またね、n回目のリンネ
ぽんちゃ 🍟
1
「サクラさん。こちら、6.0*10^23枚のうち、1.0*10^n枚、選んでください」
異空間に散らかった 白いカード
全部おなじ 違いは 分からない
天才じゃない
だから どれがいいとか どれなら正解とか ぜんっぜん分からなくて
手当たり次第に 1.0*10^n枚
「サクラさんの人生は、こちらです」
極秘 と書かれた 透明な紙束
今回の 人生シナリオが 書いてある
「サクラさんの『アイデンティティ』は、こちらです」
閲覧可 と書かれた 透明な紙束
そんな『私らしさ』 要らないけど
またね リンネ
「行ってらっしゃい、サクラさん。よい人生世界を————
*
地球には、今日も透明な雨が降っていた。
エスカレーターを下って、部活中の他人を横目に、僕はひとり帰宅する。
いつものように。
文明の利器のおかげで、建物外でも雨に濡れることはなく、傘をさす必要もない。
スニーカーに履き替え、昇降口にぼさっと立っていた。
地球上の日本は梅雨入りしたらしい。今朝の天気ニュースで聞いた。
僕が小学生の頃の梅雨は、6月からひと月ほどだった。これが、以前の普通だ。
でも、今は変わった。
今年の梅雨は、今月5月頭に始まった。
期間が延びるわけではなく、去年みたいに、6月には明けてしまうのだろう。
気候が年々、ずんずん前倒ししている。
でもいつか、いまのコレが当たり前になって、違和感も消える。
地球は、狂っていくのだろう。
僕が死んだ後も、来世の僕がびっくりするかな。
「ねぇモモちゃん、明日提出の課題ってなんだっけ」
「えー、あっ数学じゃない?」
「あーね」
女子が2人、僕を知っている様子もなく昇降口から帰って行った。
クラスメイトだ、たぶん。名前は忘れた。
彼女たちは、普通に傘をささない。
今日の世界は、雨=傘はもう成り立たないし、そもそも、雨に気づけない。
誰も分からない。天気がどうなるかなんて。
でも別に、知らなくたって大丈夫だ。
プラスチックの殻の中で過ごす地球の人間には、外の天気なんて関係ないから。
「つよいな……」
雨が。
手をかざす。でも、なにか
そういう地球だ。
意を決した僕は、きゅっと踵を返した。
*
地球は変わった。
善し悪しはさておき、事実として変化した。
過去に地球を覆うものは『大気』だったらしい。
今は、透明な殻が覆っている。
プラスチックと呼ばれているが、研究の末に発明された特殊な素材だ。
地球は、変わった。
その殻は、雨も雪も氷も雷も通さない。内側には風も吹かない。温度は快適に維持される。
太陽光と月明かりだけが、にわかに届く程度だ。
「よいしょ」
4つ目の階段をのぼり終え、ボスのように
開いたところで、絵に描いたような解放感はない。
雨の日は、雨の音が聴きたい。
本物の雨の音は知れないけれど、この、殻にあたるボトボトとした音は聴ける。
より殻に近いところ、高いところに行けば。
「……いいな」
屋上だった。
学校の、いちばん殻に近いところ。
ここなら雨音が聴けるし、放棄された机で静かに勉強もできる。
さっきのクラスメイトの話をぽやっと思い出す。数学が明日、提出か。
ドア付近に放置された机椅子に腰をかけた。
壊れてはいないが、使われてもいない。
問題集を開いて、文字を走らせれば、聞こえるのは雨音とシャーペンの音だけだった
「それ、量多いよね~」
「うん」
提出だと言われたのも今週だったし、量も多い。
僕は終わるけれど……て、
「は?」
なに? 僕はいま、誰と喋った?
