イクッネンの野心
翼を持ったラージャ・グルラーが格納庫に入っていく。
せっかく自由を得た鳥が、自ら鳥籠に舞い戻るようでもったいないとメンカは思う。
自由が快いだけのものではないと知っているが、8メートルの鳥人にあつらえられた鳥籠は、ひどく殺伐としたものに見えた。
アサルトライフルを携帯した非斗の兵士がどこか攻撃的な目でこちらを取り囲んでいるのが、その原因の1つなのは間違いない。
このまま、降りてしまっていいものか――。
そんな不安がメンカの胸を満たしたが、残念、背後の扉は閉まってしまった。
実際問題、ラージャ・グルラーは燃料計を真っ赤にして休息の必要性を訴えている。
「降りろ」
翼を折り畳んだラージャ・グルラーを格納庫の壁に並ばせ、コラドが言った。
壁から伸びたクレーンがもう離さないとばかりに機体を固定すうる。
胸部ハッチの前に運ばれてくる昇降機は、降りてこいとせっつくようだ。
「おまえが降りてくれないと、僕が降りられないじゃないか」
「ねえ、やばくない?」
「不明瞭なことを言うな」
「どう見ても歓迎されてないんだけど。降りた途端あの鉄砲を突きつけられそうな」
「だとしても、他にどうしろというんだ、今の状況で」
どのみちジェロームを人質にされたら、コラドにはどうすることもできない。
「……ベムラハジメ」
「あきらめるしかないな。こっちだって94班を人質にされてるんだ」
溜息1つついて、メンカは昇降機に飛び移った。
コラドもその後を追う。昇降機はゆっくりと下がっていく。
床に降りた2人――正確には辺村も含めて3人だが――を待っていたのは、メンカの予想通り、アサルトライフルの銃口だった。
「これはどういうことです、イクッネン殿」
睨みつけるコラドに、イクッネンは非斗語で何か喋った。
「翻訳してくれないか、コラド」
「『非斗におまえたちはもう必要ない』と言っている。『言うことを聞けば、呼吸する権利を許してやろう』だと」
おおむね、メンカの予想していたとおりだった。
「イクッネン、ジェローム――」
コラドが非斗語でジェロームについて質問しようとしたときだった。
イクッネンの手が動く。
彼の持っていた杖が風を切り、少年の頭を強かに打つ。
転倒するコラド。
「ほしのさみ をなろをあ やーみほけに!」
言葉はわからないが、イクッネンが込めた感情はメンカにも理解できた。
憎悪。
――イクッネンは人間達を憎んでいた。
何故なら彼にとって、人類は械獣を無闇に刺激して暴れさせる迷惑な存在だったから。
その余波で非斗が被害に遭ったことも何度かあるし、人類自体が直接非斗に危害を加えたこともある。
ジェロームが非斗に科学の恩恵を与えたことも、その償いには足りないとイクッネンは考えていた。
憎むべき人類に救われるなど、むしろ彼にとっては屈辱でさえあったのだ。
ラメチネワが、女王たる身でありながら一匹の牝のようにジェロームへ肩入れするのも気に入らない。
そこに事件が起きた。
レッドがジェロームを殺害しようとし、誤ってラメチネワを撃ったのだ。
非斗のみなから慕われる女王を。
これは反人類派にとって追い風となるだろう。
今まで人類に対して中立派であった人も、一気にこちら側になびくかもしれない。
いや、そうでなかったとしても、女王亡き後の実権を握るのは容易い。
神が自分に微笑んだものとイクッネンには思えた。
それは動力炉に祀られる、屍肉のみを喰らうあの神ではなく、非斗の繁栄を認め、そのための殺戮を赦してくれる新しい神だ。
生きるための殺害さえ禁じ、非斗に肩身の狭い生活を強いてきた偽りの神など要らない。
新たな神とその教義の元、これからは非斗も地球の覇者を決める戦いに堂々と名乗り出ていくのだ。
そのためには、人類どもが発掘したスーパーグスタフも、ラージャ・グルラーも利用させてもらう。
ただし――人類自体は、必要ない。
イクッネンはコラドとその隣にいる少女を牢に連れて行くよう、部下に命じた。
そして玉座の座り心地を確かめようと踵を返したときだ。
銃声。
背後で部下がきゃいんと悲鳴をあげ、倒れる音がした。
