第41話

 ルカラはフィデーリス城の謁見の間に通されていた。


「カーラルア、ずっと待っていたぞ、お前の帰りを。さては、あの女に送り込まれたか。やはり、わざわざ会っておいて正解だったな」


「おそれながら申し上げます。私は自分の意思で、ここに戻りました。あなたの奴隷でありながら逃げ出した罪を償う為です。逃げた罪、主人を勝手に変えようとした罪は、全て私にあります。どうか、あの人をお救いください」


「……久しぶりの再会だと言うのに、他人の命乞いか、カーラルア。あの、いたぶられる事でしか役に立たなかった小さなカーラルアが、他人の為に……」


「私は、どのような拷問をされても構いません、どうか」


「お前は、その為に生まれたのだろう」


「どうか、なにとぞ、お慈悲を……」


 ヴェンガンは目を閉じると、視界をリーパーと同期した。

 城壁内では、どこにいてもヴェンガンはリーパーを操れる。

 ヴェンガンがリーパーの目を通して見ると、彩芽の周囲には黒い靄がかかっており、背景から浮いて見えた。

 これがヴェンガンの呪いの正体であった。


 自身の持ち物を盗んだ者に死を宣告する見えない霧でマーキングし、リーパーが夜な夜な殺してから持ち物を回収する。

 しかし、ルカラに関しては呪いを知らないままヴェンガンを徹底的に避け、ヴェンガンがルカラが主人とした事で死の宣告を受けた者を発見した頃には、別の主人に乗り換えてを繰り返され、捕まえられないでいた。

 ルカラを追う無数の手配書の依頼者は、その大半がリーパーによって殺されており、依頼書自体が報酬を払われない紙切れへと変わっていた。


「ふむ……カーラルア、喜べ。お前が救えと頼んだ女は、まだ生きているぞ。私の下僕があと一歩のところまで追いつめていたと言うのに、お前は本当に運が良い。そうでなければ五年も壁の中で私から隠れられる筈もない」


「伯爵様……どうか……どうか……」


 ルカラはひれ伏し、地面に額をこすり付ける。




「助かるのは、一人だ。お前と女。どちらの命を助けたい?」


 ヴェンガンの冷徹な視線にさらされるが、ルカラは怖くなど無かった。


「……わたしを」


「ほう? それでは……」


「どうか、私を、殺してください!」




 ルカラからの返答を聞くと、ヴェンガンの視線は冷徹さを失っていった。


 うるうると涙を蓄えると、ヴェンガンは感動のあまり大粒の涙を流し、ルカラが見た事も無い恍惚とした表情を浮かべていた。


「ああぁ~カーラルアぁ。お前は本当に素晴らしい。カーラルア、お前の願い通り、彼女は殺さないでおこう。今、下僕にもそう命じた。安心してくれ。そして、私はお前の事も殺さない。五年もの逃亡の罪も、全て水に流そう」


「伯爵様、なんと言えば良いか、私は……」


 ルカラは、彩芽を救えた事がただ嬉しかった。

 しかし、ルカラはヴェンガンと言う男の事を、ほとんど知らなかった。

 彼が暴力的で、危険な事は身をもって知っている。

 だが、それは自身が七歳の時分の話である。


 ヴェンガンの本性は、七歳の少女が死を覚悟する暴力性や、持ち物に呪いをかけてまで守ろうとする異常性や、城を自分色で染め上げるナルシシズムだけではなかった。


「カーラルア、早まらないでくれ。彼女は私の奴隷にする事に決めたんだ。お前が、そうまでして、私を楽しませようとしてくれるのだから。それからね、カーラルア、お前には確か側女か何かをさせていた筈だ。今のお前に、それは相応しくない。相応しい新しい仕事を与える事に決めたよ。彼女にお前が、拷問をするんだ。命を捨ててまで助けたかった相手を、お前は殺さないで生かし続けるんだ。素晴らしい仕事だろう?」


