第2話 プロローグ

土曜日に予定が何も入らなかったのはいつ以来だろうか。


昨日もそうだが、金曜はだいたい飲んでるし、土曜の午前中に予定がなければ、昼過ぎくらいまでは家でのんびりしているところだ。


だが、今日はなんとなく、昼前には家の外に出たかった。

そして、相変わらずタイミングよく、出かけようと思った時に、有田さんからメールがきた。


『ルカさん、おはようございます。美味しそうなタコが入ったので、都合がよければお店にお越しください。』


わざとらしく声にして笑うと、返信を打った。


『俺に予定ないの知ってるじゃん。タコ、食べに行く。』


もちろん、作っておいて、という意味を込めて送ったが、間違いなく作らされるのだろう。


そして、予感通り、有田さんはまだ調理されていない新鮮なタコを自慢げに見せてきたのだった。

小さいからお客さんには出さないらしく、好きなように調理しちゃってください、とのことだった。


いやいや有田さん。あなたもシェフなんだからあなたの腕も見せて下さいよー。


トマト煮にしようか迷ったが、素材もいいし、弾力を生かしたいので、シンプルにマリネにすることにした。


有田さんが焼いたピザと一緒に食べることにした。


昨日はそんなに飲まなかったおかげか、テラス席からの風が心地良かった。


店の隣にそびえ立つ木が、昼間の暑いテラス席に、いい具合に影を作る。


葉が擦れ合う音も、店内のBGMといい具合にマッチしている。


雰囲気は最高。


ロケーションがあともう少し良ければ、週末客も増やせるのに、と思うが、そうなるとこの雰囲気を作るのは難しいだろう。


平日はお陰様で、周りの会社員にランチタイムから夜まで利用してもらっているし、至って不満はないが、もっとこの周辺に来ない人にも認知してもらいたい、というのが課題だなぁと思いながら、有田さんが焼いたピザを食べた。


この人のピザは、イタリア人でもなかなかいい勝負ができると、いつ食べても思う。上手い。


向かいで携帯を見ながらタコを噛んでいた有田さんが、「あ」とこぼし、じっとこちらを見てきた。


「何?」


すると、iPhoneの画面を見せてきた。


そこには『W杯日本代表 筒井剛 モデル白川あずさ 電撃入籍!』と書かれてあった。


何と返せばいいのかわからなかったが、とりあえず「コングラチュレーション。」と言っておいた。


メディアを通じて知るのも不思議な感じだが、別れて以来連絡は取っていないし、そもそも、すでにどうでもよかった。


超モテるであろうW杯出場選手が、結婚を決める位の相手だったことは、間違いないとは思う。


「そういや、昨日一緒に飲んでた子とはあれからどうしたの?」


昨晩も有田さんと飲んでいた。


有田さんの知り合いが何人か女の子を連れていていて、そのうちの1人とずっと話していた。

というよりかは、話を聞かされていた、の方が正しいかもしれない。


正直、どうでもよかったんだが、みんなそれぞれで話し込んでいるような感じになっていて、おまけに有田さんは、ケイコに帰ってこいと呼び出された、なんて言ってすぐ帰ってくし、仕方なく聞いていたというような感じだ。


それに、女の子に対して話を止めてしまうのは、やっぱり失礼な気がした。


結局、その子が務める金融会社の全容を全て把握できたんじゃないかと思うくらい、よく喋った。


それがよかったのか、その子はこの後2人でゆっくり飲まない?と誘ってきた。


だが、そこは「明日早くて」と嘘をつかせてもらった。


「普通に帰りました、ひとりで。」


あなた先に俺をあの状況に置いて帰ったよね、という少々の憎しみを込めて言ったつもりだが、多分伝わってはいないだろう。


この人は自分の結婚生活に満足で、そんなことはどうでもいいに違いなかった。

それも納得はできた。


人を包み込むような温かさがあって、周りにいる人たちを自然と笑顔にさせるパワーを持っていて、控えめだけど自分の揺るがない意思をしっかりと持っている、それが有田さんの奥さん。


