夜空を覆うもの


 摩天楼は、今や月の光のみを灯火として、夜の闇に傷ついたカラダを横たえていた。

 その暗闇の中を、1台の大型車両がヘッドライトもつけず走り抜けていく。

 道路の状態は良好というには程遠いものだったが、装輪式装甲指揮車『CommandArmorTruck-056』は暗視機能付き防弾フロントガラスと8つの分厚い軍用タイヤ、そして鋼鉄のアサルトバンパーの力をもって踏破してみせた。


 乗り込んでいるのは先程の兵士達と姉妹だ。

 青い腕章をつけた長身痩躯の男がハンドルを握り、助手席には赤腕章の中年男性が眠気に耐えるような目で前方を睨みつける。


 運転席とドアで区切られた後部キャビンでは、黒腕章の若い男が通信・レーダー機器の操作席で計器とにらめっこしていた。

 彼はちらりと車内後部に目を走らせ――しかしさっと視線を戻す。


 キャビンの後部左右にはベンチが置かれている。

 有事の際には完全武装の兵士が最大5人ずつ腰かけ、現場に到着次第後部ハッチから勇ましく出撃していく構造だ。

 だが今のところはそんな場面ではない。

 にも関わらず、そこには出撃前のような重苦しい空気が漂っていた。


 原因は、スゥと桃腕章の女兵士だ。

 ふてくされた表情のスゥに、険しい視線を送る桃腕章。


「……逃げてどうするつもりだったんだ?」


 嘲笑を浮かべる桃腕章。


「械獣がウヨウヨしてる中で生きていくつもりか? それともこっそりハビタットに帰るつもりだったかよ。それができたって、おまえに居場所はもうねえんだ」


 スゥは、わかりきったことに応対する必要はない、という態度を取った。

 かっと目を見開いた桃腕章は、立ち上がってその頬を引っぱたく。


「やめねえか」


 スピーカーから赤腕章の声が響いた。


「遠足に来た小学生か。大人しく座ってろ」

「……班長にロリコンの気があるとは存じ上げませんでした」

「少なくともヒステリー女よりは躾のなってないガキの方がまだ可愛いな」


 桃腕章が舌打ちする。これみよがしに。

 隣に座る黄腕章の髭面にとっては息苦しくてしょうがない。

 助けを求めて黒腕章を見るが、黒腕章は計器のチェックに余念がない――ふりをしてそれを無視した。


「あー、そうだ271、腹減ってるデショ? カロリーミール食べるー?」


 黄腕章は殊更明るく声を張り上げ、懐から1枚のビスケットを取り出す。


「俺ちゃんの、1つ食べていーよ? 遠慮なんかしなくていーって。ああ、桃腕章173もどう? 黒腕章187は要らないよね」

「え? くれるんならもらいますよ?」

「うるせえ薄情者」


 手の中の固形物を見るメンカの胃袋が鳴った。

 今朝彼等の元を逃げ出してから、何も食べていないのを思い出す。


「……いいんですか、これ……」

「いいのいいの、気にしなくて。どうせ明日には補充できるっしょ」

「……いただきます」


 1枚で人体が1日に必要なカロリーを充分に摂取できるビスケットは、空腹という調味料をもってしても決して美味いものではなかった。


 むしろ、不味い。「知恵遅れな食品」「誰もが拒否した食べ物」「食べ物に似た物体」と散々に扱き下ろされたアメリカ軍戦闘糧食レーションの伝統を受け継ぐ味と食感である。


 「美味しいと食べ過ぎてしまうから」という配慮もあるらしいが――むしろスゥの住む第7管区シリンダーの、他人が劣悪な環境で汗水を垂らす様に喜びを覚える国民性のあらわれかもしれない。