 ヴェンガンは、根っからのサディストであった。


「そんな……やめてください、どうか、どうかお慈悲を!」


「早くお前があのバカな女を殺す所が見たいよ」




 * * *




 同じ頃。


 ストラディゴスは、エドワルドの仲間の助力で、暗闇の中、作戦を強行していた。


 近くの吹き抜けで呼びかけても彩芽からの返事は無く、自ら地下通路へと助けに行く以外、彩芽救出の道は無いと判断しての決断であった。


 エドワルドの部下達は彩芽救出を渋ったが、ストラディゴスはエドワルドが死んだ事を誰も知らなかった事を利用して、エドワルドも地下通路にいるかもしれないと無理やり発破をかけた。


 ストラディゴスの嘘に、無法者達はボスの為ならと、なんとか動いてくれる事となった。




「すまん、エドワルド」




 ストラディゴスは自身が旅で使っていた大きなリュックを空にすると、潰れた浴場に安置されていたエドワルドの遺体を折りたたんで中に詰めた。

 これで、エドワルドの部下達には、エドワルドは地下で絶命していたと嘘をつける。


 地下で絶命していた事も、ストラディゴスが発見した事も真実ではあるので、報告が遅れるだけだとストラディゴスは自分に言い聞かせ、冷たくなった友を背負い、マッピング用の道具を持つと、地下通路へのアタックを開始した。




 各浴場の地下では、エドワルドの部下達が様々な色のついた水を水路へと延々と流し出した。

 ストラディゴスは、松明で流れを見ながら、水の色で水路が合流している本数を予想しながら進んでいく。


 吹き抜けに来ると、地下通路の床に落ちている木札で現在位置を確認。

 地図に書き込みながら、どうやって進んできたのか、どこが崩落しているのかを書き込んでいく。


 しばらく進むと、天井に床や壁を最近壊された形跡のある通路へと出た。


 ここで何かあったと確信しながら、ストラディゴスは通路を更に進む。


 何度目かの吹き抜けに出ると、床に木札が落ちている。

 松明で照らして見ると、木札の近くに、別の何かが落ちていた。


 ストラディゴスは落ちているものを拾い上げる。


 それは、彩芽がいつも持っていた携帯灰皿であった。


 間違いなく彩芽は、ここを通った。

 ストラディゴスは彩芽が生きている事を祈りながら、通路を水の流れに従って更に進んでいく。


「あ、ああ、あああ……」


 地下通路は終わり、城壁の外へと続くマップが完成してしまった。

 格子は健在であり、誰もここから外には出られない。


 ストラディゴスは絶望と戦いながら来た道を戻ると、枝分かれする通路をくまなく探していく。

 手元のマップはどんどん完成していき、持ってきた命綱兼二回目から役立つ道案内用のロープも使い切ってしまう。

 それでも、マップを書きながら、まだ進んでいない地下通路を探し続ける。


 彩芽の姿はどこにも無く、吹き抜けの下を通ると、気が付けば日が昇っていた。


 地下通路から忽然と姿を消した彩芽。


 ストラディゴスは、彩芽の死体が無い事から、ヴェンガンに捕まったのではと考え、地下通路を出た。




 * * *




 彩芽が死を覚悟した、その時であった。


 リーパーの攻撃によって、緩んでいた床石が下に抜け、彩芽は自分の足が何もない空間に落ち込んだ感覚に襲われる。

 薄氷の上を歩いていて、氷を踏み抜くような恐怖。

 ただし、落ちる先に水は無く、暗闇が広がっているのみ。


「ひっ!?」


 死を覚悟しても、別の恐怖には心が反応した。


 叫び声も上げられない彩芽を支えている床材が、ピシピシと剥離していく感覚が、その身体を伝った。

 恐怖で何も出来ない。


 首切り斧が、彩芽の頭上高くにかかげられた。


 もう一歩も動けない。

 彩芽は目を閉じる。


 走馬燈は、見えそうもない。


 最後に、口にする言葉なら、どうせなら好きな人の名前が良い。


「ストラディゴス……」


 小さい声で呟いた。

 それに、助けてとは言わなかった。


 もう助かり様が無いのに、もし彼が声を聞いてしまったら、きっと助けに来てしまうから。

 そうすれば、こんな怪物に彼まで殺されかねない。




 エドワルドの腕が、彩芽の足を離れ、投身自殺でもするかのように床の穴へと落ちて行った。


 一瞬、リーパーが余所見をした。

 エドワルドの腕に気をとられたらしい。


 直後。


 リーパーの赤い瞳に表情の様な物が感じられた。

 目を細め、今度こそは笑っているのに間違いが無かった。


 リーパーは、首切り斧を振り下ろすのをやめ、彩芽を捕まえようと腕を伸ばし始めた。


 しかし、リーパーの腕は彩芽に届かず、空振りをした。




 彩芽は床下にいる何者かに、足を掴まれていた。

 彩芽を掴む何者かは、ものすごい力で床が抜けた穴の中へと、彩芽を引きずり込む。


 リーパーの腕をすり抜けても、奈落に落ちれば死んでしまう。

 彩芽は落とされまいと床にしがみ付こうとして、床を爪で引っ掻いた。




「手を離さんか愚か者!」


 彩芽は、リーパーが喋ったのかとも思ったが、声は床の下から響いていた。

 水中に沈められた様な、男とも女ともとれる籠った声。


 思わぬ所から聞こえた声に、リーパーさえも驚いた様子であった。




 次の瞬間、彩芽の周囲の床に無数の切れ目が入れられる。


 床が、まるでそう言うパズルの上に今まで気付かずに立っていたかのように、下へと抜け落ち、次々と奈落の底へ落下していき、成す術もなく彩芽も更なる暗闇へと吸い込まれてしまう。




 暗闇の中で、何かに足を掴まれながら落下する彩芽。


 すぐに底に着く。

 思いのほか穴が浅い。

 彩芽の足を掴んでいる何かに支えられ、彩芽は身体を地面に打ち付ける事なく助かる。


 穴の上から、リーパーがしつこくも追いかけて来るのが、目の赤い光で分かった。


「奴も大概、愚か者と見える。のぅ?」


 正体不明の何かは暗闇を横へと進みながら、彩芽に話しかけて来た。


「哀れな人形が、いい加減しつこいぞ!」


 彩芽の足を掴んだまま暗闇を進む何かは、彩芽を追い続けるリーパーを振り向きざまに横目に見た。


 彩芽には、リーパーよりも真っ赤な瞳が、暗闇の中で光って見えた。




「そろそろか……墓守達よ、思い知らせてやれ! ソート・ネクロマンス!」




 暗闇の中で、何かが蠢く気配がした。

 何が起きたか、彩芽には分からなかった。


 迫りくるリーパーに、何かが襲い掛かった気配だけが、そこにある。


 襲い掛かる何かがリーパーに壊されたらしき、骨と骨がぶつかった様な破壊音がするが、リーパーはいつまでも暗闇の中で何かを壊し続けている。

 その音に終わりがない。


 次第にリーパーの目の赤い光が破壊音と共に弱り始め、リーパーはそれ以上進むのを諦め、帰って行ったのか、赤い目の光が見えなくなった。




「助けて、くれた??? あなたは……?」


 床に降ろされた彩芽は、暗闇の中で床にいる何かに身体を支え下ろされた。

 独特の感触と、カランカラン音がする事で、彩芽もその正体を薄々は気付いている。


 意を決して彩芽がライターで周囲を照らすと、そこには、周囲に何があるのか分からない程の膨大な骸骨。


 ライターの火を骸骨達が同時に注目する事で、その全てが火に対して反応する事がとりあえず分かった。




 生きているかは怪しい所だが、無数のスケルトンは全て動いていた。


 彩芽は、ライターの火を目線で追うスケルトンの中心で、すぐそこにいる助けてくれたらしき何かにライターを近づけ、見上げた。


 ふよふよと宙に浮かぶマント。

 フードの下の漆黒の中には、暗闇に浮く鬼火の様に光る赤い瞳。

 手には、彩芽の身の丈程もある巨大な鎌が握られている。


「我か?」


 フードの中の赤い瞳が細くなり、自嘲気味に笑って見えた。


「我は、死を統べる者」

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