第18話

 彩芽は部屋に入ってきたストラディゴスに、ルカラの事を全て説明した。

 ブルローネ側からヴェンガン伯爵に話が伝わり、詫びの品として送り込まれて来て、扱いに困っている事も含めてである。


 ストラディゴスは「タダで貰ったなら有難く貰って置けよ」と、ちょっと得をしたぐらいの感覚で言う。

 それを彩芽は釈然としない気持ちで聞きながら、自分が何をしようとしていたのかを思い出した。


「なら、ちゃんとルカラの面倒見てあげてよね」


 そう言い、もう一度更衣室を一応見ておきたいと、ストラディゴスにルカラを任せて部屋を出た。


 すると彩芽が心配だからとストラディゴスがついてきてしまい、ストラディゴスに「彩芽の奴隷なら役に立て」と言われてルカラもついてきてしまう。


 こうして再び更衣室に来たのだが、大浴場には何人か客はいるが、更衣室には見張りで立っている従業員の奴隷以外誰もいない。

 彩芽はその場にいた見張りの奴隷に聞き込みをしたが、犯人の目撃者は誰もおらず、奴隷は事件の後に見張らされているだけで、事件の事を何も知らなかった。


 改めて事件を彩芽とストラディゴスは、更衣室の腰かけ椅子に座って考え始めた。




 まず利用者の数は多く、怪しい人物が紛れていれば目立ち誰かしら目撃するはずである。

 なので、利用客か、従業員に紛れて犯行に及んだ可能性が高い事は二人共同じ意見であった。


 木のロッカーについた鍵は、ブルローネの部屋の鍵とは雲泥の差で、かなり単純な物であった。

 彩芽から見ると居酒屋チェーン店の靴箱レベルである。

 道具さえ使えば彩芽でも簡単に開けられるだろう。

 そうなると、泥棒に技術は必要ない。


 身に着けるレベルの装飾品や財布などの小金目当てである以上、金に困っている者の犯行だと考えても、この町には金に困った者があまりにも多すぎた。

 奴隷落ちの危機にある借金を抱えた者は、そこら中にいるのだ。


 その中で怪しまれずに泥棒出来る者と考えると、ロッカーに近づいても怪しまれない従業員こそが怪しく見えて来るが、犯行の直後には真っ先に従業員の奴隷達が丸裸にされていたので白であろう。

 全てのロッカーが直後に検められたので、ロッカーの中に隠す事もあり得ない。


 となると、他にロッカーに近づいて怪しまれない者は利用客と、彼らが個人的に連れている奴隷しかいない事になる。


 その時、彩芽とストラディゴスが入る直前に六人の姫達とすれ違った事を、彩芽は思い出した。


 騒ぎの時には、その場におらず、六人全員が犯人なら犯行時間も短くて済むのでは無いか?


「ねえ、ストラディゴス、仮説なんだけどね……」


 彩芽の語る推理は、ストラディゴスによって大笑いのもとに一蹴されてしまう。


「ははははは! そりゃ、ちょっと難しいな。宝石と金貨なら盗めるが、書簡は盗まないと思うぞ」


「なんで?」


「なんでって、姫達は部屋からここまで裸で来て裸で戻るからな」


 ブルローネ運営の公衆浴場は、ブルローネの隣にある。

 姫娼婦達は、仕事が終わるとそのままの恰好で身体を洗いに行き、また戻っていく。


「どこに隠すんだ? せいぜい尻のあ……」

「言わなくていい!」


 調子に乗ったストラディゴスを彩芽がポカリと殴る。


 他に今は思いつかない。

 収穫は無しと、部屋に戻ろうと考えていると、ルカラの事が目に入る。

 ずっと二人の話を聞いているだけで、何も手伝えず手持無沙汰の様であった。


 そこで彩芽は、当初の予定通り大浴場に再び入る事にした。




 * * *




 貴重品は全て部屋に置き、今度は心置きなく浴場を楽しめる。

 彩芽がルカラと浴場に足を踏み入れると、ストラディゴスも図体の大きな小鴨のように後ろをついてきていた。


 ようやく仕事が出来ると、彩芽の身体をルカラが張り切って洗おうとする。

 すると、ルカラの触れた水が黒く濁っていった。


 どうやらルカラは、雨が好きと言っていたのは嘘偽りなく、かなり長い間まともに身体を洗えた事が無い様であった。

 臭いはブルローネの中を満たす香の匂いで誤魔化され、今もさして気にならない。


 ルカラの汚れが彩芽の手を黒く汚すのを見て、ストラディゴスは汚れたペットが綺麗だった自分の部屋を汚してしまったのを見つけた様な表情をして見せた。


 恐らく、前までの彼であれば嫌味の一つでも言っていたであろう。

 彩芽の表情を見て、怒っていなければ不快感も表していないのを感じ取り、簡単な仕事でいきなり失敗してしまった無能な奴隷であっても、今は責めるべきでは無いと判断していたようである。




