第9話 韜晦していなさい
貴史がギルガメッシュの屋根裏部屋に行くと、共用スペースでララアが書き物をしている最中だった。
「ヤースミーンさん、これはどういう意味なのですか。」
「それはね相手の心を推し量るという意味で忖度と読むの。」
ララアはヤースミーンが持っていた古代ヒマリア語のテキストを借りて、自分が見やすいように古代ヒマリア語版を編纂しているのだ。
それには膨大な量のテキストを確認しながら手書きしなければならないが、彼女は急ピッチで作業を進めている。
その過程でララアの言語能力は確実に向上していた。
ボキャブラリーが増えたララアは急に大人びた口調になり、貴史など話しかけにくいほどだ。
彼女がヤースミーンに聞いているのは難解な単語の範疇に入るもので、現代ヒマリア人の大人でも知らないものは多い。
「ヤースミーンさん。こっちはどういう意味ですか。」
「自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと 、韜晦すると読むのよ。」
「韜晦していなさいか。いいフレーズですね。」
単語を書き写したララアはうっすらと笑顔を浮かべた。貴史にはもはや理解が難しい。
その時、建物中に響き渡るような悲鳴が響いた。
「なんですか今のは。」
ヤースミーンが心配そうな表情で周囲を見回す。
「マルグリットの声みたいだ。タリーの手伝いをしていたから地下倉庫に居たはずだ。」
「様子を見てあげてください。」
貴史はヤースミーンにうなずくと、階下に駆け降りる。そして、その後ろにはララアも続く。
地下まで駆け下りた貴史は、廊下に倒れている人影を発見した。
マルグリットだ。
彼女は不自然な姿勢のままで仰向けに倒れている。それはまるで、ドアを閉めた姿勢のままで後ろに倒れたようだった。
貴史は嫌な予感に襲われながらマルグリットの前のドアを開けた。
次の瞬間、貴史が目にしたのは数百個の目が一斉にこちらを向いた光景だった。
倉庫の床や壁そして天井に至るまでびっしりと生きたメガスネイルが張り付いていて、ドアを開けた貴史の方に一斉に目を向けたのだ。
貴史は叩きつけるようにドアを閉めると、自分の手や顔を触ってみた。
まだ石化の呪いは受けていないようだ。
「ヤースミーン大変だ。早く来てくれ。」
貴史が呼ぶまでもなくヤースミーンも後ろまで来ていた。
「どうしたんですかシマダタカシ。」
「この間運び込んだメガスネイルが生きていたんだ。」
森でメガスネイルを退治した時に、ララアの魔法で凍った通常サイズのメガスネイルを食材として運び込んでいたのだ。
「なんてことなの。だから魔物なんて拾ってくるなと言ったのに。」
ヤースミーンは口を手で押さえて絶句する。
その横で、倒れたマルグリットの横にしゃがみ込んでいたララアは何かの呪文を唱え終えた。
「ギャアアアアアアアア。」
ララアが石化の呪いを解いたので、先ほど聞こえて来たけたたましい悲鳴が再開された。
マルグリットはメガスネイルの石化の呪いにかかって、悲鳴を上げている最中に固まっていたのだ。
「メガメガ。」
マルグリットは倒れたままで指をさして何か訴える。
「わかった。メガスネイルの目がこちらを向いたとか言いたいんですね。」
ララアが彼女の心情を忖度して見せる。
「鋭いね。そんなところだと思うよ。」
貴史は自分がドアを開けた時の情景を思い出し、どうしたものかと考える。
「ヤースミーン、ドアを開けずに奴らに氷系の魔法をかけることはできないかな。」
ヤースミーンは躊躇した。
「私は魔法をかけるときに相手を目で確かめるからドア越しにかけるのは自信がないです。」
「そうだよな。」
二人がマルグリットを助け起こしている間に、ララアは何かの魔法の呪文を口にし始めた。
「ララア、ドアを開けたらメガスネイルと目を合わせてしまうから呪いをもらってしまうよ。気を付けて。」
貴史が心配そうに言うが、ララアは目を閉じたままドアをあけ放っていた。
ララアが呪文の仕上げに右手を振り下ろすと、倉庫の中に青白い光の粒が雪のように降り注ぐ。
貴史がおそるおそる倉庫をのぞき込んだ時にはメガスネイルたちは残らず凍り付いていた。
「おお、すごいぞララア。」
貴史がほめると、ララアはへへーっと得意げな表情を浮かべる。
「こんなもの運び出して燃やしてしまいましょう。」
ヤースミーンが息巻いていると、タリーが後ろから顔を出した。
「丁度よかった。そいつを20個くらい使いたいから皆で運んでくれ。」
「タリーさん、メガスネイルが息を吹き返して、マルグリットが石化されていたんですよ。これはもう燃やしてしまいましょう。」
ヤースミーンが抗議したが、タリーは意に介さない。
「その話は今夜皆に試食してもらってからにしよう。いろいろと準備をしているんだよ。」
タリーは壁にへばりついたまま凍り付いたメガスネイルを二つほど引きはがすと抱えて運び始める。
貴史も同じようにするので、ヤースミーンもぶつぶつ言いながら氷漬けのメガスネイルを運び始めた。
その夜、ギルガメッシュの従業員一同は巨大エスカルゴを試食することになった。
タリーが自作したという素焼きのエスカルゴプレートに乗った巨大エスカルゴは、石窯でこんがりと焼かれてガーリックバターのいい香りを漂わせている。
フォークでクルクルと回しながら別皿に引っ張り出し、ナイフで刻んで口に入れると程よい歯ごたえと、貝類特有の味が口に広がる。
「こうして食べると美味しいですね。」
貴史はさりげなく感想を口にする。
石化の呪いをかけられて、逆に食べられてしまわなければの話だがあえてそのことには触れない。
「そうだろう。倉庫の在庫がなくなったら、森のはずれに住みついているコボルト達に獲ってもらうことで話が付いているんだ。奴らは臭覚を頼りにメガスネイルを狩る方法を知っているらしくて、いくらでも捕まえられると言っている。」
ヤースミーンが大きなため息をついた。面白くないが認めざるを得ないということらしい。
「話が変わるが、今度エレファントキングのダンジョンにヒマリア軍の遠征隊が運び込んだ食料を掘り出しに行きたい。俺が同行するから貴史とドラゴンハンターチームに働いてもらいたいのだがどうだろう。」
タリーが改まって話を始めたが、あまり危険な話ではなさそうだ。
「いいですよ。」
貴史はあっさり返事をしたが、リヒターは浮かない顔をしている。
「それって、穴掘りですよね。あっしたちは誇り高いドラゴンハンターだけど、シマダタカシの旦那がやるというなら仕方がないから手伝いますよ。」
リヒターにはドラゴンハンティングのプロとしてのプライドがあるので他の仕事は気が進まないらしい。
「そのことだが、やはり現地を知っている私が行った方がいいだろう。タリーさんはここに残ってくれ。」
口を開いたのはクリストだった。
「いいのかクリストさん。」
タリーが心配そうに尋ねるが、クリストは無言でうなずく。
「わかった。現地の案内と指揮をクリストさんに頼もう、準備ができたら出発してくれ。」
タリーが話を締めくくり皆が雑談を始めた時、ララアは目を細めて何か考えていた。
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