ぞわっと鳥肌が立って、探すように右をくいっと見た。
視界に入ったのは……金髪の、
「よ、
「フルネームで呼ぶなよ! ウケるな」
大声を出してしまった。
他人の名前を覚えていることに、我ながら驚く。教室で隣の席の、芳野咲良だ。
「ごめん……」
「間違ってねェよ!」
こんなに口癖が荒々しいのは、僕のまわりで彼女だけだ。間違うはずもないか。
「サクラってアタシ、似合わねェから」
不服そうに眉を潜めて言った。
一理あるけれど、名前だから呼ばざるを得ない。
個人的には、サクラって綺麗だし、好きだけど。彼女にはそんなこと、どうでもいいか。
「数学か~。夏目もそれ終わってねェのな」
「いや」
しまった。反射的に否定をしていた。
馬鹿にされたような言い方が、僕の癪に障ったのかもしれない。
「まぁ……」
とりあえず曖昧に返事をした。
「数Ⅱ課題多いよな~。アタシまだ1ページも終わってねェ」
「え?」
終わってない?
嘘吐くなよ。芳野さんがそんなこと……
「ホントだわ、ほら~」
少し離れた机からスクールバックを持ってきて、ごそごそ漁る。
僕と同じ問題集とりだし、バサっと見開いた。
「……ま、まっさら…」
得意げにパラパラとめくって見せたけれど、どれも白みが強い。
印字された数式だけがぽわんと浮き上がっていた。
「きみ、本当に芳野咲良?」
「アタシ以外にいないだろ金髪」
「たしかに……」
金色を悪びれる様子もなく、髪を指さして言った。
派手な人はそうそういなく、金髪なのも芳野咲良だけだろう。
黄色頭を学校で見かければ、彼女と断定できる。
その金髪も、殻の外の重い雲色で若干くすんでみえた。
たしかに。
つよめの化粧も、短いスカート丈も、教室で隣にいる芳野咲良だ。
でも、芳野咲良にこれが解けないわけがない。
そんな人なら、この僕がライバル視するはずないのに。
「ずっとココにいたの?」
屋上にはいつも机が散乱している。
さっき彼女が問題集をとりにいった机には、僕等とおそろいの教科書類が山積みされているようだ。
あれ、いちばん上は知らない。
なに? パッと見は桃色——文庫本?
「ずっと? つーか、いつも」
首を傾けながら、彼女はさらっと告げた。
ちょっと意外だ。放課後は毎日友達と遊んでいそうなのに。
「なにしてるの」
しまった、と思った。
わざわざ聞くことでもない。あの机を見れば分かるだろ。
「なにって……」
答えなくていい。
答えないで。
イエロー警報が、僕の脳内で、ごわんと鳴った。
自分から聞いておいて、聞きたくないって、どれだけ我儘なんだ。
彼女は無言だった。
僕のこの、葛藤を察しているように。
やっと口を開いたかと思うと、
「じゃあな夏目!」
「えっ」
答えなかった。
かわりに、いつの間にスクールバックを背負っている。
つけたキーホルダーをちゃらちゃらさせて、手だけを僕へ振った。
「また明日な~」
左手をひらひらさせて、
後姿の影が、うっすら揺らいだ。
遠くなればなるほど、色褪せていく。暗いところに、吸い込まれるっていうか。
パラパラ漫画を、眺めているみたいだ。
現実味のない、前進する彼女の背中が。
でも確かに、僕の一歩前にいる彼女が。
パラパラと、絵が変わるように、邁進していた。そういう光景だった。
それに
「……これ。」
後退した僕は無意識に、机へ山積みされた教科書コレクションに手を伸ばしていた。
僕がつい手を取ったのは、いちばん上の、その桃色の単行本。題名は、
『またね、n回目のリンネ』
小説か? 聞いたことない。いまどき売っていないほど紙が廃れている。
リンネって誰だ?
クラスにいるっけ、僕が忘れているだけで。
ねぇ、と開きかけた口を噤む。
彼女はもう、階段を降り切っていた。僕にはもう見えない。
置いてかれた、気がした。勝手に。
一緒に進む約束なんてしていない。
置いてかれるどころか、僕は彼女に追いついてさえいないのに。
そうだった。
今日も明日も明後日も、僕は負け続ける。
隣の席の、
学校一のギャルにして、全国成績トップクラスの、『ヨシノサクラ』に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます