第13話

「もう行こ。タバコ買お、タバコ」


 彩芽が、奴隷市に漂う熱気と鬱屈とした空気の混沌に酔い、ストラディゴスに移動をせがんだ時。


「もしかして、お前ストラディゴスか?」


 ストラディゴスが振り向くと、見るからに無法者と言った風体の男が一人。

 中肉中背だが、ガッシリとした体形。

 顔にいくつも小さな古傷があり、短い髪や眉・髭の上を傷が通っていて、そこだけ剥げている。

 革の鎧を身に纏い、一頭の馬を連れている。


「エドワルド!?」

「やっぱりストラディゴスか! 久しぶりだな! そっちは誰だ?」


 ストラディゴスと笑顔で話していないと、エドワルドと呼ばれた男は人相の悪いチンピラか盗賊にしか見えない。


「彼女はアヤメ。アヤメ、こいつはエドワルド。傭兵時代の戦友だ」


 彩芽がストラディゴスの肩の上で会釈をすると、エドワルドは大仰にお辞儀をしてみせた。


「おいおい、騎士様が女連れで、こんな所で何をしているんだ? ネヴェルは大変な事になってるって聞いたぞ? お前大丈夫だったのか? ここには領主のお使いか?」


「騎士なら辞めた」


「おいおいおい、こんな時期にか!? これからが稼ぎ時だろうが。それとも何かやっちまったのか? でもよ、騎士じゃないなら、傭兵に戻ったんだろ? どうだまた一緒に稼がないか?」


「人聞きが悪い事言うな。今は、彼女の故郷まで一緒に旅をしている。それだけだ」


 ストラディゴスはオルデンに言われ、異世界の事は必要以上に公の場では口にしない事にしていた。

 オルデンやポポッチの様な友好的な者ばかりでは無いらしい。


「……どういうことだ? まさかお前……ルイシーさんはどうした!? 他の子達は!?」

「みんな元気にやってるよ」


「そ、そうか……そりゃよかった……それで、今の彼女が、えっと、アヤメか、お前が一人の女の為に旅をするなんてな、あ、いや、わりぃ……でもよ、それなら気をつけろよ。昔のよしみで一つ忠告しといてやる」


「忠告?」


「ああそうだ。大きな声じゃ言えないがな、今回のマルギアスとカトラスの戦争だが、いつもの小競り合いじゃ終わらないらしい。カトラスの奇襲とネヴェル陥落は始まりなんだ。俺もまだ噂を聞いただけで確証はない。だが、この機に乗じて、戦争に横やりを入れてやろうって奴らがいるって話だ」


 エドワルドの話を聞き、オルデンとポポッチの計画が部分的に漏れているのかと、彩芽は内心安心した。

 だが、ストラディゴスはエドワルドの話に興味を持ったようで、さらに深く聞いて行く。


「その横やりを入れようって奴らの目星は?」

「俺の聞いた情報では、エポストリアだ」




 エポストリア連王国。

 大陸の南東の大部分を支配している国である。

 地図で見ると、マルギアスとカトラスを合わせたよりも全体として見れば大きい国だ。


 エポストリアは、国土を形作る十三小国の王達による封建制度と合議制の良い所どりをした様な体制で動かされ、王家同士の結束が強く、一つ小王国が他国に攻撃されれば他の十二ある小王国が報復に動き出す為、連王国に所属する国に戦争を自分から仕掛ける国は、単体では無いと言っていい。


 そのエポストリアが、きな臭い動きを見せているのであれば、オルデンに報告せねばならないとストラディゴスは思った。

 騎士で無くなっても、世話になった相手への忠義が無くなった訳では無い。


 これは、彩芽と出会う前から持ち合わせていたストラディゴスの良心でもあった。




 * * *




 エドワルドと分かれ、一度ブルローネに戻った彩芽とストラディゴスは、ネヴェルに向けて伝書ガラスを飛ばした。

 ただの噂なら良いし、オルデンが情報を先に掴んでいれば問題無いが、耳には入れておいた方が良い。


 エドワルドからの情報とは、ストラディゴスにとってそう言う重みがあった。

 一部を見て全体の空気を何となく読める奴と言うのは、世の中に一定数いる。

 戦場の動きや政治において、エドワルドは昔から嫌な事ほど良く当てる奴であった。




 ブルローネのロビー。

 市場でタバコを買い、オイルを補充したライターで彩芽が久しぶりの一服をしてストラディゴスを待っている。

 キセルかパイプの様な物が欲しいと彩芽は思うと、煙草を携帯灰皿に突っ込んだ。


 あと、骨Tシャツを着れる様に、ズボンかスカートも欲しいなと思った。

 オルデンと約束していたズボンの代わりの服は、事件があったせいで採寸が立ち消えてそのまま終わってしまったので、着れる服がストラディゴスの用意したワンピースしかないのだ。