 どっちにしても余計なお世話だとスゥは思う。


「そういや271、人型械獣ヒューマン・ゴーレム、見た?」

「…………!」


 スゥはビスケットを喉に詰まらせそうになった。

 人型械獣。ラーディオスのことに他ならない。

 あの巨体だ。94班が近くまで来ていたのなら、見つからない方が奇跡だろう。


「おまえを探してる間に、蜘蛛械獣MMILS403と未確認の人型械獣が同士討ちしてたんだよ」

「同士討ち……」

「珍しいよな、械獣同士が戦うって滅多にないらしいのに」

「そうですね……」

「動画も撮った。見る?」


 黄腕章が差し出したレコーダーの画面の中には、遠景から撮影されたラーディオスの姿があった。

 ちょうど、蜘蛛械獣の分散集合戦法に翻弄されていたときのものだ。

 蜘蛛械獣がビルの影に隠れがちなおかげで、ラーディオスが1人でどたばたとひっくり返っているように見える。

 スゥはちょっと気恥ずかしくなった。


「……へえ、こんなのいたんですかー。あたし、地下にいましたからー、知らなかったぁー、へー」

「もったいないな。新種だよ、新種? この情報を持って帰れば、俺ちゃん達、ボーナスと出世、間違いなしでしょ!」


 黄腕章の男は興奮したように、レコーダーうを指先で弄った。

 ニタニタと髭面を歪める。彼の頭の中では今、バラ色の未来が乱舞していることだろう。


「……7Rセブンロメオ188ひとはちはち75ななご


 桃腕章は、黄腕章の男の名前を静かに呼ぶ。


「おまえ、地味に残酷なことするのな」


 黄腕章ははっとした表情でスゥを見た。うなだれる。


「……ごめん、271」


 スゥとメンカには、もはや帰る場所はない。


 それでもレヴォルバーさえあれば、この世界で生きていくことができるだろう。

 だがそれは今、黒腕章の男の手の中だ。


 せめてあそこで蜘蛛械獣に見つからなければ、逃げ切れたかもしれないのに――とスゥは己の巡り合わせの悪さを呪う。もっとも、その場合はベムラハジメに出会うこともなかっただろうが。


(あたしは、姉ちゃんに死んでほしくないだけなのに)


 その時、スゥの視界の端で何かが赤く光った。

 黒腕章が向かい合っているレーダー画面からの光だ。


「班長、械獣が接近してきてます!」


 車が速度を落とし、大きく口を開けた建物の中に身を隠す。

 大人達がライフルを手に車を出て行くのを、スゥとメンカは追いかけた。


「ああ……」


 黄腕章が天を見上げて嘆息する。


 夜空がもっと暗い闇で塗り潰されていく。

 頭上を埋め尽くすような影の巨大さは、ちっぽけな人間達を萎縮させるには充分なものだった。

 ブーメランのような形をしたその腹には、鮫のあぎとを思わせる威圧的なネオンサインが金色の光を瞬かせる。


「あれは……」

「MMMAL410。通称、『蝙蝠械獣』バット・ゴーレムです」


 今の人類には手を出せない、遥か高空から爆撃を行うことで知られる械獣だった。

 蝙蝠などよりも翼竜と呼んだ方が相応しい巨影が悠然と去って行くのを、兵士達は呆然と見送る。


「……待ってください。械獣は『駐屯地キャンプK』を狙ってるんじゃ?」


 キャンプK。

 彼等の当面の目的地であり、百人を越す仲間達、そして柔らかい寝床と食料が待っているはずの場所だ。

 そしてそこは、械獣の進行方向の先にある。


「だとしたら……」

「行っても無駄になるかもしれませんねぇー」


 青ざめる桃腕章とは対照的に、黄腕章は呑気に言った。

 あんな威容を見せつけられたあとでは、もはや抗おうなどという発想は出て来ない。

 仲間達が狩られるなら、それも自然の摂理だとさえ思う。


「……キャンプが全滅ってことは、あーどうしよう、食い物だけでも焼け残ってねえかな」

「まだ全滅と決まったわけじゃねえ!」


 桃腕章が叫ぶ。自分の中にある畏怖をねじ伏せるように。


「班長、今すぐ追いかけましょう!」

「追いかけてどうする。仲良くバーベキューになりに行くのか」


 白けた声で青腕章が言った。

 その言葉に反論するだけのアイデアを桃腕章は持たない。

 救いを求めて赤腕章を見る桃腕章だったが、班長は蝙蝠械獣の去って行った空を見つめるばかりだ。


 そんな大人達をスゥは冷笑的に見つめる。


 現実問題、人類はまだ1部の械獣の前には手も足も出ない。

 そのくせ彼等は械獣を駆逐し、再びこの惑星を人類の手に取り戻つもりでいるのだから笑わせる。

 身の程知らずにうぬぼれた、邪悪な願いと言わざるを得ない。


 スゥにとってこの惑星などどうでもよかった。

 先祖が住んでいたらしいというだけで何の愛着もない。


「……いい気味だ。キャンプの奴等もこいつらもさっさと死ねばいい……」

「駄目だ、それは」


 姉が――メンカがスゥの思いに反発する。

 スゥは裏切られたような気分になった。


「姉ちゃん、まさか――」

「キャンプには百人近い人がいるはずだ」

「他人なんか何千人いたって関係ないよ。放っておこう?」


 スゥの言葉を無視して、メンカは班長に歩み寄る。


「……班長。わたしに、あのベルトを返してください。そうすれば、蝙蝠械獣からキャンプKを守ってみせます」


(姉ちゃんは人がよすぎるよ……)


 スゥは頭を抱えたくなった。


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