第67話
人獅族の貴族がブルブルと猫の様に首を振って水を払うと、雨に濡れて寝ていた立派な鬣が立ち上がった。
貴族は、そのままカウンターへ行き店主に何やら話をしている。
店主が首を横に振ると、貴族は、小さく隠す様に溜息とも深呼吸とも取れる深い息を吐いた。
「タンブル侯爵! どうでしたかっ?!」
ライオン頭の貴族に続き、小柄な少年が追いかける様に酒場に入ってきた。
どうやら少年に見えるが、小人族で既に成人している様だ。
タンブル侯爵と呼ばれた貴族は振り返ると、小人族の青年に何やら話しかけている。
すると、小人族の青年が酒場の全員に向かって語り掛けた。
「この中に、医術や魔法の心得がある人はおりませんか!」
酒場の中はザワつくが、誰も名乗りを上げない。
こんな寂れた酒場に、それも同じ船で乗ってきた旅人や商人が殆どの場に、医者や魔法使いが都合良くいるとは思えない。
だが、医術となると、彩芽は自分でも少しぐらい役立てるかもと思い、手を上げて質問した。
「どっちも出来ないですけど、どうしたんですか?」
「タンブル侯爵様の奥方が、船旅で体調を崩されています。この先にある町長の御屋敷でお休みになられているのですが、熱が酷く、身重の為、このままではお腹の子も……どなたか、薬でも何でもいいです。助けてください! お礼もさせて貰います!」
「船医はどうしたんだ?」と乗客の一人が聞いた。
そうである。
こういった船には、船医が乗っていてもおかしくは無い。
ところが、小人族の青年の返事に、三人は固まる。
「それが……実は、モルブスで補給を受ける筈が、フィデーリスが壊滅してしまった為、十分な補給が受けられず、ネヴェルから持ってきた船に乗せている薬を使い切ってしまいまして……」
三人は、コソコソと緊急会議を開き始める。
「これって私達のせい?」
「モルブスへの物資は、陸路ならフィデーリス一本だし……ある意味、そうだろうな……」
彩芽が自分の髪の毛を持ってヒラヒラさせ、二人に言う。
「あれ、使えるかな?」
「あれって……あの持ってきちまったやつか?」
「いやぁ、だって捨てるのもさ」
「あれ使っても、肝心の魔法が使えないと、どうしようもないだろ」
「マリアベールみたいに、呪文言えば良いとかじゃないの?」
「マリアベールが一々言ってたのは、その術式が、恐らく省略できないぐらい複雑だからだ。それの意味を圧縮して言ってんだよ。普通に喋る言葉と、魔法の詠唱は、音は同じでも別物だぞ」
「ストラディゴスさん、詳しいですね」
「昔、エルムが雷落とす時に毎度、長々と詠唱してるの見てよ、ちょっと馬鹿にしたら、説教ついでに教えて貰ったんだよ。雷も落とされたけどな」
「ああ、噂のエルムさんですか……」
三人の緊急会議に、突然入ってくる声。
「あのう」
「わっ!? びっくりした!」
彩芽のビックリした声とリアクションに、ストラディゴスとルカラもビックリしてしまう。
そこにいたのは、あの太った男であった。
「ちょっとだけ話し声が聞こえちゃったんだけどさ、魔法とか」
どうやら、テーブルに突っ伏しながらも、周囲の会話を盗み聞きしていたらしい。
「君達もフラクシヌズに入るの?」
「ちげぇよ、なんだお前!」
ストラディゴスは、失礼な男に対して邪険にした。
ビックリしたのが恥ずかしかったのを、誤魔化す様に。
「僕はイラグニエフ。フラクシヌズの入学テストを受けに行く途中なんだけど、この中で誰か魔法でも使えるの?」
「お前はどうなんだ?」
「僕? 僕は少ししか使えないよ。だから、これから勉強しに行くんだよ」
「俺達は使えん……で、俺達に何か用か?」
「ううん、いいや。もしかしたら学友になるならって思ったけど、違ったみたいだしね」
「待って、少しは使えるの? 少しってどれぐらい?」
「う~ん、君達に言って分かるかなぁ~点火系の魔法なら起動出来るし、契約系の魔法なら……」
イラグニエフは、どうやら悪気はない様子だが、魔法を知らない三人を小ばかにした様な物言いで、自分のスキルを語り始めた。
ストラディゴスだけでなく、ルカラも態度にイラっとしている。
それでも、彩芽だけはイラグニエフの態度など、どうでも良いとばかりに話を続けた。
「もしかして、これ使える?」
彩芽はジッポライターを取り出し見せた。
「何それ?」
「魔法のライター?」
彩芽がストラディゴスとルカラを見ると、二人は「大丈夫」と首を振って答える。
イラグニエフはライターを手に取って観察する。
