等に俺達を引き渡すのだろう」


 イクッネンにとってジェロームは不可解な男だった。

 生きるために他の生物を殺す。それは彼等にとって当然の自然の摂理だろうに、彼はそれを罪と考え、死を選ぶとしても積極的殺害を否定する非斗の教義を賞賛する。

 頭のネジが外れているとしか思えない。


 何より――ラメチネワに贔屓されているのが気にくわない。


 だが、まだ殺すわけにはいかない。

 聞き出さねばならない情報が山ほどある。

 戦略・戦術知識に乏しい非斗にとって、ジェロームは必要な人材だった。不愉快なことに。


「おまえの部下は、おまえを助けようとここに向かっている。馬鹿正直に、真正面からな」

「真正面から……?」


 ジェロームが眉をしかめたのは、部下の心配をしているのだとイクッネンは思った。


「頭がいなければまともに戦うこともできないらしい。既に出迎えの準備は整っている。……なんといったか、『むはんどうほう』を用意してな。おまえ達ご自慢の軍事車両も、それならばひとたまりもないうのだろう?」

「…………」

「部下の命が惜しければ、ラージャ・グルラーとスーパーグスタフの主砲の操作方法を教えろ」

「イクッネン、君は戦場に憧れながら、戦場のことをなにひとつ知らない」

「……なんだと!?」

「私に指揮権を委ねてくれ。さもなくば、君は吠え面をかくことになるだろう」

「命乞いのすべを知らない上司のいる部下は哀れだな。おまえが大人しくいうことを聞くなら、命ばかりはと思っていたのだがな」

「もう一度言おう。私に指揮を任せろ、イクッネン。せっかく手に入れた権力を失いたくないのなら」


 イクッネンは鼻で笑って、尋問室を後にした。

 自棄を起こして正面から挑んできたわずかな敵を大軍で迎え撃つ。

 負ける道理がどこにあろう。

 仮に、奴等がラーディオスなるものを持ち出したとしても。


「巨神が出てきたときは頼むぞ」

「お任せください」


 絶遠はうやうやしく頭を垂れる。

 人間の姿をしてはいるが、この男の本質は腰の拳銃であるらしい。


「オレも、スペース・ハビタットの連中には憤懣ふんまんやるかたない思いを常々抱いておりました。イクッネン閣下が彼等を排除しようというなら、オレも微力ですが手を貸しましょう。エケケケケ……」


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