 旅行に行くなら日数分の服を持っていきたいのが本音だが、服と言う物は思いの他かさばる。

 なので、必要になった時に出先で仕入れようと、最初に買い足す事はしなかった。


 今こそが出先であり、ワンピースを洗っている間に着る服は早急に必要である。




「待たせた。今度こそちゃんと何か食いに行こう」

「あっ……」


 そう言えば、最初に買った干し肉以外食べていないと思い出す。

 奴隷市を見に行ったわけでは無く、食事に出た筈だったのに、とんだ回り道をしてしまった。


 こうして彩芽は、奴隷の事は忘れ、気分を切り替えようと心に決めたのだった。




 * * *




 美味い料理屋を探し、ブルローネの姫達に薦められて来たのがトルペと言う店である。


 ブルローネから程よい距離にあり、それなりに繁盛している洒落たレストランと言う感じで、見た目にも悪くない。


 燻製が有名な町らしく、肉、魚、卵と様々な燻製が壁にかけられ、どれも美味そうである。


 日はまだ高く、さすがに今から飲むのもどうかと思ったので酒は控え、ストラディゴスが適当に注文を頼むとテーブルの上には次々と料理が運ばれてくる。

 普通の二人分の量では無いが、巨人の胃袋を考えるとこれでも遠慮しているのが分かった。


「ストラディゴス、さっきのエドワルドさんの話、どういう事?」


 卵の燻製をナイフで切ると、ドロリと固まりかけた黄身が皿に溢れ出た。

 木のチップで蒸した独特の臭いが軽く鼻にかかる。

 一口含むと、香りが鼻に抜け、塩味がきいていてかなり美味しい。


「エポストリアって所が、戦争を利用して何かするかもって話だろ。まあ、あそこは色々昔から噂はあるからな」


 焼いた燻製肉を食べやすい様にナイフで切り分けていくストラディゴス。

 子供扱いにも思えるが、彩芽が小さな肉を口に入れると、かなり固く、彩芽が切るには骨が折れる料理だと分かる。

 肉を口に入れると固まった油が体温で口内に溶け出し、噛めば噛むほど味がする。

 肉自体に臭みは無く、硬めのサラミみたいで美味い。

 皿の端に置いてある調味料らしき粉をつけると、片栗粉の様な細かい粉末だが胡椒の様な味がする。

 スパイシーだが、つけすぎてむせてしまう。


 独特な渋みが残る果汁を水で割った飲み物で喉の奥に流し込み、返事をする。


「色々って?」


「エポストリアは連王国って、何人かの王が協力して仕切っている国なんだが、一番力のある王が金が好きで、どこかで戦争が起きると、金儲けをしているらしいって噂は昔から絶えないんだ」


「例えば?」


「戦争になると武器が必要になるだろ? すると両方の国にエポストリア製らしき武器が出回り始めるんだ」


「完全に武器商人だ……」


「それだけじゃない。エポストリアの商人が周辺国の鉱山で武器の原材料を買い集めて、独占しているなんて噂もあった」


 彩芽はサラダを頬張りながら話を聞いていて、どこの世界にもある意味で頭の良い人間がいるのだなと思った。

 需要を見越して独占し、市場を支配しようと考えていると言う事は、マルギアスとカトラスが無駄な争いをすればするほど、エポストリアが潤うと言う事である。


「でも、なんで噂なの? そんなはっきりしてたら……」


「エポストリアの商人って言うのは、昔から商魂たくましい事で有名なんだよ。だから、奴らが武器や鉱山を売り買いしたって話があっても、いつもの事なんだ。それに、武器がどこの工房で作られているかなんて、全部は分からないから、証拠が無い」


「ストラディゴスは信じてるの?」

「半々だ」


 そう言うと焼いた燻製の魚の大きな切り身をストラディゴスは頬張った。


「そんな事よりも、アヤメ、もっと楽しい話題が美味い飯には相応しいと俺は思うんだ」

「どうしたどうした」


 ストラディゴスは勿体ぶって話を始める。

 その空気を感じ取り、彩芽も話にしっかりと乗っかっていく。


「実は、一つ隠していたこの町の名物があるんだ」

「おおぉ、それは食べられるものですか?」

「食べられ……ないが、これがヒントだ」


 そう言って、ストラディゴスがテーブルの上に並んでいた皿の一つ、殻付きの卵を手に持つと皿の上に割って見せた。

 割れた殻の中からは、半熟のゆで卵。

 いわゆる、温泉卵である。


「アヤメは分からないか」

「温泉?」

「お、アヤメの国にもあるのか、間欠泉卵」

「そんな空に飛ばされそうな名前では無いです」

「フィデーリスにも間欠泉は無いが、隠れた湯治場で有名なんだ」

「隠れてるのに有名なの?」

「温泉は湧いてるが、一部の公衆浴場にひかれてるぐらいで住んでても知らない奴も多い」

「ニッチな……」


 ストラディゴスは温泉卵を口の上で割ると、直接口の中に流し込む。


「公衆浴場、あんまりって感じか?」

「ううん……実は、大好きです……」

「そりゃよかった」

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