融界のノスタルギア ‐cyber×steam‐

白雨 蒼

幕前






もしも、私の例に怖じけることなく、このような数学的解析機能のすべてを内蔵する真のエンジンの開発を引き継ぎ、完成させようと志す者が現われるなら――

――私は私の名声を彼の手にゆだねることに何の躊躇もない。なぜなら彼のみが、私が行ってきた努力とその成果を完全に理解し評価できる人間であるからだ。

 

                       チャールズ・バベッジ自伝より














 ――ゴウン……ゴウン……と重機の動く音が至る所から響いてくる。

 空は暗く、何処までも灰色の雲が広がっていて、それ以外の何もなかった。

 つまらないなぁ、なんて思いながら空を見上げていた白いコートの少年は、ふと後ろから近づいて来る足音に気付いて振り返る。

 金髪に翡翠の目をした、少年から見てもかわいいなぁと思う少女が一人、頬を膨らませて少年隣に腰を下ろした。

 無言が二人の間に鎮座した。

 不機嫌を丸出しに膝を抱える少女を横目に、少年は少しの間言葉を探し――結局気の利いた科白なんて思いつかなかったので、普通に尋ねることにした。


「……なんかあった?」

「別になんにも……!」


 ふん、と鼻を鳴らして一言だけ返す少女の様子に、少年はどう見ても何かあったことを悟って溜息を吐いた。


「またマスターと喧嘩?」


 ――マスター。

少年が師と仰ぐ人物の総称。少年を始め、皆、師のことをそう呼んでいた。


「なんで判るの?」

「見れば誰でも」


 言い当てられたことに驚く少女とは逆に、呆れ顔で少年はそう返した。そして肩を竦めて微苦笑し、少女を見やる。


「で、何があったの?」

「……最近、母さんは全然私を構ってくれないから――」

「――つい文句を言っちゃった?」

「人の科白取らないで!」


言葉を先んじてしまったことに憤慨する少女へ「ごめんごめん」少年はおざなりな謝罪をしながら、


「だけど、仕方がないよ。今、研究は最終段階。一番忙しい時期だからね」

「……判ってる」

「でもね。これが成功すれば、晴れてマスターの目的は達せられて、君との時間が幾らでも取れるようになる。マスターは、そのために今頑張って――」

「判ってるってば!」


 声、張り上げて。

 泣きそうな顔で、少女は肩を怒らせてそう叫んだ。

 驚く少年の横に立ち上がり、少女は少年を見下ろして、


「そんなこと、言われなくたって判ってる! だけど、思っちゃうの! これが失敗したらどうなるの? また、母さんは研究に没頭する! ううん、それだけならまだいい。もし、その実験で母さんの身に何かあったらどうするの? もし母さんに何かあったら……そうなるくらいなら、研究なんてしなくてもいいって……」

「――って、言っちゃったの?」

「……うん」


 驚き言葉を失くす少年に、少女は弱弱しく首肯した。

 なるほど。と、少年は納得した。彼女の不安はもっともなものだ。どんな分野においても、絶対安全なんて言葉ほど信用できないものはない。まして、彼女の母――少年の師が行っている研究は、危険と隣り合わせと言って過言ではないことを、少年は知っていた。

 だけど、


「――大丈夫だよ」


 そう、少女を安心させるように言って。

「どうしてそう言い切れるの?」と目尻に涙をにじませる少女の隣に立って、


「そのための僕たちだよ。マスター一人では難しいかもしれない。だから、僕たちはそれを手伝ってる。上手くいくように。失敗しないように。だから、大丈夫だよ」


 そう言ってほほ笑む少年に、少女はなおも問う。


「でも、それでも駄目だったら? 研究が失敗したら? 母さんに、何か……あったら?」

「その時は……そうだね」


 僅かに首を傾げて、悩むそぶりを見せて、そして、


「僕がなんとかするよ」


 そう、言い放つ。

 微笑んで。少女に手を差し伸べて。


「何度失敗しようと、マスターに何かあったとしても。何度だって手伝って。何度だってマスターに手を貸して。そして――」



「――君を、助けるよ」



 照れくさそうに頬を掻きながら、それでもしっかりと目の前の少女を見て、そう言った。

 ――まるで告白みたいだなぁ、なんて頭の片隅で考えていると、差し出していた手を少女の両手が包んで。

 視線がぶつかる。

 目と目が、合う。


「――約束よ。絶対、助けてよ」


 念を押すように聞き返す少女に、少年はにこりと笑って見せた。


「勿論。絶対に、だ」

「ええ。絶対に、よ」


 少年の言葉に満足したように、先ほどまで泣きそうだった少女が、花が咲いたように満面の笑みを浮かべていて――


 ――太陽おひさまみたいだなぁ、と思った。


 尤も、少年は太陽がどんなものかを知らない。

 それが空にあったのは遥か昔で。今はその情景を知る術は限られている。

だけど、思うのだ。

 輝くようなこの娘の笑顔は、きっと本物の太陽の輝きにだって負けないのだろうな、と。

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