ヒューマン・クラッカー
手錠から解き放たれた手首を揉み、スゥがレヴォルドライバーを受け取る。
だがまだ腰には巻かない。
「――スゥ」
「あたしは反対だからね」
「…………」
ひとつ深呼吸して、メンカはレヴォルバーのカメラと正面から向き合った。
「聞いてましたよね、ベムラハジメ」
「ああ、械獣だってな?」
おい今あれ喋ったぞ、とざわめく兵士達をスゥは軽蔑の目で盗み見る。
ドライバーを受け取る前に、散々説明しておいたのに。
「そこでお願いがあります」
「どうした、やけに神妙だな」
「ラーディオスの力を使わせてください」
メンカは頭を下げる。
「手を貸すことはやぶさかじゃない。俺も元は人間だからな。人類のためとあらば、なんでもとは言わないが大抵のことは協力するつもりだ」
だがな、と辺村は一呼吸置く。
「1つ聞かせてくれ。スゥ、おまえの首輪、なんなんだ、それは?」
「反陽子爆弾です」
メンカはさらりと答えた。
「これを械獣の巣の中心で起爆するのが、わたし達
「…………」
「安心してください。簡単には爆発しませんから。暴発の危険性は――」
「いや、そうじゃねえよ! 俺の理解が正しければ、おまえ、特攻要員にされてるわけだが?」
「そうですよ?」
「そうですよって――」
自分が同じことを要求されたらどうするだろうかと辺村は考える。
たぶん、やってられるかと逃げ出すだろう。
ましてやそんな連中を救うために戦おうなんて微塵も思うまい。
「ハビタットに、わたしのような劣った人間が生きる余地は本来なかったんです」
「劣った……? そうは見えないな。発育は充分――」
「は、発育って」
メンカが頬を赤らめて、片手で胸を隠す。
「違、違う違う違う、そういう意図で言ったんじゃあない!」
「うわ、最悪。セクハラ。キモ」
「……け、健康優良! 健康優良に見えるし、地下であれだけ走り回れた。受け答えだって普通にできる。俺のいた時代には、書かれた文章をちゃんと読めない奴や、読んでも意味の伝わらない文章を書く奴がいたけど、それでもそれが普通だった――普通に生きていられた」
少なくともこれまで見た限り、辺村にとってスゥはごく普通の少女だ。
辺村がそう言うと、彼女は寂しげに微笑みながら首を横に振った。
「いろいろ事情があるんですよ、ベムラハジメ。とにかくHCになることを条件に、わたしは今まで生きるのを許されてきた、だから人間爆弾にされるのは、仕方のないことです」
「仕方ないって……」
少女の覚悟は、正義感や博愛主義からきているものではないだろう。
彼女の周りの人間が、よってたかっておまえの命は無意味だと叩き込んできた賜物だ。
覚悟なんてものじゃない。少女は、自分がどんな理不尽な要求をされているか、理解さえしていないのだ。
「あの、もういいですか? 早く蝙蝠械獣を追いかけなければ――」
「……おまえに力を貸すには1つ条件がある」
「なんでしょう?」
「俺が手を貸すからには、その爆弾は使うな」
彼女の年齢分培われた残酷な常識を今すぐこの場で打ち砕く魔法の言葉など、辺村は持たない。
だから。
彼女には何よりも未来が必要だ。
まずは生きていなければ、何も変わらない。変えられない。
「俺がいつかおまえを、赤の他人のために死ぬなんて考えられないようにしてやる。それまで自爆なんかさせないからな!」
「は……? それ、あなたに何の利益が?」
メンカは困惑する。
スゥを除けば、長年一緒に暮らしてきた家族からさえかけられたことのないような言葉を、たった数時間前に出会った拳銃から投げかけられたのだ。
こいつは何を企んでいるのだろう。警戒心が胸中にわき上がる。
まさか自分のためを思って言ってくれてるなんて、そんなわけが、ない。
「俺はフリーターだった。それもかなりニートに近いやつだ」
「『ふりーたー』……? 『にいと』?」
スゥが首をかしげ、赤腕章達も後ろで顔を見合わせる。
役立たずは爆弾になって死ね、と言う世界では、ニートなんて絶滅しているのだろう。
「フリーターってのは旧世界における非正規雇用の低賃金労働者で、ニートってのは言うなれば無職のことです」
と、黒腕章が補足してくれた。
「自分で言うのも悲しいが、つまりは下層階級で負け組で、穀潰しだったってことだ。でもある人のおかげで、パイロットとして才能があるってわかった。おまえにだって生きてるだけの値打ちがきっとある。まだ見つからないだけ」
「…………」
「――いや、値打ちなんざなくたっていいんだ。どんな役立たずであれ、誰かを人身御供にしなきゃ維持できない世の中なんざ、いっそ滅びた方がいいと俺は思う」
