第18話 救援を求めて
レイナ姫が移住した原野は多くの人々が彼女を慕って集まり、ちょっとした村ができていた。
その村はいつしか「ホフヌング」と呼ばれるようになっていた。
ハンスはホフヌングの村を望む森のはずれまで来て、そこに駐留する魔王の配下の軍勢を忌々しい思いで眺めた。
南から押し寄せた敵の軍勢はあっという間に村を蹂躙したのだ。かつてヒマリア軍に所属していたハンス達や、親衛隊を自称する強面の兵士達が必死になって逃げ道を確保し、多くの住民を逃がすことに成功したが、レイナ姫とラインハルト、そしてレイナ姫の侍従のミッターマイヤーは敵の手に落ちた。
「ハンス、敵の兵がこんなものをバラ撒いていた。なんて書いてあるかわかるか」
ハンスは親衛隊に所属する初老に差し掛かった兵士が拾ってきた羊皮紙の文字を見た。
その文字はヒマリアの文字ではなく、クリシュナ神を信じる南の国の民の言葉で記されている。
「うーん。以前習ったことがあるからどうにか読めるかな」
ハンスは曖昧な記憶を頼りに、文字をたどる。
「姫とその周囲の人は、明日の正午に」
ハンスは読み進めるうちに何だか嫌な感じがしてきた。
「村の北の丘で殺す」
ハンスの怪しげな読解力でもそれがレイナ姫たちの処刑を宣言していることは読み取れた。
「やはりそんなことだったのか」
親衛隊の兵士は大きな目をぎょろりと動かすと連れの兵士たちに呼びかけた。
「姫様を救出するために明日の夜明け前に仕掛けようぞ。異存はないな」
樽のような大きな体にごつい腕や足を持つ古参の兵士たちは無言でうなずく。
ハンスは彼らがレイナ姫救出のために死を賭して敵の大軍に切り込むつもりなのを悟った。
「僕も一緒に行っていいですか」
内心迷いながらハンスが尋ねると、ヨーゼフと言う名の古参の兵士はニヤリと笑った。
「いい心がけだが、あんたにはやってもらいたいことがある。ホフヌングの村に敵が押し寄せたことはトリプルベリーの町にも伝わったはずだ。あの町に駐留するヒマリア軍がこの近くまで救援に来ている可能性がある」
ヨーゼフはごつい指で村人たちが逃れた北の方向の森を指さした。
「そいつらを見つけて、明け方に俺たちが襲撃をかける時に呼応して攻め込んでくれ」
「わ、わかりました」
ハンスが固くなって立っていると、ヨーゼフは雷鳴のような大声を出した。
「何をぼさっとしているさっさと行け」
ハンスは弾かれたように北に向けて駆け出した。背後からは、兵士たちの豪快な笑い声が響く。
戦いに明け暮れ、戦う事しか知らない専業の兵士たちは窮地に置かれた今、逆に生き生きとしているように見える。
ハンスは北に向かって走りながらホフヌングからトリプルベリーへの経路を思いうかべた。かつて自分も戦ったエレファントキングの城と、ギルガメッシュと呼ばれる宿屋を経て街に至る道だ。
もしもトリプルベリーから援軍が来ていればその経路をたどればどこかで鉢合わせするはずだ。
しかし、ハンスは走りながらある疑いを抱いていた。
ヨーゼフたちは、レイナ姫に忠義を尽くして圧倒的に優勢な敵に挑んで死ぬつもりのように見える。
もしかしたら、彼らは俺を逃がすために来ているかどうかもわからないトリプルベリーからの援軍への伝令を命じたのではないだろうか。
ハンスが走る道沿いには、敵が放ったドラゴンに食われた人々の遺留品がそこかしこに残っている。
死者に祈りをささげる時間も惜しんで道を急ぎながら、ハンスは小声でつぶやいた。
「俺だって、エレファントキング戦役の数少ない生き残りなのに」
ハンスは激戦を生き抜いたことで、敵を前にしたら決して逃げないという自負を持っていた。それゆえに、年寄りの兵士たちが自分を子ども扱いして逃がしたのだとしたら何だか悔しかった。
しかし、ハンスの強気はエレファントキングのダンジョンに近づくにつれて、消えていった。
森の中にはホフヌングに攻め込んだのと同じ、魔物の軍勢の死体があちこちに散らばっていたのだ。
獣の顔を持った士官と、禍々しい突撃歩兵の鎧兜に身を包んだ兵士たちはあるものは驚愕に目を見開き、あるものは苦悶の表情を浮かべて息絶えていた。
その数は優に百を超える。
もしかして、トリプルベリーからの援軍の魔法攻撃による戦果だろうか。もしそうだとしたら、ハンスは自分の命が風前の灯火のような状態だと気が付いた。
敵と同じ方向から侵入すれば、ハンス自身も魔法攻撃のターゲットとなる可能性が高いからだ。
ハンスはUターンして元の方向に戻ろうとする自分を意思の力で抑えた。
援軍に来た味方の軍勢が確認もしないで魔法攻撃を仕掛けるほど猛り立っているとしたら、自分はとっくに死体となって転がっていたはずだ。
ハンスは腹を決めて森を走り抜けた。そして森からエレファントキングの城の間に広がる草原を一気に走り切って城壁を間近に臨んだ時、そこかしこに見覚えのあるホフヌングの民が座り込んでなにやら美味しそうなものを食べているのに気が付いた。
「ハンスさん無事だったのですね」
声をかけてきたのはハンスの住居の近くのパン屋の娘ハンナだった。
「みんな無事だったのだな。トリプルベリーの町から救援の部隊が来てくれたのか?」
ハンナは木のボウルから湯気の立つイモを掬いあげていた手を止めた。
「トリプルベリーからは援軍なんて来ていないわ。私たちを助けてくれたのはドラゴンハンターの人達よ。城の奥に入ればその人たちが食べ物を分けてくれるはずよ」
ハンスは自分のお腹が鳴るのを感じた。ハンナに礼を言って城の奥に入ると、とんでもなく大きな鍋で調理をしている数人の人々が目についた。
そのうちの1人、黒地に赤い刺繍が入ったローブを着た女の子に見覚えがある。
エレファントキングのダンジョンで敵のボスを追い詰めた冒険者の人たちだ。
ハンスが何から話したらいいかわからなくなって口をパクパクさせていると、リーダー格の男性がイモや肉がたくさん入った木のボウルを差し出した。
「新顔の人だね、敵の支配地域から逃げてきたのならこれを食べてゆっくり休んでくれ」
この数日間ろくな食事をとっていなかったハンスは、目の前に湯気の立つ料理を差し出されて思わず食べ始めていた。煮込まれた暖かい肉とイモ、そして野菜の味は格別だ。
ハンスはボウルの中身をあらかた食べ終えてから、やっと自分の用事を思い出した。
「おいしいけど食べている場合じゃなかったんです。レイナ姫たちが明日のお昼には処刑されそうなんです。お願いですから手助けしてください」
調理をしていた男は表情を硬くし、手伝っていた黒ずくめの服の戦士と、魔導士の女の子も一斉にハンスを振り返る。
魔導士の女の子はツカツカとハンスに歩み寄ると固い表情で尋ねた。
「その話もっと詳しく聞かせてください」
ハンスはごくりとつばを飲み込んでからうなずいた。
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