第14話
フィデーリスの町には、数十の公衆浴場がある。
そのどれもが男女共用で、男女や種族を分けたサービスをする方が稀だ。
混浴かつ、施設での差別はないと言う事である。
金さえ払えば奴隷だろうが貴族だろうが、関係無く使えるのだ。
理由は単純、身体の衛生状態を管理する場であると同時に、大切な出会いの場でもあるからだ。
その中でもブルローネ運営の公衆浴場は、利用料が他よりも高いにもかかわらず一部の人々に人気があった。
公衆浴場と聞いて、日本の温泉や銭湯をイメージするかもしれないが、この世界にある公衆浴場の大半はサウナに近い。
巨大な入浴用の湯船もあるが、基本的には汗をかいて垢すりをして身体を綺麗にし、汲んだ湯で汚れを洗い流す場である。
設備としては、それ以上何も無い施設が殆どだ。
その代わり、施設主が用意している従業員として働く奴隷達が客の身体を綺麗に洗い、オイルで髪を綺麗にし、全身マッサージをするのが一般的であった。
そんな施設に人気の差が出る一番の違いは、二つ目の役割による所、利用者の客層にある。
日本人の感覚では、風呂は一時間程度入れば十分に長いと感じるだろう。
だがそれは、体温よりも高い湯船に入る事を前提にした時間である。
サウナでも長時間入っていれば身体への負担が大きくなる。
しかし、ここには低温のサウナや、少し暖かい温水プール程度の温かさの湯船しかない。
そんな公衆浴場では、場を満たす高い湿度と程よい温度で長時間いても身体への負担が少なく済む。
一種のサロンの様な、社交場としての機能を十分に担っていた。
となれば、ブルローネの客層とコネクションを作りたい者達にとってはこれ以上無い場であり、人脈を作れるだけでなく、姫達の裸体も堂々と拝めると言う事で、男女問わず常に一定の利用客が入り浸っていても不思議は無かった。
* * *
彩芽は、ここ五日ほど軽い水浴びを時々するだけで、まともに身体を洗った記憶が無かった。
自分の匂いもストラディゴスの匂いも、鼻が慣れてしまい何も感じないが、良い物ではないだろう。
この世界の基準的な人の体臭に近づいて来ていると言えなくも無いが、程よく清潔である事はそれだけで旅のリスクを大きく減らせる。
異世界で未知の病気にかかれば、彩芽はこの世界の人間より重症化する可能性が高いのだ。
大浴場の入り口で施設の従業員に身体を洗う二枚の布だけ渡されると、ストラディゴスと共に更衣室で服を脱ぎ、広げた布で胸から太ももまでの前だけ隠し、浴場に足を踏み入れた。
ストラディゴスはと言うと、こんな場所に自分から誘って置いて、更衣室から既に少し緊張している様子であった。
むわりとした空気の中、仕事を終えた姫達が六人、楽しそうに談笑して歩いてくるのとすれ違う。
もう風呂上りなのだろう。
ちなみに、ブルローネには男娼もおり、呼び名は王子では無く姫娼婦と同じく姫と呼ばれている。
今すれ違った姫の半分は、美しい見た目をした男娼であった。
他にも人種、種族、性別を問わずに一糸纏わぬ恰好をした様々な人が、思い思いに大浴場を楽しんでいた。
彩芽は、銭湯、温泉、サウナと言った施設がこの上なく好きであった為、何の変哲も無い公衆浴場だと言うのにワクワクしていた。
そうとは知らずに誘ったストラディゴスは、知らずに大当たりを引いた形となる。
別に、他人の裸を見て眼福だと言う理由で好きなのではない。
公衆浴場では、全ての人が服を脱ぎ、同じ目的で集まる。
まさに彩芽が苦手とする社会のしがらみと服の窮屈さから同時に解放される場所として、条件が整った場であるのだ。
入浴者と言う同じ目線で全員がいられる空間。
聖域、サンクチュアリである。
彩芽が身体を洗おうと、壁際に並べられた低い背もたれのある椅子に座る。
だが、そこには鏡も蛇口も無ければ、もちろんシャワーも無かった。
どうすれば良いのか分からず困ってストラディゴスを見ると、腰布一枚で前を隠した巨人は入り口で渡された一人二枚の布を濡らし、固く絞って彩芽の腕を洗い始めた。
あかすりである。
「痛いか?」
「ううん」
温い湯気で満たされた浴場内は暑く、何もしなくても汗がダラダラと流れていく。
ストラディゴスがタオルと呼ぶには硬い布で擦る度に、彩芽の腕から垢が気持ち良い程ボロボロ取れ、布をタライに満たした水で洗って、また固く絞ってあかすりを繰り返す。
ベッドでして貰ったマッサージもヤバいぐらい気持ち良かったが、どうやらストラディゴスは経験豊富なだけあって女性の身体の扱いを心得ている様で、布で擦られても最初の一擦りだけ僅かに肌が抵抗するだけで、その後はあかすりが彩芽からすると天国の様なマッサージに感じられた。