「な……何、企んでるんですか」
メンカは目を逸らす。
信じてはいけない。ほだされてはいけない。
でなければ、もし辺村が自分を利用するために嘘をついていた場合、きっと自分は、すごく、傷つく。
「企んでなんかいない。俺にとっちゃ、誰かが生贄にされるのは胸糞悪いんだ。でもって、俺にとって自分の気が済むってのは、正義や道理やマナーや損得勘定より、ずっとずっと大事なことなんだよ、悪いか!」
まるで反抗期の子供だと、絶遠達からは散々馬鹿にされた行動基準だ。
実際、だいたいの場合損をしてきた。
だけどそれが辺村だし――機械の1部品に成り果てた今だからこそ、そういう不合理さを捨てたくない。
「そうですよね」
メンカはほっと息をついた。
ベムラハジメは自分の気が済むようにやりたいだけだ。
わたし達のことを心配しているわけじゃない。
だから、まだ信用しなくていい。
「……なら、行きましょう。時間が惜しいです」
「ああ。……ちなみに、前回の召神から時間が経ってない。稼働時間は270秒ってところだ」
「――班長達は下がっててください」
「ちょっと待て、271!」
黙って――というか呆気にとられて姉妹と辺村の会話を見守っていた桃腕章が、気を取り直して銃口を向ける。
あのベルトが人型械獣を呼び出し操るためのもので、それを使えばキャンプKを救えるかもしれないという話は先程聞いた。
正直、桃腕章にとっては信じがたい話だ。
狂人の戯言としか思えない。
班長は何故こんな話を信じられるのか。
また脱走するための言い訳ではないのか。
「よせ、173」
赤腕章は手を伸ばし、桃腕章に銃口を下げさせた。
「他に方法はない。271がおかしくなったならそれまで、上手くいけば大助かりだ。好きにさせてやれ」
「班長は彼女に甘いです。本当だったら――271がそのまま逃げたら、どうするんです?」
「……逃げませんよ。わたし達にもハビタットに家族がいますから」
メンカはそう言ったが、現実に、それも今朝逃げ出したばかりの身では説得力がないことに気づく。
「わかった、行ってこい」
そう返したのは桃腕章ではなく赤腕章だった。
ただし彼の眼差しは信頼ではなく哀れみのそれだ。姉は少し傷ついた。
械獣達が変異させた地球の大気で、頭がおかしくなったとでも思われているのかもしれない。
だが、実際にラーディオスを動かせばその誤解も解けるだろう。
メンカはドライバーを腰に巻き付ける。
だが、レヴォルバーのグリップに指をかけたのはスゥの方が早かった。
「スゥ?」
「危険な真似は、あたしの役目だ」
大通りに出て、スゥはバックルからレヴォルバーを引き抜く。
「召神!」
『三千世界を革命する力、今ここに!』
全ては、瞬きよりも速い――わずか1ミリ秒にも満たない間のことだった。
空に向かって放たれた銃弾が、遙か高みの空間に風穴を開ける。
瞬く間にそれは亀裂を広げ、やがてガラスに穴が開くように空が割れた。
穴の向こうには広がるのは、冒涜的な色彩の異次元だ。
羽化する蝉のように、何かがそこから身を乗り出した。
それこそ、ラーディオス――暗緑色の外骨格に覆われた異形の巨神。
ぎちぎちと身を震わせ、異界の落とし子は呪詛にも似た産声を上げる。
大きく反らした胸に輝く、歪な形状の二十四面体結晶から、スゥ達に向かって光が放たれた。
光は無数の触腕と変じて少女の華奢な肢体に絡みつき、引き上げ、やがて彼女等は熱した鉄板の上に置かれたバターのように結晶体へ溶けていった。
完全にこちら側の世界に顕現したラーディオスが着地する。
綿が落ちるようなソフトランディングだったが、2万5千トンにも及ぶ質量を受け止めた大地は大きく揺れた。
轟砲雷火に似た響きとともに、粉と砕けたアスファルトや土砂が巻き上がる。
夜の闇と土煙で2重に塗り込められた世界の中で、巨人が背を伸ばす。
瞬く眼光と身体を流れるオレンジ光のラインがイルミネーションとなって、巨影を禍々しくも神々しく彩る。
その足元に這いつくばる人間達にとって、それはまさしく神の姿だった。
ただし規範と救済を与える守護者ではなく、人類を睥睨し威圧し嘲笑し、ときに蹂躙する絶対者としての。
「何だ、こりゃ……」
異常な事態を前に、赤腕章は凡庸な驚嘆表現を返すしかない。
他の3人も畏怖に駆られて異形の巨神を見上げるばかりで、横転した車の引き起こしに思い至ることさえなかった。
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