そうやってケイコのことを褒めると、有田さんに「俺の妻に惚れてる?」って本気で聞かれるけど、そういうわけではない。


そういう奥さんがいて、有田さんのことを羨ましくは思うが、誰かのパートナーを奪い取るなんて気は、さらさらない。


有田さんとケイコは、誰からもきっと崩されることはないのだろうし、そんなことあって欲しくないとすら思う。

それくらい、パーフェクトな夫婦。


ひとつ確実に言えるのは、自分はそういう子とは、どういうわけだか出会わない。


仕事中での出会いは、まずない。


となると、仕事以外で行く所の問題だ、と有田さんは言う。


結局はバーとかクラブとかで、一緒に行った人の紹介とかで知り合ったりすることが多い。


その場で自然と知り合ったとしても、素朴な感じの子、というのは、見事に姿を見せない。


紹介される子たちは、綺麗な子ばかりで、不満があるわけではない。


いい子もいる。


その場に偶然居合わせて知り合う子たちにも、気の合う子はいたりする。


だが、結局はその時だけで、後になるとどうでもよくなってしまう。


そんなことを求めているわけじゃないのに。


でも、他のやり方も、よくわからない。


そして、いつの間にか有田さんとケイコには『遊んでる』と言われる始末。


そうなのかもしれないが、それは本当の自分ではないと言いたい。


そんなこと、本当は全然求めていない。




ケイコが持ってきてくれたコーヒーを飲みながら、ふとテラス席に目を向けると、ひとりで来ているお客さんが目に入った。


ちょうど視界に入っていたので、何も考えずにぼーっとその人を見ていたのだが、彼女がそよ風に揺れる木に目をし、その横顔を見た瞬間、思わず、さっきの有田さんみたいに声をこぼしたのだろう。


でも、この時は、意識していなかったので、「Oh」と言ったらしく、有田さんが「What?」と英語で返してきた。


英語喋れないくせに、こういう時の反応は早いし、英語に慣れている感がある。


しばらく何も言えなかった。


どう説明すれば、一番わかりやすくて簡潔に伝えられるか、すぐに思いつかなかった。


「あのテラス席の子、よく来るお客さん?」


有田さんが後ろを振り返り、その子の姿を見た。


「先週土曜も来てくれて、今日2回目かな、俺の知ってる限りでは。なんで?」


なんでって言われても。


「確か理沙ちゃんだったかな。ルカさんのパンナコッタ、美味しかったって言ってましたよ。あ、あとマルコがあの子を気に入ってました。」


有田さんは好奇心を寄せているらしく、ニヤニヤしながらも、こちらがどう反応するのかをうかがっていた。


「英語の勉強をしているそうですが、ルカさん、ご紹介しましょうか。」


「どうやって?」


「英語の勉強してるんだったら、ここに英語話す人いますよ、とか?」


一番自然でいい方法がないか考えているところに、タイミングよくメールは来るものだった。


ラルーチェのシェフから、厨房でビールサーバーがおかしいらしく、すぐに来て欲しいとの呼び出しメールだった。


こんな時に限って、ため息が出る。


有田さんに事情を伝えると、「まぁなんとかするから。」と言ってテーブルを片付け始めた。


「Please。お願いします。」


「真剣だね、ルカさん。」


頷き、ありがとう、と伝え、足早に店を出た。


もう1度だけ、彼女の後ろ姿を見て。




そして、夕方、そろそろ最初の予約客が来るであろう頃、エプロンに入れていた携帯が震えた。


ずっと待っていた、有田さんからのメールだった。


『連絡遅れた。理沙ちゃんの件、


日本人の友達が欲しいアメリカ人紹介するってことで声かけた。


来週、ランチの時間に来るので、


仕込みの時間あたりから来てもらえると助かります(サングラスかけたにやけ顔マーク)


余談かもしれませんが、彼氏はいないそうです!』


心の中が踊り、周りに他のシェフたちがいないかを軽く確認すると、小さく「Yes!」と呟きながら、拳を力いっぱいに握った。


『Thank you!』


手短に返事をすると、携帯をエプロンのポケットにしまった。

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