八章:三元融界の果て 2


「おっと。こっそりやるつもりだったのに、ついつい口を挟んでしまったな。失敬、ミスター・エイケン」


 電脳を介して不敵に言い放つ九角。だが、その実彼自身は瀕死の状態だった。痛む右肘を、左手と口で銜えたコートの切れ端できつく縛って止血する。

 肘から先はなかった。

 いや、ついさっき。痛みで意識が戻った時まではあったのだが、落下の際に何処かに引っ掛かったのか、指は幾つかなくて、肉が一部欠損し、筋繊維が剥き出しになり、骨があちこちから突き出ていたのを見て、

(ああ……こりゃ死んでるな)

 そう一瞬で判断し、自分で切り落としたのだ。

 他にも右足と肋骨、右腕に罅。打撲や擦過傷は全身くまなく負っていた。

 ――でも、どうにか生きていた。

 落下の際に右腕がタワーの何処かに引っ掛かったおかげで、落下死を免れたのである。

 命に対して右腕一本。安くはない買い物となった。果たしてこれは運がいいのか悪いのか。命あっただけでもありがいたいと思うべきだろうが、この先もしかしたら一生幻肢痛に苛まれるのかもしれないことを考えると、それだけで頭が痛くなってくるものである。

 まあ、それらはすべて、今も頭上から降下し続けているレイヤーフィールドを――ひいては先ほどから聞こえ続けていた、荒唐無稽な偉人たちの計画を阻止してから悩むことにしよう。

 そう、思考を切り替えて。

 ――電脳没入。

 今度は超大型演算機関への直接な接触はしない。既に電脳回線は把握しているのだ。そうなれば、外部からの侵入も最早手間とはならない。

 一〇〇パーセントの電脳没入。失くなった右腕も、この世界でならば元通り――《電脳義体》グレンデルの機械義手になる。

(無事に終わったら現実のほうも機械義手にするか……)

 腕を動かして落胆の溜息を零しつつ、九角はグ第三電脳都市のタワーから街を一望する。

 こちらもまた、酷い有様となっていた。

 都市の多くの構築情報が崩壊を起こし、電脳都市は世紀末の廃墟の如くあちこち崩れ、ノイズの嵐を引き起こし、まるで無重力の中に放り込まれたような無秩序状態だった。

 もしこの瞬間にクリッターがやってこようものなら、一体どれだけの電脳情報が奪われるのか想像もつかない。


「まあ、どうでもいいことか」


 心の底からそう思って、九角はタワーの中へと侵入する。

 白亜の間、再び。

 中央にはあの黒き巨塔のような演算機械――マター・リ=エイダが動いていた。周囲に数百か、千を超えるほどの立体画面を表示して、人知を超えた演算をし続けるその中央に、女性が一人。

 マター・リ=エイダ――否、エイダ・ラブレスが硝子のような双眸を驚いたように見開いて、こちらを見ている。


『まさか、あれで死なないなんて……貴方、本当に人間ですか?』

「鍛えてるんだよ、これでも。それに、貴女のやり方はお粗末だ。人の身体の主導権を奪っておきながら、投身ってのはどうかと思う。人によっては、たとえ高層ビルから飛び降りたって生き残る。俺を殺したかったのなら、俺の持ってた銃で頭を撃ち抜けばよかった」


 エイダに向けて悠々と語りながら、九角は指で銃の形を作って頭を打ち抜く仕草をして見せる。そして、


「――残念、だったなぁ」


 そう、怒気を露わに。

 敵意を、剥き出しに。

 嘲るように、悪鬼グレンデルが言葉を吐く。

 無表情。当然だ。無貌――グレンデルの仮面に表情はない。だけど、その仮面の下で、九角ははっきりと口元を歪めていた。


 ――にたり、と。


 悪意を滲ませて。


「残念だったな。あと一歩だった。俺を殺しさえすれば、現実と電脳こっち側は完全に勝ちだった。でもしくじった。痛手は負わせた。だけどそれは現実の肉体マテリアルボディだけ。《電脳義体》は無傷だ。なら――俺はこっちで貴女を殺せばいい」


「くくくっ……」と、自分でも抑えらず失笑を零しながら、九角は頭上の立体画面に映る男――エイケンを見上げて言い放つ。


「王手詰みだって? 残念、駒入れ替えキャスリングだ。詰んだのは……お前らだ」

『……何処がだね? 確かに君が生きていたのは想定外だ。だが、状況は変わらない。如何に君が優秀な電脳戦士サイバーソルジャーだとしても、演算機関の核たる彼女相手に何ができる? そして何より、こちらに送り込んだ君の切り札は――御覧の通りだ』


 画面が切り替わる。

 映り替わった画面には、そこには鋼鉄の怪物の尾に腹部を貫かれ、壁に磔にされたまま、ピクリとも動かないトーリの姿があった。

 その姿を見て、果たして誰が彼の無事を信じるだろうか? 誰が見ても致命傷で、生きているなんて――つゆほどの希望を抱かないであろう、そんな情景を前にして、なお。


「――それがどうした?」


 彼は、支神九角は、グレンデルは、不遜の態度を崩さない。


「その程度で、そいつが死んだとでも思っているのか? 貴方が恐れて止まない魔女の――ベアトリーチェの弟子が、本当にそのくらいで殺せると? 見ろよ。さっきまで俺の死を確信していただろう? 生きているはずがないと。死んで当然だと! だが見ろ。俺は今、どうしているのかを!」


 力強く吐き出される声音に、僅かにだがエイケンが眉を潜める。その様子を見て一層笑みを深める九角は、再び声を張り上げた。


「トーリ! いつまで寝ているつもりだ! お前は、其処に何をしに行った! 思い出せ! お前のなすべきことを! お前が、しようと望んだことを!」


 画面の向こう。壁に縫い付けられて沈黙を続ける親友へ向けて。

 声、高らかに。

 鮮血の怪物が、咆哮を轟かせた。


「弥栄透莉――カウボーイ! めしいたその目を開いて、今度こそやり遂げろ!」


  ――残り時間【08:31】


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