ライター自体が珍しく、仕掛けを動かして火花が散るのを見て、それが着火装置である事は理解する。
彩芽がライターを取りあげ、親指と人差し指で縦に挟み、パチンとはさみ弾いて開き、格好つけて火をつける。
ルカラは「おおぉ」と感嘆の声をあげてくれるが、ストラディゴスは何度か見ている為、可愛いモノを見る目で見守るだけ。
彩芽の着火には目もくれず、イラグニエフは、刻印を見て何かに気付いたのか、目の色を変えた。
「これをどこで?!」
「友達に貰ったんだけど」
「貰った!? これを!? ただで!? 嘘でしょ!?」
「見て、これが何か分かるの?」
「わかるも何も、これって、全部魔法の刻印でしょ!? それも、かなり高度な上に、こんなに細かい! 友達って誰!? 何者!? って言うか、あんたら何者なの!?」
「私は彩芽、こっちはストラディゴスとルカラ。イラグニエフさん、これ結局、使えるのかな?」
「使えるも何も、これって半分だけでしょ、これだから素人は」
イラグニエフの言葉に、彩芽達は少し驚きながらも、彼を見直す。
フラクシヌズ魔法学校に入る前の半人前の様だが、どうやら魔法の基本だけは分かっている様子であった。
「これもあれば?」
彩芽が取り出したのは、マリアベールの髪の毛を束ねて作った髪箒であった。
綺麗な白髪が、手の平サイズの箒により纏められている。
髪箒を見て、イラグニエフは、またじっくりと観察し始め、すぐに意味が分かった顔をした。
「ぐぬぅ……こんなの、僕じゃ使えないよ……って言うより、これ使える魔法使いなんて、世界に何人いるか……」
彩芽達は、つい最近三人程、使いまくっていた人達に会ったばかりであった。
その内の一人は、マリアベールに言わせれば才能に恵まれなかった努力の魔法使いである。
つまり、複雑な魔法ではあるが、やり方次第では使える筈である。
「本当に無理?」
「ムリムリ、せめて詠唱呪文でも分からなくちゃ」
「ソート・ネクロマンスで分かる?」
「まって! ちょっとまって! ……ネクロマンスって、これ作ったのって……もしかして……死霊術師!!? なんでそんな物騒な物持ってるの!?」
「だから、貰ったんだって」
「……あ……巨人のあんた、スなんとかって……もしかしてリーパー殺しの!?」
「まあ……な」
ストラディゴスは、少し面倒くさそうに答える。
「いいからさ、魔法、使えるの?」
「つ、使えるかもしれないけど、それって外法中の外法じゃないの!?」
「物は使いようだよ。侯爵の奥さんを助けられるかもしれないよ」
「もしかして死ぬまで待つ気なの!?」
「死ぬ前でも使えるから!」
イラグニエフが髪箒を再び観察するが、そこまでは読み取れない様であった。
「まって、今死ぬ前でも使えるって言った? これ使ったの見た事あるの?」
「あるから。ねっ、試しに使ってみてくれない?」
「嫌だよ! 外法って意味わかる!?」
「魔法使いとして、経験の足しになると思うけどな~」
「城付きの魔法使いになりたいのに、死霊術なんていらないよ!」
「もし使ってくれたら、ベッド譲っても良いし、侯爵様がお礼をしてくれるらしいよ」
「全然割に合わないから!」
彩芽とイラグニエフの問答を見ていて、ストラディゴスは少し考える。
「使えるかもしれない」と言っていたなと思いながら、手を上げた。
「なあ、こいつが魔法使えるかもだってよ」
イラグニエフの顔が、絶句した状態で固まった。
ストラディゴスのキラーパスにイラグニエフは、そのまま青くなる。
諦めかけ、他の手段が無いか考えていたタンブル侯爵と小人族の青年は、藁にも縋る思いでイラグニエフに駆け寄ってきた。
「こいつフラクシヌズの受験生らしい。少しなら魔法を使えるって、さっき吹いてたぞ」
ストラディゴスからイラグニエフに向けられる、なんとも意地の悪いにやけ顔。
「本当ですか!?」と小人族の青年がイラグニエフに縋りつく。
タンブル侯爵も、どうか力を貸して欲しいと静かににじり寄ってきた。
外は大時化で、そこは小島。
逃げ場は無いと言って良い。
イラグニエフがストラディゴスに「何て事するんだよっ!?」と言う、全力の被害者顔を向けるが、巨人は剣の柄に巻いた革紐の感触を楽しむ様に、剣に手を添えた。
リーパー殺しの噂を信じているイラグニエフには、それだけで十分に脅迫になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます