八章:三元融界の果て 3



 ――声が聞こえた。

 友達の声だ。


『弥栄透莉――カウボーイ! 盲いたその目を開いて、今度こそやり遂げろ!』


 やり遂げろ? 今度こそ?

 変なことを言うなぁ。と、トーリは暗闇の中で苦笑した。それじゃあ、まるで以前に何かを失敗したようじゃないか。

 残念だけど、覚えはなかった。過去に、彼が声を張り上げるほどの失敗なんて、した覚えはない。


 ――本当に?


 ああ、まただ。

 また、誰かが問うてくる。

 天鵞絨を纏った誰か。深い夜闇ベルベッドに呑まれた誰かが、目の前に立っている。

 うっすらと、微笑んで。何処かからかうように、目元を綻ばせて。


 ――約束しただろう? カウボーイ。あの日、この場所で。


(……この場所で?)

 目の前の女性の言葉に、首を傾げる。此処――観測者の塔。何を言っているのだろうか。この場所をトーリが訪れたのは、今日この時が初めてだ。

 意味の分からないことをいう女性から目を逸らすように、目を伏せる。瞬間、まるで全身が鉛になったかのように重く感じた。次第に意識があいまいになってくる。やがて、このまま意識を手放してもいいんじゃないかな、なんて考え始めた時である。


 ――本当に判らない?


 そのはずなのに、またそうやって訪ねてくる。少しだけ、その問いかけにイライラして、閉じていた重い瞼を持ち上げた。

 そこに立っていたのは、あの女性ではなかった。

 子供だった。

 少年だった。

 白いコートに身を包んだ、白い髪の、顔の半分を黒い鱗に覆われた子供。


「……え?」


 思わず、驚いて声を上げた。

 少年が、にこりと微笑んで、首を傾げて、訊ねてくる。


 ――忘れてるの? 僕らは、約束しただろう? マスターに。

 ――忘れてるの? 僕らは、約束しただろう? アゼレアに。



「あ……あ……」


 笑う幼い少年じぶんに浴びせられる言葉に、視線をさ迷わせ、記憶を探って、でも判らなくて――だけど、知らないという言葉だけは、何故だか口にできなくて。

 

『――君を、助けるよ』

『――約束よ。絶対、助けてよ』

『勿論。絶対に、だ』

『ええ。絶対に、よ』


 誰かの声が、脳裏に過ぎって。

 いいや、誰か――じゃない。

 この声を、トーリは知っている。覚えて――いる。

 金髪の、翡翠の色の瞳をした少女。

 その姿が、彼女と――アゼレアと重なって。



「思い……出した……っ」



 ああ――

 どうして――どうして、忘れていたのだろう。

 何度も、そう。何度も、トーリはこの世界に、ノスタルギアに来ていたのだ。ずっと昔。師と仰いだ人物に連れられて、初めて彼女に出会ってから、ずっと。

 そしてあの日。現実で『クローム襲撃』と呼ばれる事件が起きた日。

 確かに、この場所にいたのだ。

 ハワード・ハサウェイ・エイケン。師と――マスター・ベアトリーチェと共に、彼と対峙した。

 エイケンの三元融界計画を利用した、魂の転送。アゼレアの現実の身体へ、こちら側にとどまっている魂を転移させる、そのために。

 エイケンの計画を奪うまでは良かった。

 だけど、電脳空間側の、シティ・キャンベラの超大型演算機関。そのマザーシステムの暴走が齎した影響によってノスタルギア側に生じた崩壊現象――それに巻き込まれた師の、最後の言葉は。


 ――あの子を頼むよ、トーリ。


 その言葉が、胸に突き立てられて。

 今度こそ――応えないと。

 師の、その言葉に。

 何より、幼いあの日に、そうしたいと思ったのならば。

 今度こそ――なすべきこと、なすために!


 そして――トーリの意識が覚醒する。


 最初に凄まじい痛みが襲ってきた。開いた双瞳が見たのは、自分の腹に突き立てられたクロームの槍。鋼鉄の怪物、マラコーダの尾。

 目覚めの気付けには、かなりグロテスクで最悪な光景だろう。だけど――

(――やってくれるじゃないか!)

 火は、着いた。

 痛みを堪え、再び途切れそうになる意識を無理矢理奮い立たせて、トーリは左腕を振り上げた。


「――干渉術式、励起」


 その声に応えるように、トーリの内で何かが熱を持った。火種が強く熱を放ち、やがて小さな火となり――そして、それは瞬く間に全身を駆け巡る炎のように滾って、


「起動せよ、《破戒ノ王手》!」


 暗色の光が、螺旋を描いて左腕を包んだ。

 触れるすべてを浸食し、朽ち果てさせる異能が顕現し――左手、一閃!

 熱したナイフをバターに突っ込むように、クロームの尾先が一瞬で崩壊する。


『――GRRRRRRRRRRRRRRR!』


 絶叫が塔全体に響き渡った。

 突如起きた異変に、その場にいた者たち――画面の向こうにいる者も含め、その視線が一堂にトーリへと注がれる。


「トーリ!」


 アゼレアが歓喜の声を上げた。


『おそよう、トーリ』


 九角がからかいの言葉を投げてきた。


「莫迦な……」

『何故、どうして……貴方たちは』


 エイケンは信じられないものを見た風に顔を歪め、エイダは困惑した様子で無味蒙昧な声を漏らして。


「心配かけたね、アゼレア。そっちこそ、生きててなにより、九角」


 微笑みながら二人に返事を返し、トーリは落ちていた動力駆動式鉈を右手で拾い、左手を垂らすように構えながら、エイケンを――そして画面の向こうにいるエイダを見据えて、


「そろそろ、終わりにしよう。誇大妄想に振り回されるのはうんざりだ。過去の偉人――いいや、懐古主義の亡霊に、僕らの時代をこれ上好き勝手させてたまるか」


 トーリは凛然とエイケンたちへ言い放った。

 階差機関――《生命機関》を背にし、その言葉を正面から受けたエイケンは、肩を震わせ、凄まじい形相で怒りを露わにする。


「……亡霊、とな? 言ってくれるではないか。だがそれは間違いだ。これこそがノスタルギアの意思の発露にして、形を成した姿。私がこの世界にやってきたこと。私とエイダが巡り合ったこと。そして、この《生命機関》の完成こそが、我が師の叡智によって繁栄したこの世界が、我が師の栄光を願っている証明!」

「貴方が都市の意思を語るなよ。ああ。騙っているなら、それは確かだろうけどね――ミスター・エイケン。だけどこれ以上、貴方たちの妄言に付き合う気は、僕にはない」

「あくまで、私の邪魔をするか。魔女の弟子、カウボーイ――この世界に在らざるべき、夢幻体。我が師の偉業を拒んだ、歴史の果ての住人たちよ。お前たちが私たちを否定するというのなら、私たちはお前たちを拒絶しよう。故に――この世界から退場しろ!」

「それは貴方も同じだろ!」


 憤怒の声を上げるエイケンに向かって、トーリが地を蹴って疾走する。


「今度こそ殺せ、マラコーダ!」


 対して、エイケンがマラコーダに命じた。尾を絶たれた鋼鉄の怪物は、しかして主の声に呼応して咆哮を上げると、そのクロームの四肢を振るい、トーリへと襲い掛かる。


「――邪魔を……するなぁ!」


 右手に動力駆動式鉈を握り。左腕に《破戒ノ王手》を纏って。

 トーリは、二度の敗北を喫した相手に挑みかかる。


  ――残り時間【07:43】


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