遠近両用の未来

楠樹 暖

遠近両用の未来

 毎朝読む新聞の文字が見にくくなってきた。

「眼鏡を新しくしたら?」

 家内に言われて眼鏡を新調することにした。

「お客様の年齢でしたら、そろそろ遠近両用眼鏡にしてはいかがですか?」

「遠近両用?」

「はい、いちいち遠くを見る眼鏡と近くを見る眼鏡と二種類用意しなくても一つの眼鏡でまかなえるものです。レンズの上の方が遠くを見るように、下の方が近くを見るようになっているものです。遠近のレンズの境目が無いので気にならないと思いますよ」

 眼鏡屋の勧めで遠近両用眼鏡に換えることになった。

 新しい眼鏡に換えた翌朝、いつものように新聞に目を通していた。

「おっ、行方不明の少女、出てきたのか……。かわいそうに遺体で見つかったなんて」

「えっ!? さっき新聞を読んだときにはまだ見つかってないって書いてあったけど」

「そんなことないよ。ほらここに」

 家内に新聞を見せる。

「ほら、まだ行方不明だって」

 新聞を見るが焦点が合わない。眼鏡を上に持ち上げ、裸眼で新聞を見た。すると、確かに行方不明と書いてある。どういうことだ?

 眼鏡をかけ直して新聞を見ると遺体で見つかったとある。

 眼鏡をかけると新聞の内容が変わる?

 新聞をよく見ると日付が明日になっている。

 明日の記事? いったいどういうことだ?

 眼鏡をかけた状態でも昼過ぎからは今日の記事が読めた。

 翌日、眼鏡をかけない状態で新聞を読むと、昨日見た記事がそのまま出ていた。やっぱり昨日見たのは次の日の記事だったのだ。

 眼鏡をかけて新聞を読む。日付は明日だ。

 やはりこの眼鏡を通して新聞を読むと、明日の記事が読めるのだ。

 遠近両方眼鏡の近距離用で見ると明日の記事が読めるということは……。レンズ上部の遠距離用のところで見たらどうなるのだろう?

 顔をうつむき加減にし、上目遣いで新聞を見る。焦点が合わないので新聞を遠ざける。

 ぼんやりとしていた文字が読めるようになった。

 新聞の日付は……一年後だ。

 やはり、この眼鏡で見ると近距離用のレンズでは近未来の一日先を、遠距離用で見ると遠い未来の一年後の記事が読めるようだ。

 一年後の記事を読んでみた。

『ストーカー殺人の容疑者逮捕』

 この容疑者という男、見たことがある。町内の人だ。この殺人事件があった場所も家の近所じゃないか。つまり一年後、家の近所で殺人事件が起こる? 犯人も近所の人。

 次の日の新聞を読むと、ストーカー殺人事件の犯人のことが載っていた。家からアダルトビデオが大量に出てきたとか、アイドルの追っかけをやっていたとか、中学時代は目立たない子だったとか。

 その日、会社へ行く途中で容疑者と顔を合わせた。

「おはようございます」

 挨拶をしたら、ぺこっとお辞儀を返してくれた。

 彼が一年後に殺人事件を犯すのか……。

 その日から私は彼をマークするようになった。何かにつけて彼と顔を合わせ、世間話をする。私が彼と接触することで、殺人事件を防ぐことができればいいのだが。

 一年後の新聞記事とは別に、近未来の翌日の新聞記事もチェックをしている。明日の記事では少女行方不明事件のまとめが載っている。驚いたのはこの事件も私の家の近所が絡んでいるのだ。

 二つの事件――少女誘拐死体遺棄事件とストーカー殺人事件はひょっとして同一犯の仕業では……。そしてその犯人は家の近所の彼……。

 一年後の新聞記事は彼のことを更に書き立てていた。派遣社員の契約を切られたこと。結婚していないこと。すべての事柄が彼を貶める方向へと進んでいる。

 一年後の彼は殺人事件を犯す。

 彼は少女を殺して何食わぬ顔をして世間を騙し、今度はストーカー殺人事件を起こすのだ。

闇を秘めた彼の顔を見ると、懸念は確信へと変わった。もはや未来の事実は変えられないような気がする。



 ストーカー殺人事件から一ヶ月が過ぎたころ、一年後の新聞記事に事件の真犯人が捕まったと載った。

 彼は犯人ではなく、冤罪だったのだ。

 彼の顔を見ると、騙すというより、騙される側の顔をしている。

 すっかり新聞の煽りに騙されてしまった。

 新聞の影響で、私は彼のことを色眼鏡で見ていたようだ。

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遠近両用の未来 楠樹 暖 @kusunokidan

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