またね、n回目のリンネ

ぽんちゃ 🍟




「サクラさん。こちら、6.0*10^23枚のうち、1.0*10^n枚、選んでください」



 異空間に散らかった 白いカード


 全部おなじ 違いは 分からない



 天才じゃない



 だから どれがいいとか どれなら正解とか ぜんっぜん分からなくて


 手当たり次第に 1.0*10^n枚



「サクラさんの人生は、こちらです」



 極秘 と書かれた 透明な紙束


 今回の 人生シナリオが 書いてある



「サクラさんの『アイデンティティ』は、こちらです」



 閲覧可 と書かれた 透明な紙束


 そんな『私らしさ』 要らないけど


 

 またね リンネ



「行ってらっしゃい、サクラさん。よい人生世界を————


 





 地球には、今日も透明な雨が降っていた。



 県立けんりつ椎木第一しいきだいいち高校2年の教室は4階にある。



 エスカレーターを下って、部活中の他人を横目に、はひとり帰宅する。


 いつものように。



 文明の利器のおかげで、建物外でも雨に濡れることはなく、傘をさす必要もない。



 スニーカーに履き替え、昇降口にぼさっと立っていた。



 地球上の日本は梅雨入りしたらしい。今朝の天気ニュースで聞いた。



 僕が小学生の頃の梅雨は、6月からひと月ほどだった。これが、以前の普通だ。



 でも、今は変わった。



 今年の梅雨は、今月5月頭に始まった。


 期間が延びるわけではなく、去年みたいに、6月には明けてしまうのだろう。



 気候が年々、ずんずん前倒ししている。


 でもいつか、いまのコレが当たり前になって、違和感も消える。



 地球は、狂っていくのだろう。


 僕が死んだ後も、来世の僕がびっくりするかな。




「ねぇモモちゃん、明日提出の課題ってなんだっけ」


「えー、あっ数学じゃない?」


「あーね」



 女子が2人、僕を知っている様子もなく昇降口から帰って行った。


 クラスメイトだ、たぶん。名前は忘れた。



 彼女たちは、普通に傘をささない。


 今日の世界は、雨=傘はもう成り立たないし、そもそも、雨に気づけない。



 誰も分からない。天気がどうなるかなんて。


 でも別に、知らなくたって大丈夫だ。



 の中で過ごす地球の人間には、外の天気なんて関係ないから。



「つよいな……」



 雨が。



 手をかざす。でも、なにかかするわけがない。


 そういう地球だ。



 意を決した僕は、きゅっと踵を返した。







 地球は変わった。


 善し悪しはさておき、事実として変化した。



 過去に地球を覆うものは『大気』だったらしい。



 今は、透明な殻が覆っている。


 プラスチックと呼ばれているが、研究の末に発明された特殊な素材だ。



 地球は、変わった。



 その殻は、雨も雪も氷も雷も通さない。内側には風も吹かない。温度は快適に維持される。


 太陽光と月明かりだけが、にわかに届く程度だ。



「よいしょ」



 4つ目の階段をのぼり終え、ボスのようにそびえ立つドアを、キィっと押し開いた。


 開いたところで、絵に描いたような解放感はない。



 雨の日は、雨の音が聴きたい。


 本物の雨の音は知れないけれど、この、殻にあたるボトボトとした音は聴ける。



 より殻に近いところ、高いところに行けば。



「……いいな」



 屋上だった。


 学校の、いちばん殻に近いところ。



 ここなら雨音が聴けるし、放棄された机で静かに勉強もできる。


 

 さっきのクラスメイトの話をぽやっと思い出す。数学が明日、提出か。



 ドア付近に放置された机椅子に腰をかけた。


 壊れてはいないが、使われてもいない。



 問題集を開いて、文字を走らせれば、聞こえるのは雨音とシャーペンの音だけだった



「それ、量多いよね~」


「うん」



 提出だと言われたのも今週だったし、量も多い。


 僕は終わるけれど……て、



「は?」



 なに? 僕はいま、誰と喋った?

  

 ぞわっと鳥肌が立って、探すように右をくいっと見た。


 視界に入ったのは……金髪の、



「よ、芳野よしの咲良さくらさん!」


「フルネームで呼ぶなよ! ウケるな」



 大声を出してしまった。


 他人の名前を覚えていることに、我ながら驚く。教室で隣の席の、芳野咲良だ。



「ごめん……」


「間違ってねェよ!」



 こんなに口癖が荒々しいのは、僕のまわりで彼女だけだ。間違うはずもないか。



「サクラってアタシ、似合わねェから」


 

 不服そうに眉を潜めて言った。



 一理あるけれど、名前だから呼ばざるを得ない。


 個人的には、サクラって綺麗だし、好きだけど。彼女にはそんなこと、どうでもいいか。



「数学か~。夏目もそれ終わってねェのな」


「いや」



 しまった。反射的に否定をしていた。


 馬鹿にされたような言い方が、僕の癪に障ったのかもしれない。



「まぁ……」



とりあえず曖昧に返事をした。



「数Ⅱ課題多いよな~。アタシまだ1ページも終わってねェ」


「え?」



 終わってない? 


 嘘吐くなよ。芳野さんがそんなこと……



「ホントだわ、ほら~」



 少し離れた机からスクールバックを持ってきて、ごそごそ漁る。


 僕と同じ問題集とりだし、バサっと見開いた。



「……ま、まっさら…」



 得意げにパラパラとめくって見せたけれど、どれも白みが強い。


 印字された数式だけがぽわんと浮き上がっていた。

 


「きみ、本当に芳野咲良?」


「アタシ以外にいないだろ金髪」


「たしかに……」



 金色を悪びれる様子もなく、髪を指さして言った。



 椎高しいこうは、県トップの進学校だ。


 派手な人はそうそういなく、金髪なのも芳野咲良だけだろう。


 黄色頭を学校で見かければ、彼女と断定できる。



 その金髪も、殻の外の重い雲色で若干くすんでみえた。



 たしかに。


 つよめの化粧も、短いスカート丈も、教室で隣にいる芳野咲良だ。



 でも、芳野咲良にこれが解けないわけがない。


 そんな人なら、この僕がライバル視するはずないのに。



「ずっとココにいたの?」



 屋上にはいつも机が散乱している。


 さっき彼女が問題集をとりにいった机には、僕等とおそろいの教科書類が山積みされているようだ。



 あれ、いちばん上は知らない。


 なに? パッと見は桃色——文庫本?



「ずっと? つーか、いつも」



 首を傾けながら、彼女はさらっと告げた。


 ちょっと意外だ。放課後は毎日友達と遊んでいそうなのに。



「なにしてるの」



 しまった、と思った。 


 わざわざ聞くことでもない。あの机を見れば分かるだろ。



「なにって……」



 答えなくていい。


 答えないで。

 


 イエロー警報が、僕の脳内で、ごわんと鳴った。



 自分から聞いておいて、聞きたくないって、どれだけ我儘なんだ。



 彼女は無言だった。



 僕のこの、葛藤を察しているように。


 やっと口を開いたかと思うと、



「じゃあな夏目!」


「えっ」 



 答えなかった。



 かわりに、いつの間にスクールバックを背負っている。


 つけたキーホルダーをちゃらちゃらさせて、手だけを僕へ振った。



「また明日な~」



 左手をひらひらさせて、仄暗ほのぐらい階段を駆け下りていく。



 後姿の影が、うっすら揺らいだ。


 遠くなればなるほど、色褪せていく。暗いところに、吸い込まれるっていうか。



 パラパラ漫画を、眺めているみたいだ。


 

 現実味のない、前進する彼女の背中が。


 でも確かに、僕の一歩前にいる彼女が。



 パラパラと、絵が変わるように、邁進していた。そういう光景だった。



 それに見蕩みとれて僕は、滑稽に、じわりと後退をしていた。



「……これ。」

  


 後退した僕は無意識に、机へ山積みされた教科書コレクションに手を伸ばしていた。


 僕がつい手を取ったのは、いちばん上の、その桃色の単行本。題名は、



『またね、n回目のリンネ』



 小説か? 聞いたことない。いまどき売っていないほど紙が廃れている。



 リンネって誰だ?


 クラスにいるっけ、僕が忘れているだけで。



 ねぇ、と開きかけた口を噤む。


 彼女はもう、階段を降り切っていた。僕にはもう見えない。



 置いてかれた、気がした。勝手に。



 一緒に進む約束なんてしていない。


 置いてかれるどころか、僕は彼女に追いついてさえいないのに。




 そうだった。


 今日も明日も明後日も、僕は負け続ける。


 隣の席の、芳野咲良よしのさくらに。



 学校一のギャルにして、全国成績トップクラスの、『ヨシノサクラ』に。


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