昭和食堂

@tabizo

Nostalgic Restaurant

3年半の転勤が終わり、私は久々にこの街に帰ってきた。懐かしい風景。懐かしい空気。

前にいたオフイスも若干机の配置や備品の置き場が変わっただけで勝手知ったる我が家のようで慣れるのに時間はかからなかった。懐かしい地元の言葉が飛び交う中で一通りの仕事をこなしていたらお昼をはるかに回っていた。遅い昼食をとるためにノートパソコンをとじて会社を出る。

初夏の青い空の色がまぶしい。

会社からほど近い中華街のはずれにいつも通っていた店があった。

(久しぶりにあの店に行ってみよう。店の大将は元気かな)

飲食店が並ぶ通りから漂ういろんな料理のエッセンスが混じったような香り。

(そうこのにおい……なんか戻ってきたという感じがするなぁ)

ただ、通りの雰囲気は3年でかなり変わっていた。初めて見る新しい店が多くなっている。

サラリーマンで賑わっていた喫茶店がコンビニになっていたり、老舗といわれていた人気店も新しいチェーン展開する店に変わっていたりと時間の流れを改めて感じながら歩く。

(あの店……まだやってるかな)

いろんなことを考えながら歩いていたのでいつの間にか店の前を行き過ぎてしまった。注意深く戻りながら目的の店を見つけてホッとした。両隣が知らない店に変わっていたので余計に気づかなかったのかも知れないが、周りの派手な店に囲まれて存在感が薄れていた。でも潰れてなくてよかったというのが正直な気持ちだ。

ガラガラと手動のガラス戸を開けて店内に入る。

時間が止まってたかのようにあの時のままの店内。ところどころシミのついた手書きのお品書きがベタベタと壁に貼ってあり、テーブルには調味料と割り箸立て。昭和の昔の食堂のイメージそのまま店だった。お世辞にもきれいだと言えない店だが、味は店の大将が昔、有名な店で修行していたとかでどれも保証付きの旨さだった。そのためか、お洒落から程遠い古い食堂にもかかわらず若いOLの姿も多かった。

店の名前は正式には“御食事処 清田”というのだが、レトロな雰囲気の店なのでいつの間にかみんな“昭和食堂”と呼んでいた。

私は店の大将と女将さんの人柄と料理の味が気に入ってほとんど毎日通っていた。

「いらっしゃい、あれ、お兄ちゃん久しぶりやねぇ。今冷たいお茶持ってくるから」

女将さんが私のことを覚えてくれたみたいだ。

「転勤でしばらく地方に行ってたので・・・3年半ぶりかな」

私は運ばれたお茶を飲みながら答えた。

「まいど!兄ちゃんよく来てくれたなぁ・・・元気にしてたか?」

しばらくして厨房から大将が体を少し乗り出しながら言った。

「あはは、大将もお元気そうで。でも懐かしいですわ、ここに来たら帰ってきたって感じがするし」

ここはかなりの年配だがいつも元気な大将と女将さんの二人で切り盛りしていた。ピークを過ぎた時間なのにそれなりお客もいて相変わらず繁盛しているみたいだった。

「じゃぁ、ミックスフライ定食で」

私は壁に並ぶメニューを見ながら少し考えて注文した。もちろんメニューは頭に入っていたが、懐かしい味の記憶と映像が脳内に浮かんでは消えを繰り返すものだから、しばしノスタルジーに浸っていた。涎が出てたことに気づき慌ててゴクリと飲み込んだことは内緒だ。

「ああ、ミックスフライ定食やね、好きやったもんねぇ。ミックス一丁!」

「あいよ!」

私は懐かしい夫婦のやりとりを聞きながら、またここの料理を食べれられることを喜んでいた。料理が来るまでの間、改めて店の中を見回してみる。大将や女将さんの動きは相変わらずキレがいい。壁に飾ってあるサイン色紙のところで私の目がとまる。そう、あの時も色紙のサインで誰のかわからないものがあって、それをあれこれ想像しながら待っていたっけ。

 そうこうしているうちに、できたてのミックス定食が運ばれてきた。

割り箸を割るが早いか冷ますことさえ待ちきれないかのように料理を口に運ぶ。

(うん、これこれ。この味や。でも熱っ)

久しぶりに食べるミックスフライ定食は変わらずに絶品で量も以前よりボリューミーに感じた。

 食べ終わるかどうかのタイミングでプリンが運ばれてきた。

「あれ?これ……」

驚く私に女将さんが笑顔で答える。

「兄ちゃん、プリン好きやったやろ。サービスや」

(さすが昭和食堂や、私のデザートの好みまで覚えてくれてる)

「嬉しいわぁ、頂きます!」

私は笑顔で厨房にも聞こえる声で礼を言った。

古い大衆食堂にプリン―少し意外な組み合わせと思うかも知れないが、ここの隠れた名物料理でもある。なんでも先代の親父さんがこの場所に中華料理店をオープンした時も、何故かプリンがメニューにあって、それはそれは絶品だったらしい。

大将の代になって洋食もメニューに加えた食堂になってもプリンだけは受け継がれている。だからこの特別なプリンは自分へのささやかなご褒美として食べていた。

またこのプリンが食べられることは嬉しいことだった。


 しばらくして、大将が厨房がから出てきて私に丁寧に頭を下げる。

「兄ちゃん、実は今日でこの店閉めることにしたんや。わしらももう歳やさかい思うように体も動かんようになってきたから、ここらが潮時かなと思うてな。長い間、贔屓にしてくれて、ほんまにおおきに」

女将さんも一緒に頭を下げている。

(ええっ、そうやんたんですか。それはそれは……)

私は突然のことに言葉が続かなかった。

「なんか……寂しなりますわ」

そう言うのが精一杯だった。

「常連さんからそう言うてもらえるのが何よりの手向けですわ。おおきに」

私は“昭和食堂”の最後の料理を口にしながらしみじみとした気分になっていた。

そういえば前に女将さんから息子さんの話を聞いたことがあった。

大将と女将さんには一人息子がいて、私は彼が店を継ぐものだと思っていた。

あれはこの店に通いだして5年くらいたった頃だったか、私がこの店が大好きだからいつまでも続いて欲しいと言った時だった。女将さんがお茶を入れてくれながら

ため息まじりに口を開いた。

「あの子がねぇ……店を継いでくれたら嬉しかったんやけど、IT関係というのかい、サラリーマンになってしもうたわ。料理をすること自体は嫌いではないみたいだけど仕事にはしたくなかったみたいだね」

そう言っていつも明るい女将さんが少し寂しそうな顔をしたことを覚えてる。

 それからも何度か息子さんの話は聞いたけど、会社を辞めてしばらく海外に行ってたとか言ってたな。

(息子さんは今、どうしているんだろうな)

少し残っていたお茶を飲み干し、席を立った。

そして支払いをすませた私は後ろ髪を引かれる思いで店を出た。

 店を出た私の目の前、通りを挟んだ正面だが、新しいカジュアルイタリアンの店が出来ていた。来た時は意識してなかったから気づかなかったようだ。

(この店も前にはなかったよなぁ……みんなこんな風に変わっていくのかな)

ふぃに後ろから、大将と女将さんの声がした。

「あれ息子の店ですわ、今後よかったら贔屓にしてやって下さいな」


私の次の常連候補の店が決まった。と同時に私は明日この店に来てるであろう自分を想像していた。あの店の心意気と味のセンスが受け継がれていることを願いながら──



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

昭和食堂 @tabizo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る