「走れ、271!」
格納庫の壁に貼り付けられた階段に人間が1人。こちらに銃を向けている。
襲撃者は――ブルーは手榴弾を投げつける。
床に落ちた円筒から、猛烈な勢いで黒煙が噴き出して格納庫を闇で満たした。
煙幕弾である。
メンカの腕を誰かが引いた。
「走れるな」
ピンクの声だ。
「コラドを……」
「かまってる場合か」
「……場合です!」
「勝手にしろ」
押し問答している時間こそ惜しい。
しょうがねえな、とピンクはコラドの身体を担ぎ上げ、もう一方の手でメンカの手を引いて走り出した。
ゴーグルか何かを付けているのか、それとも地形を記憶しているのか、煙幕の中、ピンクの足取りに迷いがない。
乱暴に引っ張られ、何度もつまずきそうになるメンカ。
スゥに交代。
背後でタタタンと銃声が踊った。
怒号がして、すぐにやむ。
逃げるスゥ達か、あるいはブルーを狙ったものだろうが、練度の低い非斗の兵士達では同士討ちするのが関の山だろう。
煙幕の効果範囲外に出たところでピンクは手を離した。
「これから何処へ……?」
「脱出するんだよ」
格納庫を出て、階段を降りる。
街の路地裏じみた通路の端にCATがインビジブル・モードで駐車してあった。
運転席には既にブルーの姿。
「班長が戻ったら、こんなところとはオサラバだ」
「班長は……」
「ジェロームをぶっ殺しに行ったよ」
「じゃあ無理です。班長は失敗しました。たぶん、捕まってる」
「くそ」
ブルーはハンドルに指を叩きつけ、額を押さえた。
「……どうする、俺達だけで出発するか」
「見殺しにする気か!?」
「一緒に死んでやるほど、俺は忠義者じゃない」
言い争う2人を尻目に、スゥはキャビンに入った。
照明を点けると、奥で何かが身じろぎする。
「うわっ!?」
「どうした!」
運転席との仕切り扉からブルーとピンクが顔を出す。
「そこ……」
キャビンの隅にしゃがみ込んでいた影が身を起こした。
それは――、1体の非斗だった。
身体が小さいから、子供だとわかる。
「こんなところに入り込んでやがったのか」
ブルーが拳銃を抜く。
「待ってください! ……ねえ、もしかして……シィ?」
スゥが自分を指差して「スゥ」と名乗ると、その非斗の子供は同じ動作で「シィ」と答えた。
「俺の釣った魚を台無しにしたガキか……」
「まだ根に持ってんのかよ……、おい、それに触るな」
シィが玩具のように手で弄んでいた拳銃をピンクは奪い取る。
「騒がれちゃ面倒だ、殺そう」
ブルーは拳銃に手をかけたが、女性陣からの猛反発を受けた。
「本気で言ってんのかよ」
「そうですよ!」
助力を求めて辺村を見るブルーだったが、辺村は「こういうとき、逆らわない方がいい」と匙を投げる。
頭痛がするような気がして、ブルーは頭を押さえた。
子供を傷つけたくないという感性自体は彼にもあるが、それがこの気持ちの悪い生き物にさえ適用されるだなんて、理解を超えている。
「これからどうします?」
犬を撫でるようにシィを愛でながら、スゥが訊く。
「俺の提案なんてどうせみんな否定されるんだろ。おまえらが決めろよ」
「なんだよ、自棄になるなって」
「なら、ジェローム様を、助けろ」
「!?」
頭から血を流したコラドが、キャビンの壁にもたれかかるように立ち上がっていた。
もう一方の手には拳銃があり、銃口がピタリとスゥを向いている。
「……ジェローム、さ、ま……を」
ぐらり、とその身体がくずおれた。
「気を失ったみたいだ」
ピンクは救急キットを取り出し、コラドの頭を手当てし始める。
ブルーはさっきシィに向け損なった銃口をコラドに向けた。
「そいつもジェロームの部下ってことは、ハビタット攻撃を企んでるんだろう。俺達の敵だぞ」
「『呉越同舟』とか『困ったときはお互い様』って言葉、ハビタットじゃ廃れたのか? こいつは非斗の言葉を喋れる。恩を貸す値打ちはあると思うぜ」
ついに辺村まで自分の提案を却下した。
もう好きにしてくれ、とブルーは天を仰ぐのだった。
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