七章:奔走 1
――意識が、覚醒する。
一瞬の
継ぎ接ぎのような鋼鉄の壁と地面に、あちこちから吹き出す蒸気。まごうことないノスタルギアの光景。
だが、少し様子が可笑しかった。
困惑。混乱。戸惑い。騒然――恐れにも似た人々の声と、彼らの視線が一様に空へ向けられていて、自然、トーリも彼らと同じように視線を空へと向けて――息を呑む。
この世界に青空というものは存在しない。
この地を覆うのは、排煙によって厚く広がった灰色の空だ。
だが、今は違った。
曇天の空――その中央。この都市の頭上に広がっているのは、今まで見たこともない異様なる景色。
空にぽっかりと空いた穴。
世界中の空を覆っていた灰色の雲に、穴が開いていた。
そしてそこから覗くのは、雲の向こうに広がる蒼穹――ではない。
街並みだ。
穴の向こうに広がっているのは、丁度上空から見下ろした形の、何処かの街の風景。
いや、何処か――ではない。
(……あれって)
その街並みを、トーリは知っていた。
だが、だかこそ、有り得ないとトーリは思った。我が目を疑い、一層穴の向こうに広がる街並みを凝視し、注視する。
だが、見間違いではない。
見間違えるはずが、ない。
「――京都市街……」
日本近畿に位置する大都市の一つ。弥栄透莉の故郷の街並みが広がっていた。
信じられない光景に呆気にとられそうになり――しかし、すぐにその意識を振り切る。今更、何に驚くというのだ。有り得ざる光景などもう何度となく目にしてきた。
ならば、この程度がなんだというのか。驚くだけ無駄だ。此処は、ノスタルギアなのだ。トーリの生きている世界とは異なる歴史を歩んだ異なる次元。
そこに迷い込んでいる時点で、驚天動地の状況。最早何が起きたって不思議ではない。
『――トーリ、聞こえるか?』
ザザザ……――というノイズと交じりに、脳裏に響く旧友の声。トーリは空を見上げながらその声に応える。
「雑音交じりにだけど、一応聞こえているよ。さっそくだけど、ひとつ報告があるんだけど……聞きたい?」
『なんだ? 空に京都の街並みでも見えてるのか?』
言うよりも先に返って来た九角の言葉に、トーリは驚きを通り越して呆れてしまった。よほどの莫迦でもない限り、何が起きているかなんて想像がつく。
「……もしかして、そっちも?」
『もしかしなくても、だ。レイヤーフィールドに地球上に存在しない都市の映像が映し出されて、おまけにそのレイヤーフィールドが徐々に降下してきてやがる。おかげでこっちは市全体がアリの巣を壊したみたいな状態だ。ファック』
「……そりゃマズいね」
『究極的にマズい。タイミング的に見て、原因はあまり考えたくはないが――』
「ノスタルギアにいる仮面の男、か……」
自然、トーリの視線は空から別の方向へと動く。
この都市、ノスタルギアの中央に位置する巨塔――アゼレアが言っていた観測者の塔だ。どういうわけか、その塔は以前見た時とは違い、淡い光に包まれ、心なしか脈動している風に、トーリには見えた。それこそ、今まさにあの場所で「何かしてますよ」と主張するかのように。
『と同時に、こっちにも動きがあった』
「このタイミングで? まるっきり罠でしょ、それ」
『まあ、そう考えて間違いないだろうが……この状況を放置するわけにはいかない。罠だろうと、動かざるを得ない』
これまで尻尾どころか影も形も摑めなかったものが、異常事態が起きると同時に姿を見せるなんて――どう考えても罠以外の何物でもない。
勿論、九角もそれは判っているだろう。だけど、だからと言って傍観する、というわけにもいかないのだ。レイヤーフィールドなくして人類の存続はない。一カ所でも機能を失えば、その空いた穴から汚染物質が地上に降り注ぎ――やがては人類滅亡の危機にすら直結するのである。
見過ごすという選択肢は、初めから存在しなかった。
「虎穴に入らざれば虎子を得ず、ってこと?」
『そういうことだ。尤も、レイヤーフィールドの降下現象の原因はどう考えてもこちら側にある。こっちはどうにかするから、お前は予定通り七種たちの救出を優先して動け』
「簡単に言うね。流石はグレンデル」
『御託はいいからとっとと
吐き捨てるような科白と共に、ブツッっという通信が切れる音がした。
やれやれと溜息を吐き、トーリは改めて目指すべき先を視線に捉える。
「言われなくてもやってやるよ――イピカイエー、ってね」
あるのは――聳え立つ、輝く塔一つ。
そこを目指し、トーリは鋼鉄の都市を走り出す。
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