肘がツルツルになり、腕が細くなったのでは無いかと言うぐらい見違えるように綺麗にされ、手と指を丁寧に拭われ、両手が終わると今度は足を洗われていく。
石鹸も何も使わなくても、技術でここまで綺麗になるのかと彩芽は感心する。
足の指の間、土踏まず、かかと、くるぶし、白い角質や黒い垢が恥ずかしくなるぐらいボロボロと取れ、恐ろしいまでに綺麗にされて行く。
四肢が終わると、今度は床に寝かされ、背中をゴシゴシとあかすりされていく。
その間、彩芽はひたすら「ああ……あああ……」と快感に身をゆだねて知能指数が急速に低下していくのを止められない。
バカになる。
「前はどうする?」
ストラディゴスの言葉に彩芽は悩んだ。
この快感が、身体の前面にまでと考えると、もう恥ずかしさよりも欲望が勝っていた。
彩芽は尻を隠していた布で前を隠し、コロンと仰向けになる事で返事をする。
今更快感から引き返せない。
ストラディゴスが彩芽の胸と腰を隠す様に布をかぶせて前を隠していた布を取る。
それから万歳をさせると首や肩、肩甲骨に脇を洗い出した。
「アヤメ」
「な、なに?」
ストラディゴスは洗う手を止めずにアヤメに不思議そうに聞いてきた。
「ずっと気になっていたんだ。アヤメは、エルフの血を引いてるか、実はかなり若いのか?」
「どういう事?」
「わきに毛が生えてない」
思わぬ指摘に彩芽の顔が、徐々に真っ赤になっていく。
男の人にムダ毛の話など振られた事が無い。
公衆浴場に来てまで彩芽に対して紳士的に接していたストラディゴスから、そんな事を聞かれるとは思いもしなかった。
ただ裸を見られるよりも恥ずかしい。
「は、生えてる方が良かった?」
質問の方向を間違えるが、気になった。
世の中、そう言う趣向の男性がいる事は知っている。
「いや、そこにこだわっちゃないが、その……胸が大きいから、もう成熟しているとばかり思って……気になっただけだ」
そう言いつつ、ストラディゴスは蒸れて辛かった下乳をゴシゴシと洗い始める。
洗うと言う目的がある為か、いつもの遠慮や気恥ずかしさは感じられない。
「その……首から下は……脱毛済み……です」
(ぎゃー何言ってんだ私ー!?)
と彩芽は心の中で叫ぶ。
だが、ストラディゴスは悪気もデリカシーも無く踏み込んでくる。
「脱毛? なんだってそんな事を?」
その反応を見るに、この世界では、ムダ毛は成熟の証以上でも以下でも無いのだろう。
そう言えば、アスミィもフィリシスも裸体は、猫と竜そのままと言った感じだったなと思い出す。
人の状態でも薄い毛で覆われているか、ツルツルであった。
「手入れが面倒で……」
彩芽は脇を、お手上げのまま布で擦られながら、顔を手で隠した。
身嗜みの為と、せめて言えば良かったと後悔する。
どこまでもズボラな自分の本性が恥ずかしい。
「それなら、その……」
ストラディゴスは彩芽の腹、みぞおちを洗い始める。
「こ、子供はもう……つくれるんだよな?」
彩芽は腹を拭われながら、さらに赤くなっていく。
ストラディゴスの言葉に下腹部を意識してしまう。
予想外のストレート。
だが、その言葉に嫌らしさも焦りも感じない。
ただ確認し、安心したかった事がわかる。
彩芽が成熟した女性なのか否かを。
その時、彩芽が彼氏彼女みたいな事を目標に考えていたのに対し、ストラディゴスは牛歩の速度ながらその先を見ていた事に気付いた。
それは、彩芽がまだ先だと思っていたステップであった。
「……つ、つくったことないけど、たぶん……」
真っ赤になりながらも、なんとか答えた彩芽の言葉。
ずっと前に進めないでいたストラディゴスは、さらに念押しをしてくる。
「子供は……その、今とかではなくて、いつか欲しいと思ってたりするのか?」
彩芽の腹を布で洗う大きな手が、ヘソの下に到達する。
ストラディゴスは洗っているだけでも、子宮と膀胱が刺激され、変な気持ちになってくる。
「あ、ありがと! 今度は私が洗うね!」
彩芽が、これ以上は、自分の定めたサンクチュアリ・公衆浴場では進めてはいけない事だと布で前を隠し立ち上がった。
危なかった。
まさか身体から落としにかかってくるとはと焦る。
彩芽は、ストラディゴスの身体に染み付いた女を喜ばせるテクニックが無意識に漏れている事にようやく気付いた。
腰と胸に布を巻いた彩芽に背中を擦られ、初恋を経験したばかりのティーンエイジャーみたいな初々しい喜びに胸を躍らせている目の前の巨人。
危ういバランスの上で、今のストラディゴスは成り立っているのかもしれないと彩芽は思う。
「子供は、欲しいよ」
だが、そのバランスが良い方に崩れるのを望んでいる自分がいる事に彩芽は気付いていた。
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