07. 男のアレは?

「はっ」


 遅刻する感覚を感じて目が覚めた時のように、僕は飛び起きた。

 自分の部屋の布団でも、あの病院のような部屋のベッドでもなく、固い長椅子の上で寝てしまっていたらしい。


 万年付き添い続けた寝具以外での目覚めは、どうしてこうも悪いものなのか。

 その上、なんだか哀しい思いをさせる夢を見ていた気がする。


 どんなんだっけか、と思い返してみればツバキが出てきたことまでは覚えていた。しかし内容までは頭の隅に追いやられてしまったのか、ツバキの姿までもが霞がかってしまっている。


 ただ、意図的にあの四人の中から選ぶとすれば、一緒に居た時間が一番長かったタチアナであってもいいような気もしなくもないが。

 きっとツバキの闘う姿が鮮烈だったから、脳裏に焼き付いているのだろう。


「起きたか」


 声に釣られて辺りを観ると、ふと昨日観た店の様子と違うような違和感を覚えた。

 寝ぼけ眼で違いを探してみれば、全面のガラス窓に降りていたシャッターが開いていることに気付く。

 それに、日が出ているのか外が明るい。


「あれ……朝?」

「朝と言うよりは昼だな。おそよう」


 缶コーヒーを片手に、ノートパソコンに向かいながら青木さんは言う。


「えっと、おそようございます?」


 よくよく考えてみれば、朝から店のシャッターを開ける必要もないだろう。

 客はいるのだろうかと、再び周りを見回そうとしたところで、


「おはよ。迎えに来たんだけど、よく寝てたみたいだから起こすのも可哀想で待ってたのよ」

「私はカトレア様の護衛のためにずっとこちらに居ました」


 こんどは別の方から声が。ツバキとタチアナだった。

 昨夜と同じメンバーがそのまま居るんだなぁと思っていると、寝起きの頭がだんだんと冴えてきて、昨日の出来事を思い出した。


「あっ、あああああああ! 一体あの時なにをしたんですか」

「なにって、単純にスリープモードに切り替えただけだ。あいつは口の奥に管理用マネジメントポートを作るのが好きだったんだが、おまえさんの身体もそうだったとはな」

「なんでそんな場所に、端末をつなげるポートがあるんですか!?」


 複雑そうな顔を青木さんがする。そりゃそうだ。

 親父の墓の前で問いただす他ない。


「い、いかがわしい事してませんよね!?」

「急に元男のお前さんが、なに言ってるんだか……。安心しろ、下着には手を付けておらん」

「カトレア様、私たちが見ていたので大丈夫です。タチアナ様もしっかり見ておりました」


 ですよね、と言うようにツバキがタチアナに視線を送るが、当のタチアナは顔を赤らめて、


「ハァ……ハァ……、あのお腹ペタペタ触ってみたいよう」


 変な事を口走ってるし。

 しっかり見ていたって言葉が別の意味を帯び始めてるんだが、タチアナは本当にノーマルなのだろうか。

 とても心配だ。主に僕の未来が。


「ギタイについての知識は奴ほどないが、パーツのデテールに関しては見事というほかなかった」


 タチアナとは違い、青木さんは安心できるほどまともな話だった。


「駆動条件だが、普通の人間のように飯を食ってればとりあえず問題はないだろう。ただし、炭酸系の飲料や刺激のある食べ物は控えめにしたほうがいい。例えばこういうのを食え」


