25. Enter
俺はサーバールームの扉を蹴破ると、全てのサーバーラックの鉄扉も蹴り飛ばしてゆき、部屋にある扉を余すことなくこじ開けていく。
「やっぱりカトレア、どこか頭を打った?」
まだそれを続けるのか。
その肩に担いでいるモノでやりたい放題していた奴には言われたくないぞ。
「俺は正気さ。それよりもリコ」
「承知している」
「いつの間にか俺になってるしさ……」
呆気にとられているタチアナを置き去りにして、リコは一番大きめのネットワーク機器の
画面を覗き込んでみると、
しばらくして、リコは本棚に収まった本を探すようにラックの隅から隅まで指を這わせて、別の機器に繋がっているケーブルを引っこ抜いた。
「ここからは私の
ノートパソコンと先ほど確認していた機器の間をLANケーブルで接続してリコがそう呟いた。
黙々とキーボードを叩き続けるその背中が頼もしい。
俺とタチアナは黙りながら、そんなリコの後ろ姿をパソコンの画面と共に眺めていた。
「後もう少し」
指がキーボードの上で踊り、バチバチと弾ける音が鳴る。
リコの顔を覗うと、その額には汗が滲んでいた。
「イギリスにある社用ネットワークには日本から接続できなかったが、イギリス側のファイアウォールにてDNSに関する脆弱性が放置されていたので、容易く設定を奪取することが出来た。内部へのアクセスについては相手先にVPNを複数張ることでこれをクリアしている。現在はポートスキャンを掛けてサーバへどのようにアタックをしようか模索中。現在も問題が起こっていることから、インターネット上に存在するサーバ群を踏み台にしてDDoS攻撃を合わせて実行する」
作業しながら状況を説明してくれているのだろうが、俺はネットワーク方面に明るくないので何を言っているのかさっぱりだった。
思えば、いつもは短く切っただけの言葉しか吐き出さないリコが、原稿用紙の半分を埋め尽くさんばかりに語っている。
「一番リコが生き生きとするときはこういうときだろうな」
「そうね。なんだか嬉しそう」
楽しそうじゃなくて嬉しそう、か。言われてみればそんなようにも見える。
しばらくして、なにかのツールを動かし始めたのかリコの手が止まった。滝のように流れ続ける英数字の羅列をリコは食い入るようにじっと見つめている。
そして、リコの指先が再びキーに向けて動き始めた直後に問題は起こった。
サーバールームの扉が大きく開かれ、室内に向かって濁流のように大量のオートマタがなだれ込んできた。
「ちっ、またか」
ポケットから銃を取り出そうとしたとき、リコが俺の袖を引いた。
「サーバプログラムに任意コードを仕込み終えた。これで最後」
俺の袖から離れた指先が高らかに天に向き――
「
リコらしい気の抜けた掛け声と共にエンターキーが打ち鳴らされた。
おそらく、世界で一番のエンターアピールだろう。
ターン――と子気味よく打ち鳴らされて、部屋が水を打ったように静まり返る。
マシンのファンだけが鳴り響く部屋で、突然リコが「あっ」と声を上げた。
「どうした。なにかあったのか?」
「よろしくおねがいしますって言えばよかった」
「よろしくおねがいします?」
「ネタ」
何かあったのかと驚いたぞ。
毎度の事ながら、リコの台詞の元ネタがよくわからない。
「……やったの?」
動きを止めたオートマタを見て、タチアナが心配そうに呟く。
「その言葉は一番危険」
「そうだよな。フラグになっちゃうよな」
「なにを訳のわからないことを言ってるのよ」
オートマタから俺たちに視線を移して、タチアナはため息をついた。
「いや、たまにはリコの言葉に合わせてみようかなと」
そんな冗談を言っていると、ギギギ……と不気味な音を奏でてオートマタが続々と動き出した。臨戦態勢を取ったタチアナと俺に向けてリコは、
「大丈夫」
と自信たっぷりに言って、緩い表情でそのオートマタたちを眺めている。そのままリコと一緒に眺めていると、彼らは揃ってサーバールームから退室していった。
「一体どういうこと?」
首をかしげながらタチアナがリコに訊く。
「おそらく給湯室に行った」
「給湯室? なんで?」
「お茶汲み」
リコの答えに俺とタチアナは揃って吹き出した。
「これで終わったか」
俺は思わず伸びをする。
世界を変えられた実感はなかったが、ひと仕事終えた気持ちが充足感を満たしていた。きっと、これから世界の方もだんだんと落ち着いていくのだろう。
「そうだ。リコ、お願いがあるんだけど」
タチアナがリコの顔に近づいて耳打ちした。
「わかった」
「よろしく頼んだわよ」
リコは頷くと、ノートパソコンを脇に抱えて移動していった。
「さて、次のステップに進みましょうか」
「次?」
ここから次なんてあるのだろうか。
「相手を討ち取るのよ」
なるほど、ここで相手を潰しておかなければ元の木阿弥だろう。しかし、相手への応報は一体どうするのかと思えば、タチアナは部屋に備え付けられていた電話機の受話器を手に取った。
「はあーい。あたし、タチアナって言うの。お偉いさんにつなげて頂戴? …………いやいや、あんたはダメよ。イギリスに直接お願いよ」
そんなんで繋がるのかと思えば、本当に繋がったらしい。タチアナは受話器のスピーカーボタンを押して、俺らに聞こえるように話し始めた。
