四章:交錯 5
無言を貫く黒衣の背中を見つめて、その三メートルほど後ろをトーリは気まずい沈黙に耐えながらすごすごと追従した。
ああ、怒ってる。
滅茶苦茶怒ってる。
それが判る。判ってしまう。
そうトーリが確信してしまうくらい、少女の背中が語っていた。
まあ、当然だろうと、トーリは思う。自分がしたことを思えば、アゼレアが怒るのは至極当然のことなのだ。例えそれが如何に理不尽を孕んだ事故であったとしても、許可なく女性が入浴しているバスルームに飛び込む――しかも屋根を突き破って――なんてことは、まあまず許されることではないだろう。
正直、殺されたって文句は言えない――というのは言い過ぎかもしれないが、簡単に許してもらえることじゃないのは確かだった。
(どーしよう……)
そしてこの気まずい状況に、トーリは割と困っていた。そして困っているけど、解決方法が見いだせないままでいる。
あと、若干周囲の目も痛かった。
すれ違う人たちが、トーリの顔を見るたびに失笑する。理由は簡単。トーリの顔右半分に刻まれている、鮮やかな手形。
フードを被って隠しているが、やはり角度などによっては見える人には見えてしまうらしい。何処か微笑ましいものを見るような視線が、一層いたたまれなさに拍車をかけてくる。
いっそ逃げ出してしまいたい気持ちはなきにしもあらずだが、このノスタルギアにおいて、トーリには頼れる相手が彼女以外にはいなかった。
地理にも疎く、情勢にも詳しくない。この都市がどんな経緯でできて、今はどのように機能しているのか。どんな人が住んでいて、どんな場所は危ないのか。
そんな情報の一つも持たずに一人歩こうものなら、一瞬で迷子確定である。すぐに現実に帰れる保証もないのだ。戻れるまではできるだけ安全にいたい。
なので、背中を向けたままのアゼレアについていく以外、トーリには選択肢がなかったのである。
沈黙をお互いの間に漂わせて歩くことすでに一〇分ほど。繁華街らしきこの通りは随分と賑わっており、商いの声がそこら中から響いていた。
時折何の肉か判らないが、美味しそうな匂いを漂わせる串焼きや、見るからに怪しい魚らしき生き物を解体している姿が見受けられたりしている。だがアゼレアはそのどれにも興味を見せることなく、ただ真っ直ぐと人波を割るように突き進んでいた。
必然、トーリもその後に続く。
暫く歩き続けること五分ほど。アゼレアが漸く足を止めた。後に続いていたトーリの足も自然と止まる。
立ち止まったアゼレアは、振り返らずに溜息を漏らした。
「……まったく。捨てられた子犬みたいな気配を延々と振り撒かないで欲しいのだけど」
「そんな気配を振り撒いているつもりはないんだけどなぁ……」
あははとから笑いしながら、トーリはぽりぽりと頬を掻いた。そんなトーリを見上げ、アゼレアは呆れ顔を向ける。
「……少しは怒ることも覚えたらどうだい? その……君がしたことはなかなか許しがたいことだが、不慮の事故でもあるわけだし」
「そうかもしれないけど、君のは――」
「それ以上言ったらまた同じ目に合わせるよ?」
「えーと……その件については、本当にごめん」
「……自分で言わせているだけになんか釈然としない部分があるけど、まあ……良しとしておくよ」
釈然としないのは、きっとお互い様なんだろうな、と思いつつもそれは口にせず、トーリは苦笑いを浮かべるに留める。
アゼレアのほうも、今のやり取りで一応一区切りついたという様子だ。今までの空気を払拭するようにパンッと手を打つ。
「じゃあ、この件はこれで終わり。いいね? トーリ」
「仰せのままに、だよ」
トーリは苦笑いし、肩を竦めて見せると、アゼレアはいたずらっ子のようなにやりとした笑みを浮かべた。
「さてと……それじゃ、お腹も減ったし何か食べないかい?」
「話、唐突に飛びすぎじゃない?」
「そんなことはないよ。結構前からお腹が減っていたんだ。私は」
「そうなの?」
「そうだよ」
力強く頷くアゼレアに、トーリはふーんと気のない返事を返す。
しかし、言われてみれば空腹感はあった。確かノスタルギアに来る前――電脳都市に接続したのは昼前だったはず。
なんてことを考えていた時だ。
――リンゴーン リンゴーン
リンゴーン リンゴーン――
「……鐘の音?」
ふと、何処からそんな鐘の音が響く。
トーリは自然と鐘の音が聞こえてくる方向に目を向ける。
視線――見上げて。
その先に聳え立つ巨大な塔を視界に捉えた。同時に、周囲が突如騒がしくなる。先ほどまでの活気ある喧騒とは異なる、悲壮感を漂わせる慌ただしさ。
トーリの視線を追って塔を見上げたアゼレアが、トーリの視線が捉えているものを見て囁く。
「ああ……
「観測者の……塔?」
振り返ってアゼレアを見て――そして、その表情を捉えた瞬間、トーリは僅かに息を呑んだ。
剣呑。
あるいは敵意。
それらが宿ったアゼレアの眼光が、巨大な塔を見据えていた。
「また、鐘が鳴っている……今日は厄日かもしれないね」
「参考までに聞くけど、どうしてそう思う?」
なんとなく、予想はできる。周囲の慌ただしい反応を見れば、莫迦だって判るだろう。
彼らの痛切な表情と波が引くように建物の中に隠れる反応がすべてを物語っている。トーリがその事態に遭遇したのは先の一度だけ。
だが、一度体感すれば、嫌でも理解する。
だけど、一応訊ねておくに越したことはない。自分の勘違いかもしれないし。そんな淡い期待を込めたのだが、
「あの鐘が鳴るたびに、この都市に災厄がやってくるからだよ」
「……必ず?」
「ああ、必ずだよ」
そう告げるアゼレアの言葉に、トーリは鬱屈した気分になった。期待というのは、えてして裏切られるものなのだと納得する。
――と、同時。
何処か遠くから、どうしようもなく聞き慣れた声が聞こえてきて――。
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