第19話「アラーム①」

『夜、十時になりました……夜、十時になりました……。当遊園地は午前0時に閉園いたします。最終受付の時刻は、アトラクションによって異なります。まだチケットをお持ちの方は、お早めにアトラクションをお選びください……』


 アナウンスを聴きながら、シュウはスムージーのストローに口を付ける。

 緑色のスムージーを吸い上げて、一口、飲み込んだ。

 少し酸味のある冷たい液体が、カラカラに渇いた喉に染みた。

 その冷たさが、食道へ、胃袋へと、ゆっくり流れ落ちていく。


 ひと気のないフードコートで、シュウは、男と向かい合って席に着いていた。

 互いに誘ったわけでも誘われたわけでもなかったが、なんだか、成り行きでこうなっていた。


 男の名は、島雨しまさめというらしかった。

 本名かどうかはわからない。

 職業は、いわゆるフリーライターというやつだそうだ。――いや、今ここに来ている以上は、フリーライターだった、というべきか。


「……君のことを見ていたのは、別に、深い意味や理由があってのことじゃないんだ。……ただ、君が、観覧車で〈ハズレ〉を引いて戻ってきたところを、たまたま見かけたものだから。〈ハズレ〉を引いた人間を見たのは、それが初めてだったんだ。……で、なんとなくね」


 島雨は、時おりレモネードを口にしながら、シュウに向かってそう語る。


「……それに、まだ若い人だったからさ。……高校生? 君」

「……ええ。十七、ですけど」

「そう。……じゃあ、十年前は、小学校に入ったばかりか。……もう、選択肢なんて無かった世代だね」


 選択肢? ……なんのことを言っているのだろう。

 十年前、というと、自殺支援制度が制定・施行された年のはずだが、その話だろうか。


 フードコートに来てから、島雨はまた、無表情と薄い笑みとの中間のような、それはそれでやはり感情の見えない涼しげな顔で、シュウに向き合っていた。

 けれども、よくよく見ると、島雨はその表情の下に、懸命に何かを押し殺しているようにも感じられた。

 その「何か」に、シュウは、触れてはいけないような気がした。

 だから、彼がその「何か」を表に出さず、自ら人に触れられないよう隠しているというのなら、ずっとそのままそうしていてほしいと思った。


「……それじゃ、島雨さんは、この遊園地の関係者、ってわけじゃないんですね」

「そんなんじゃないよ。俺も、診断書とチケットを送られてここに来た、れっきとした客の一人さ」


 そう答え、島雨は、自身のぶんのアトラクションチケットを取り出し、音を立ててテーブルの上に置いた。

 四枚つづりのチケットは、まだ一枚も使われていなかった。


「悪かったね。嫌な思いをさせてしまって」

「……いえ。別に」


 この男は、客ではなく、遊園地の関係者ではないのか――漠然と考えていたその可能性は、どうやらまったくの的外れだったようだ。

 今となっては、なぜそんな勘違いをしてしまったのか、よくわからない。


 なんにせよ、自分もこの人に対しては、けっこう失礼な態度を取ってしまったものだ。

 それを思い出して、シュウは少し恥ずかしくなった。


「腹、減ったな」


 呟いて、島雨が立ち上がった。

 シュウも、つられて席を立つ。

 同じく空腹だった。昼食以降、こんな時間まで何も食べずにいたのだから、当然だ。

 ゲームの疲れでしばらく胃袋も働いていなかったが、スムージーを流し込んだ途端、一気に食欲が刺激されてしまった。


 カウンターで、島雨は海老カツバーガーとクラムチャウダーを注文した。

 シュウは、食事よりも甘いものが食べたくて、チュロスにした。



 注文の品を待っている途中。

 島雨が、フードコートのそばを通りかかった人を見て、ハッと息を呑んだ。

 向こうもまた島雨に気づき、目を見開いて立ち止まった。


 二人は寸刻見つめ合い、会釈を交わした。

 そうしながら、向こうはその顔に、どことなく自嘲のような笑みを浮かべていた。


 その人は、島雨に話し掛けるでもなく去っていった。

 島雨もまた、その人を呼び止めることはなかった。




 ほどなくして、注文の品が載ったトレーを受け取り、シュウたちはテーブルに戻った。


「さっきの人、知り合いですか?」


 シュウが尋ねると、島雨は、「ああ」とわずかに目を伏せた。


「以前、一度だけだが、会ったことがある。デモに参加したときにね。同じデモ隊の、仲間の一人だった」

「……デモ?」

「自殺支援制度への、抗議デモだよ」


 シュウは、チュロスを一口かじって、ふうんとうなずいた。


(そうか。やっぱり、デモに参加するような人は、自殺志願者になりやすいのか)


 口には出さないが、シュウは胸の内で納得する。

 いつだったか、何かのテレビで、大御所コメンテーターの誰かがそんなことを言っていた。



 ――自殺支援制度に反対する人間は、自分が自殺志願者となることを恐れている者たちだ。

 その恐怖はもっともである。

 しかし、彼らのやり方、考え方は間違っている。

 自殺志願者になりたくないのであれば、制度自体をなくそうとするのではなく、まず、自分自身が自殺志願者にならないための努力をすべきだ。

 それなのに彼らは、「自分は変わらなくてもいい、周りが変わるべきだ」という傲慢な考えを疑わない。

 そんな彼らがデモをする様子はまさに、決められたルールに従えず、何がなんでも自分のわがままを通そうとわめき散らす、分別のない子どもそのものだ。

 そして皮肉なことに、自殺願望を抱きやすいタイプというのは、結局のところ、彼らのような人間にほかならない。

 つまり彼らのような人間は、遅かれ早かれ、思いどおりにならない現実に押し潰されてしまうわけである。

 一方、「ルールを変えてしまうのではなく、自分自身を変えよう」と思える人間は、デモで一方的に身勝手をわめき散らす彼らよりも、はるかに強い「生きる力」を持っているのだ――。



 それを聞いて、シュウも、なるほどきっとそのとおりなのだろうな、と思った。


 あのテレビ番組は、確か、自殺支援制度制定から十年を振り返る、というコンセプトの特番だった。

 スタジオで論を述べるコメンテーターの後ろでは、制度が制定された当時に撮影された、激しい街頭デモの映像が流れていた。

 あの頃は、まだそんな時代だったのだ。

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