「おはよう。いや、そちらではこんばんわかしらね。日本語は話せる? ロシア語でもいいわ」
『英語は話せないのかね?』
電話から聞こえてきた声は酷くしゃがれていた。
青木さんより歳が上なのかもしれない。
「喋れるじゃない日本語。それで頼むわ」
確実に相手の方が年上だろうに、タチアナはまるで子供を褒めるようにおどけて言う。
『……それで一体、私になんの用かね。ミス・タチアナ。これは命乞いの電話か何かね? そうであって欲しいところなんだがな』
「命乞い? するわけないじゃない。あたしたちはチェスでいうところのクイーンが四体もいるのよ?」
俺のことはキングにして欲しかったところだが、まぁいいか。キングは弱いし。
それにクイーンは五体いるんだと心の中で付け加えておく。一枚はジョーカーでファイブカードといったところか。
『確かにクイーンは強い。しかし、いくら強くてもいくらでもポーンを作り出せる我々には手出しできまい。これではステイルメイトだろう』
「あら、上手いこと喩えたつもり?」
『どうとでも言うが良い。オートマタによる管理社会はすぐ目の前なのだ』
慢心してるな、完全に。電話口の向こうで偉ぶる老人の姿が目に浮かぶようだ。
「状況が見えていないのね」
『状況? なんの話だ』
「ときにあなた、ショーギって知ってる?」
『知っているとも』
「取った敵を自分の駒に出来るんだけど……って、もう聞いてないみたいね」
電話機のスピーカーからは英語の罵声がいくつも流れていた。別の声も混じっている。あまりにも言葉が汚すぎるので、ここでは割愛することにしよう。
「安心して、詰みになっても王が取られることはないから。まぁ? ちょっとは痛い目に遭うかもしれないけど」
不敵な笑みを浮かべながら、タチアナは受話器を電話に戻して通話を切った。
「タチアナはリコに何を頼んだんだ?」
「イギリス本社のオートマタをハッキングしてやったのよ。目には目を、ハッキングにはハッキングをってね」
ハンムラビ法典を書いた人間はそこまで未来的なことを考えちゃいないだろう。
「おい、みんな! ここに居るのか!」
鏡花の声がサーバールームに響く。
鏡花はあのビルから走ってここまできたのだろう。肩を上下させて、荒い息をつきながらやっとという様子で言葉を紡いでいた。
「鏡花。まったくあなたって、いっつも空気読めないんだから」
タチアナが先ほどのことを蒸し返す。仲直りすらしていないだろうというのに、何を言っているんだか。けれど、彼女らの間でそんな他人行儀な儀式は必要ないのだろう――
「あ? 私が何かしたってか?」
「そうよ! タイミング悪く電話を鳴らしてくれるし」
「んだと? お前から掛けてきたんだろうが」
――と思ったが、今まさに口喧嘩が始まろうとしていた。
「タチアナが悪い」
ぼそりとタチアナに向けてリコが言う。
「リコはどっちの味方なのよ!」
「鏡花」
見事な即答だ。俺もウンウン頷いてやる。
と、視界の奥。サーバールームの外。オートマタではない、知らない男がこちらに入ってきた。
俺はすかさず銃を構えて相手に向けると、男は情けない声を上げて両手を上げた。
「銃を下ろせ。カトレア!」
鏡花に制されて、俺は銃を下ろす。
「悪いな。仲間が粗相しちまって」
いまだ両手を上げている男に向けて鏡花が声を掛ける。
「とんでもない。
水島? 初めて聞く名前だ。この男もそうだが、鏡花の知り合いだろうか。
「そうでもねーよ。頑張ったのはこいつらさ」
鏡花が名前のことを触れずに会話を続けているところを見るに、水島が鏡花なのだろうか。または別の知り合いか。
水島鏡花――と、心の中で読み上げてみる。口当たりはいい。今度尋ねてみることにしよう。
「えっと、彼はどなたなの?」
タチアナもあの男のことはなにも知らないようだ。
「ああ、知り合いのサツだよ」
「警察ですって!?」
サツと聞いてか、タチアナは慌てて担いでいたRPG-7の砲身を目の前のラックに押し込んだ。
「もう手遅れなんじゃないかな。バッチリみられてたし……」
「やっぱり、現行犯逮捕? あぁ、去年のことを訊かれたらまずいかも……」
タチアナは青ざめてブルブル震えた。命の取り合いが先ほどあったというのに、なぜかここ一番のリアクションだ。今までどんなことをしでかしてきたんだか。
「お前ら、安心しろって。私が武器を購入する時のルートの一端を担ってるのが奴らだからさ」
大丈夫なんだろうか、この国は。問題発言過ぎるぞ。
鏡花は何度も事故を起こしているというのに、免許を剥奪されていないのはやはり裏が……いや、この先は考えないでおこう。完全に癒着ってやつだ。
「オートマイクロについては、各メディアにタレ込んでやったさ。リコが何とかしたみたいだし、この件はこれで終結って所だな」
「まったく、一番いいところを取っちゃって」
「一番活躍したのは私じゃないさ」
鏡花の言葉に皆の視線が移動する。
この戦いの功績者は恥ずかしげに、ノートパソコンで顔を隠した。
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