 そう言って、青木さんはこちらを見向きもせずになにかが入ったビニール袋を差し出してきた。


「えっと、これは?」


 中身を訊くも、青木さんは答えずに袋を二、三度揺らす。受け取れ、ということらしい。

 中には缶コーヒーと一緒に買ったのか、サンドイッチとお茶がコンビニの袋に入っていた。


「食え」

「えっと、ありがとうございます」


 そういえば、空腹を感じなかったので昨日は全く飲まず食わずだった。

 ありがたく頂戴して、食べることにする。

 コンビニのサンドイッチなんて久々に食べたが、とても美味しかった。


 小さくなってしまった口に余るほどの大きさのサンドイッチを食べていると、ふと周りの様子がおかしいことに気づく。やけに静かなのだ。


 昨日はベラベラと喋り倒していたはずのタチアナが何故黙っているのかと思えば、嬉々とした表情で僕が食べる姿を観察するようにじっと見つめていた。


 視線が合うと、タチアナは「フフッ」と不気味な笑みを漏らす。

 きっと、餌を食べる小動物かなにかに見られているに違いない。


「そういえば、男のアレは……」


 早くもなくなりかけているサンドイッチを包装に戻して僕は問う。

 食事中に訊くのもどうかとは思うが、食べているのは僕だけだし、一番気になっていたことだった。


「ツバキに確認して貰ったが、なかったぞ」

「そうですか」


 ひどく淡々としたやり取りだった。

 分かっていたことだが、それはそれでもういいんだと思う。ありのままを受け入れるしかない。


「確か、オートマタ用のアタッチメントが在庫としてあったような……」

「え、そんなのがあるんですか?」


 それに何用だよ。ナニだけに。

 アタッチメントって……。ぽん付けでくっつけて余計おかしくならないだろうか。


「ああ、ある。ここで装備していくか?」


 アレをゲームでの防具みたいに言わないで頂きたい。


「えっと――」

「ヤメデ!」


 僕が返事をするより先に、タチアナの叫びによって返答が遮られた。


「マッデ、マッデよぉ。そんなのいらないでしょ……?」


 それはもうひどく泣きじゃくったような声で。

 一体なんだと顔を伺えば、ドン引きしてしまうほどのガチ泣きだった。


「お願いよ。そんな邪悪なものいらないわよ。ね? ね? まだ一緒にお風呂にすら入ってないのに、そんなのあんまりだよおお」


 一緒に風呂とは元男として願ったり叶ったりな素敵イベントではあるものの、今のタチアナを見れば見るほど全く嬉しくないのは何故だろう。


「で、どうするんだ?」


 泣き叫ぶタチアナを無視して、青木さんが続ける。

 元より承諾するつもりはないのだけれども、ここで『はい』と言ったらどうなるんだろうか。

 気にはなるが、僕としても適当にアレがついたような身体にはなりたくはない。


「えっと、取りあえずは今のままで」

「そうか。気が向いたらいつでもこい」

「カトレアはもうここに来ないから!」


 タチアナが負け犬の遠吠えのような、虚勢を張った声を上げる。

 青木さんはタチアナを相手することもなく、手元のパソコンに向かっていた。


「そういえば、カトレアの基本情報を取ってみたら変なデータを見つけたな」

「見せて」


 タチアナが急に真面目な顔になって、青木さんのパソコンをのぞき込む。


「テキストで開いた状態? バイナリを見てもらえないかしら」

「ツバキ……こいつと一緒で、疲れないか?」


 呆れと怒りが半々の口調で、青木さんが悪態をつく。


「えっと、もう慣れましたので」


 青木さんと違い、ツバキは諦めだった。どうやらオートマタにも苦労というものがあるらしい。


「早くバイナリで確認して」


 悪口を言われている最中であるのにもかかわらず、この図々しさはどこからくるのだろうか。

 まぁ、いつだってこうしてタチアナは――


「あれ……?」


 ――

 待て。タチアナと会ったのはいつだった。

 昨日だろう?

 それが『いつだって』なんて感想がどうして沸いて出て来るのだろうか。

 なぜ、こんなにも彼女らのことをわかった気になってしまっているのだろうか。


「なにかお気づきに?」

「あ、いや、別に……」


 声を上げたことで、データについてなにか気づいたように思われてしまった。


「なにかわかるの?」


 ツバキとの会話が耳に入ったのか、タチアナが食いついてくる。


「多分気のせいだと思う。気のせい、気のせい」


 別のことを考えていたとは言えない空気だったので、そんな言葉で茶を濁す。


「んー、驚かせないでよね。で、バイナリはどう?」

「エディタに掛けてみるとこんな感じだな」

「fileコマンドで見た?」

「……こいつはUNIXじゃないぞ」

「そんなOSのパソコン窓から投げちゃいなさいよ。まぁ、この様子だとリコに見てもらうしかなさそうね」

「そうか。それなら、あとでリコに送っとく」

「待って」


 面倒事を避けるように席を立った青木さんをタチアナは引き止めた。


「できればデータは持ち歩きたいわ。それと、複製はなるべくしないように」

「問題でも?」


 青木さんは眉根を寄せた。


「大ありよ。機密情報中の機密情報よ、それ」

「タチアナ様、そういうことでしたら私の記憶領域に保管いたしましょう」

「そうしてくれると助かるわ。データの移動が終わり次第すぐに戻りましょう」


 タチアナはきびきびとした口調で、矢継ぎ早に指示をしていく。

 先程の感覚。あれは一体なんだったのか。

 昨日、出会ったばかりのタチアナが昔から一緒に居たような、そんな感覚だった。

 けれど、客観的にみれば気のせいと思うしかない。


「カトレアはタクシーを呼んでちょうだい。オートマタでも有人でもいいから。呼び出しのための携帯は私のを使うと良いわ」


 僕はタチアナから言われたとおり、渡された携帯を使ってオートマタのタクシーを呼ぶ。

 さっきの感覚は、きっと彼女の存在感がそう思わせただけなんだろうと、そう思いながら。

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