第17話

「良い、ルカラ、私の事は、ただ彩芽って呼んで。それと、様はやめよう。あと、何か言うたびに恐れながらって言うのもやめようか」

「はい、アヤメさ……ん」


 結局、ルカラを追い返す事が出来ず、彩芽は部屋に入れてしまうのだった。

 だが部屋に入れながらも、彩芽なりに抵抗はしたし今も抵抗中であった。


 真っ先に、思いついた解決策。

 奴隷として彩芽の持ち物になったのなら、開放するから自由にどこにでも行って自由に生きろと言ってやった。


 これで一人の哀れな奴隷を解放できるなら、結果オーライである。


 しかし、ルカラは「自分は奴隷としてしか、生き方を知りません」と言い出し、どんな事でもするから、どうか置いて欲しいと懇願してきた。

 あんなに恐れている主人の元へと送り返す事も不憫だが、と言って一人の人間が転がり込んできても持て余すばかりである。


 迷惑な謝罪の菓子折りを穏便に処理する方法が思い浮かばない以上、ストラディゴスの帰りを待つしかない。

 それならばと、巨人が帰って来るまででも、せめて奴隷として扱うのだけでも止めようと抵抗の方向性を変えているのが今の時点である。




「アヤメさん、私は何をすれば? どんなお役にも立ってみせます。何か洗う物やお磨きする物はありませんか? お身体を洗うのも得意ですし、マッサージだって出来ます!」


 ルカラは小さな拳を握って、新しい主人に対してやる気をアピールする。


「気持ちは嬉しいけど、連れが帰って来るまで、そうだな……面白い話とか知らない?」


 ルカラには言いにくいが、全部、巨人で間に合っていた。

 今は働かせる事など無いし、それ以前に自分の言葉でルカラを奴隷として働かせたく無かった。


 とにかく彩芽は、目の前にいる実在の奴隷と、彼女を縛る制度に対して、ルールだからの一言で流される事だけはしたく無かったのだ。




 それは、フリーランスになる直前、企業に所属して働いていた頃の経験に由来する。

 彩芽にとって奴隷とは、当時の自分と大差無く思えていた。




 別に、勤めていた会社がブラックだった訳では無い。


 彩芽は大学を卒業すると、二年上だった尊敬する件の先輩に誘われ、プログラムも分からないのに小さなIT企業に飛び込んだ。


 それからすぐ、会社は大きくなっていった。

 毎月の様に新しい人が増え、一つの目的の為に協力して皆が働く空間。

 そこで最初に感じていた刺激や面白さ、やりがいも、組織の人数が六十人を超えたぐらいから薄れ始め、日本の良くある普通の企業になっていくのを、組織の中で目の当たりにした。


 誘ってくれた先輩、困った上司、仲の良い同僚、慕ってくれる後輩、いろんな人がいて、最初はそれなりに楽しい良い職場であった。


 ある時、先輩が急に職場を辞めたのを機に、組織の空気が変わっていった。




 外から来た優秀な後任者が、効率、成果、根拠、実現性、実行力、当事者意識、経営者目線、とにかく色々な事が素晴らしくて大事だと言って現われ、それはどれも当初は正しく思えた。


 でも、組織が大きくなるにつれて自分が全体の中で何をしているのかドンドン見えなくなっていき、気が付くと役員になった一握りの者を除いて、複雑な単純作業を延々とするように変わっていった。


 組織が小さかった時代は、沢山失敗して良いからとにかく動け、同じ失敗をしなければ良い、失敗の先に成功があると、辞めた先輩に教えられ、泥臭くも伸び伸びと働いて、それなりに成果を出していた記憶がある。


 組織が大きくなっても、そんなベンチャー気質みたいな事を役員達は言うのだが、その内情は変わっていた。


 成功をしても失敗をしても会社の定めたルールに従って会社の都合で審査され、数字に置き換えられた報いを与えられる様に、自動的で不自然で無機質な物へと変わっていった。


 彩芽が辞める直前は、会社も、そこにいる人間の事も、全部が無機質な型にハマって見え、息苦しくしか感じなくなっていた。




 だが会社自体は、社会に課せられたルールを破っていなかった。

 ただ、社会に課せられたルールを利用して、金や物が効率よく動く状態を維持しているだけだったのだ。

 組織を維持する為に、その中で生きる人達から、いつしか搾取する様に変わっていってしまったのが実情だろう。


 だから、彩芽は見切りをつけてフリーランスに逃げたのだった。




 彩芽がルカラをどうにか奴隷扱いしない様にと考えている一方で、ルカラは新たな主人に気に入られようと必死の様子であった。


「アヤメさん、そ、それでは、面白い話を一つ……ええと、崖の上に六人の奴隷がおりました」

「まった! その話、やめようか!」


 ブラックな笑いの香りしかしない出だしに怖気づく。

 奴隷が話す奴隷の話など、それだけで笑えない。


「ですが、以前ヴェンガン様にお褒め頂いた話は、これしか」

「じゃあ、面白く無くていいから」

「あの、そうなると、私は何をお話しすれば良いか」


 もっともな意見である。


「じゃあ、ルカラの事を教えて」

「私、ですか?」


「好き嫌いとか」

「好き嫌いですか?」


「食べ物とか、天気とか」

「食べ物は、何でも好きです。天気は、雨が好きで、晴れは、あまり好きではありません」


 彩芽はようやく会話が成立してきたとホッとする。


 この調子でルカラの事を知っていけば、少なくとも主従よりもマシな関係は築ける気がした。


「雨が好きなんだ、いいよね、私も結構好きだよ雨。猫が軒先に雨宿りに来たりしてさ、まあ、洗濯物は乾かないし臭くなるけど。ルカラは、雨のどういう所が好きなの?」


 何気ない質問。

 彩芽は目の前の少女への不用意な深堀は、危険だと思い知る事になる。


「はい、雨が降れば身体を洗えるし、好きなだけ水が飲めますから」

「う、うん。そうだね……」


 何を聞いても、奴隷アルアルみたいな答えが返ってくる事は、容易に予想が出来た。

 食べ物に関しても、何でも好きではなく、好き嫌いは言っていられないと言う返答なのだと意味を理解し、彩芽は言葉を詰まらせたのだった。




 扉のノック音でストラディゴスと分かった。

 帰還を待ちに待っていた彩芽は、返事もせずに食い気味に「どうだった!」とストラディゴスに言葉をかける。


 とりあえず助かった。


 エドワルドに会いに行ったストラディゴスは、一人で戻ってきていた。

 彩芽で無くとも扉をくぐるその顔を見れば、成果が芳しくない事は聞かずともわかる。


「ダメだ。盗品を捌いてる奴を何人か当たったんだが、空振、り……ん? なあ、そいつは?」


 ルカラに気付きたストラディゴスは、部屋にいる見知らぬ少女を前に動きを止めた。

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