 彩芽の身体の前に、自分の手だけでも綺麗にしなければならないと焦るルカラ。

 置いてある椅子にも座らず、床でタライに汲んだ湯で手をアセアセと洗うルカラを、彩芽は娘の身体を洗う母親の様に洗い始める。


「アヤメさん何を!?」


 ルカラが騒ぐが、彩芽は洗う手を止めない。

 自分の手を真っ黒にしても構わず、目につくところから洗っていく。


「この方が早いでしょ。ほら、ストラディゴスも手伝って」


 彩芽に言われてストラディゴスもルカラの身体をゴシゴシと洗い出す。

 真っ黒い粉が浮いて汚れきった水で、全身をドロドロと包まれていくルカラ。

 つい先ほど会ったばかりの二人の大人に、全身を洗われていく。

 だが、ルカラの表情には恥ずかしさ等は無く、奴隷として至らない事で後で怒られるのでは無いかと言う不安だけが、心の水面下に浮かんでいる。


「いたたたた!?」

「我慢しろ!」


 ストラディゴスが焦げ付いた鍋でも洗う様にゴシゴシ擦り、汚れが浮くとタライの水をルカラの頭から滝の様に落とす。

 また擦り、また流すを繰り返す。

 すると汚れで浅黒かったルカラの肌は、何回目かのタライの水の洗い流しで真っ白になり、茶色かった髪も少しだけ赤色を帯びて明るくなっていた。


 すっかり見違えた姿となったが、身体に張り付く長い髪の間からは、今までは汚れで見えなかった古傷の痕がくっきりと浮かび上がっていた。

 首枷、手枷、足枷、鞭打ちに殴打、斬撃。


 黒い水たまりの中に座る、傷だらけの奴隷。

 虐待なんて言葉では説明がつかない目に遭ってきたのは間違い無かった。


 現実を目の前に、彩芽はルカラを背中から思わず抱きしめてしまう。


「アヤメさん、あの! 少しだけ苦しいです!」

「あっ、ごめんね」


 彩芽が手を放すと、ルカラが立ちあがった。


「今度こそ、お二人を私が洗わせて頂きます」


 ルカラは、今度こそと洗い始める。

 だが、一度ストラディゴスによってしっかり洗われて綺麗になっている彩芽の背中は、力任せにこすられた肌が赤い跡を作るだけで、気持ち良くもなんともない。


 それでも、彩芽はやめるように言う事は出来ず、ルカラに何かさせてあげたくて、自分の背中を洗わせたのだった。




 * * *




 彩芽に抱きかかえられて湯船に浸かるルカラ。

 傷ついた小さな体からは、温泉が傷に沁みる時でもあるのかピクリと敏感な身じろぎが伝わってくる。

 だが、次第に自分を包み込む人肌と背中を伝う心臓の鼓動が気持ち良いのか、ルカラは幼児の様に眠りに落ちていく。


 ストラディゴスはルカラを抱えた彩芽を自分の太腿に椅子の様に座らせ、自分は胡坐をかいて座っていた。




 ルカラに対して、捨てられた子猫でも拾ったように、すっかり情が移ってしまった彩芽は、悩んでいた。


 ルカラを猫の様に溺愛するのは、元の世界では絶対に出来ない事であり、恐らくだが「とても楽しい」筈である。

 でも、その行為は人としてどうなのかと、どうしても考えてしまう。


 奴隷を持つという事自体が彩芽の中では著しくモラルに反する行為であり、常に後ろめたさがついて回る。

 言ってしまえば、一線を越える事になるのだ。


 そんな自分にはなりたくない道徳的な自分と、ルカラを今までの人生の分も幸せにしてあげたいと考える、何とも独善的で傲慢な自分がせめぎ合っていた。




「ねぇ」

「なんだ?」

「どうしよっか」

「書簡か? 見つけたら買い戻す様に頼んでおいたから、まあ、当分は報告待ちだな。長引きそうなら、ここで仕事も探すさ」

「ルカラは?」

「その様子だと、使うんだろ?」

「ううん、奴隷は、自分では持ちたくない」

「……アヤメは、前いた世界で、何か奴隷で嫌な思いでもしたのか?」

「ううん、奴隷って制度が嫌いなだけ」

「なら、手放すにしてもどうする? 明日にでも奴隷市で売って来るなら……その器量なら、まあ八百フォルトが良い所だな」


 眠るルカラを前にしてストラディゴスは平然と品定めをし、八万円ぐらいの価値で売れそうだと目算する。

 その言葉を聞き彩芽は、完全にペット扱いをしている様に思え、急激に機嫌が悪くなっていく。


「簡単に売るとか言わないでよ……そう言うの嫌」




 不満が混じる彩芽の言葉にストラディゴスは話を続ける。


「でもよ、自分で持ちたくないって言うなら、誰かに譲るしかないだろ? それに、旅に連れて行くにしても、これじゃあ少し幼過ぎる。馬を操れるようには見えないし、重い物も持てないなら、飯を食うだけのただの荷物か、悪けりゃ足手まといだ。売って旅の資金にしちまった方がお互いの為かもしれないぞ」


 彩芽が扱いに困っているのなら、ストラディゴスにとってルカラは邪魔者でしか無い様であった。


 だが、彩芽はと言うと、馬も操れず、重い物も持てず、飯を食うだけの自分が、旅のお荷物と言われているような気がして、地味にショックを受けていた。

 自分が帰る為の旅の筈だが、その旅の中で自分に割り当てられた「これが仕事です」と言う物が思い当たらない。


 こうして彩芽は、ストラディゴスの愛情と献身に身を任せて、自分が元の世界と変わらず「無職」である事を間接的に気付かされたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る