六章:電脳の向こう側へ 3

      ◇◇◇



「透莉の電脳接続を確認。同時に《電脳義体》の消失も確認した――成功、とみていいだろう」

「……《電脳義体》が消失したことが成功って、普通に考えたら背筋が寒くなる話ね」


 事務的な九角の科白に、身震いしながら姫宮はそう零す。だが、逆に九角はにやりと微笑んでいた。


「後はインストールしていた通信プログラムがちゃんと機能してくれるのを祈るばかりだな」

「貴方、そんなものまで用意していたの?」


 驚く姫宮を横目に、九角は鷹揚に頷いてみせる。


「あっちの状況を少しでも実況してもらえればと思ってな」

「まあ、確かにね。私たち、完全に傍観状態だし――というか、ひとついいかしら?」


 すると、九角が無言で視線を向けてきた。

続きを促されたのだと少し遅れて理解し、姫宮は僅かに目元を鋭くして、探るように彼に訊ねる。


「貴方自身がいかない理由は何?」

「理由はいろいろあるが……大きく分けて二つある」

「一つ目は?」

「敵を炙り出す」


 大型モニタを見上げながら、九角はカタカタとキィを叩いてモニタに地図を表示し、その後画面にいくつもの窓を表示させる。


「透莉にはああ言ったが、敵の現実世界の相手バックを探り当てる絶好の機会だ」

「どうしてそう思うのよ?」

「電脳ドラッグの事件は京都で起きていた。なら、敵もこの地に居る可能性が高い。現実の戦闘にしろ、電脳戦にしろ、俺のほうが腕は上だ。そして、俺はノスタルギアという異世界がどんなものか判ってない。比べて透莉のほうは経験がある――なら、役割分担は自然とそうなるだろう?」

「正論ねー。もう一つは?」

「アゼレア・バルティが関わっている。なら、師ベアトリーチェの関与もあり得る。ましてや、『クローム襲撃』の本意がバルティ親子にあるなら、やはりあいつのほうが適任なんだ――多分だが」


 強く断言する九角の言葉に、姫宮は眉を寄せる。

 彼の言葉のニュアンスから、まだ隠された何かがあるのではないかという予感にかられたのだ。

 そして、こういう時の勘はよく当たるということを、最近の経験から痛感している。

 だから、何を言われても驚かない――という覚悟程度をして、姫宮は問う。


「――この少年、何者なの?」


 すると、九角はゆっくりと視線を動かして、寝台に横たわる透莉を見つめ――言った。



「コードネーム、カウボーイ。ベアトリーチェ・バルティの一番弟子ザ・ファーストであり――師ベアトリーチェにも不可能と言わしめた《ニューロマンサー》の基礎プログラムを作り上げた、稀代の天才だよ」


 もう、何度絶句したことだろうか。

 常識外れの見本市に連れてこられた気分である。いや、ある意味ではその通りなのだろうけど。


「じゃあ、何? この子こそが、『クローム襲撃』の元凶……ってことなの?」

「そうとも言えるな」


 どうにか言葉を絞り出した姫宮に対し、九角は皮肉げに口元を綻ばせながら「最も、元天才――というべきだろう」と気になる言葉を口から零し、耳ざとくその声を拾ってしまった姫宮は首を傾げた。


「元?」

「……記憶喪失なんだ。そいつは、『クローム襲撃』以前のことは、何も覚えていない」


 僅かな逡巡ののちにそう語ると、もう話すことはないとでもいう風に九角の視線は大画面へと移った。だが、此処でようやく、姫宮は九角の真意を理解し、思わず呆れて溜息を吐いた。


「貴方……この子を嵌めたわね」

「人聞きが悪いな。適材適所だ」


 訂正はするが、否定はしない。つまり、そういうことなのだ。

 何故、支神九角グレンデル弥栄透莉部外者にいきなり情報を開示したのか――彼は、利用しているのだ。この状況を。

 電脳テロ『クローム襲撃』を機に失われた記憶。裏を返せば、その原因は『クローム襲撃』にあるのだということなど、これまで開示された情報をかみ砕けば容易に想像できることだ。

 そして今、如何なる運命の悪戯か。『クローム襲撃』に関わる要素を持つ人間がこの場に集っていて――且つ、行方の知れない『クローム襲撃』の主犯とされる人物の娘らしき存在との接点が生じたとなれば――真相を最も知るのであろうこの紅衣の青年が目論みは看破するに容易い。


「――もしかしたら、この坊やの記憶が戻ると思ってる?」


 抑揚ない声でそう尋ねると、


「……そうあればいいと、願っている」


 支神九角は、一瞬の間を開けた後、淡々と答えた。

「この悪党」もう何度目とも知れないため息と共にそう言うと、


「自覚している」


 ノンフレームの眼鏡を外しながら、青年は自嘲気味に口元を歪めた――その時である。

 突然、室内の光が途絶えた。

 一瞬の暗転ののち、天井のランプが赤く明滅し、警告音を響かせる。


「ちょっと、何事!」

「騒ぐな、今調べている!」


 叫ぶ姫宮の横で、九角は凄まじい速度でキィを叩いた。大型モニタに次々と表示される情報を二人の目が捉える。そして、その文字を見た。



 [特級非常災害警報が発令されました。都市外部へ避難を開始して下さい]



「……非常災害警報、だと? しかも、特級?」

「市全体に避難勧告が出てる……どういうことなの?」


 二人が顔を見合わせる。


 ――特級非常災害警報。


 それは過去一度として発令されたことがない勧告。

 非常災害警報は数あれど、特級の名がつく事象はただ一つ。そして、それは現代においてあってはならないもの。

 特級非常災害警報。それは台風や地震などの自然災害とは全く異なる天災(もの)。


 レイヤーフィールドに致命的な問題が発生した際に発せられる警報である。


 その意味合いを理解した瞬間、二人の顔から血の気が失せた。同時にキィを叩き、モニタに新たな画面を――外の様子を映した映像を表示させて……


「……レイヤーフィールドが、、、、、、、、、、落ちてきている、、、、、、、?」


 そう、九角が辛うじて絞り出した言葉の通りの光景が、そこにはあった。

 あの天高くに築き上げられていた人工の大気圏層。

 それが緩やかに、だがはっきりと。その高度を徐々に下げてきている光景が、まざまざと映し出されて――。

 そして。


「――って……ちょっと、冗談でしょ?」

「ご都合主義展開にもほどがあるだろう……」


 その落ちてくるレイヤーフィールドに表示されている映像が、二人の表情を険しく歪めさせた。

 映っている。映し出されている。

 本来ならば、描かれるべきは空の映像だ。今日の天候は曇りのはず。

 ならば、あるべき光景は曇天。

 だが、違う。

 そこにあったのは、空模様ではない何か。

 映し出されていたのは、空の景色とは決して相容れぬ情景。


 ――鋼鉄と蒸気が蠢く、異形の都市だった。




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