矢山行人 十五歳 夏17
「そう、まさにそれ。って、なんだっけ? そのフレーズ」
「ドリカムの曲」
「未来予想図の人だぁ!」
「良い曲だよな」
「だね」
朝子の表情が変化した。
けれど、そこからどのような感情を窺えばいいのか、僕には分からなかった。
「ねぇ、行人くんは、未来予想図ってある?」
僕を呼ぶ人称がさんからくんに変わった。
共通の話題は偉大だな、と思いつつ笑った。「そうだなぁ」
未来予想図か……。
僕の頭に浮かんだのは自分のことではなく、兄のことだった。
矢山という家系の長男は代々短命で、三十まで生きられない代わりに、何かしら特質した才能を持って生まれた。
そんな漫画みたいな言い伝えを父も母も信じ、兄を甘やかして育ててきた。
兄がどんなに無茶な要求をしようとも、この子は長く生きられないのだから、と両親はそれを叶えようとしたし、その為に僕は何度も蔑ろにされてきた。
だからと言って、僕は兄が嫌いで矢山が憎いという訳ではなかった。
それが本当なのか嘘なのか分からないし、両親が兄を甘やかしたいのなら、そうすれば良かった。多少の無茶な要求も僕ができることなら、しても良い。
少なくとも今は一緒に暮らしている家族なのだから、出来る協力はしよう。
そういう気持ちを親戚の家に預けられた二年の時間で僕は得た。
だから、僕が唾を吐き捨て嫌悪するのは、本当なのか嘘なのか分からないものを信じ込ませた、矢山という家系に漂う空気そのものだった。
本当に矢山の長男が短命であり、特質した才能を持ったからと言って、それが未来永劫、この現代の長男まで脈々と続くと思っていたのか。思っていたとするなら、その根拠はどこにあったのか。
本当に兄に何かしらの才能の開花が見られ、世間に認められたとする。
僕はその才能以上の結果を目指しはじめる予感があった。僕の未来予想図は才能に勝るだけの努力を積み重ねる自分の姿だった。
それは矢山の血の連鎖など馬鹿馬鹿しいと嘲笑する僕の気持ちとは矛盾する予想図だった。僕はどこかで兄には特質した才能があり、血の連鎖はこの現代においても続くものだと信じていた。
そして、その連鎖を僕は兄が発揮した才能の結果を超えることで、断ち切ってしまいたいと望んでいた。
そうしなければ兄がいる以上、僕は誰かと結婚し子供を作ることに躊躇するだろう。それは生涯童貞であるよりも、憎たらしかった。
「僕の未来予想図は、好きな女を毎晩抱いて眠る、かな」
その為に兄が開花させる才能を上回る必要がある。
「うわぁ」
「おい、なんだ、うわぁって」
朝子が呆れたような声で言った。
「ねぇ、さっきからキモいこと言いすぎなので、帰ってくれません?」
「お前、僕が買ったポテトチップス一人で食べながら、よくそんなこと言うな、おい」
「行人くんが勝手に食べて良いって言ったんでしょ!」
「そーだけど。感謝とか敬いとかの感情を向けて頂きたい!」
「へぇ。私の秘密基地に来て、そんなこと言う? ジュースとお菓子だけじゃ、足りないくらいだよ」
「ここは朝子ちゃんだけの場所じゃないだろ?」
「でも、私の後を勝手についてきて立ち入ったんだから、私に権利があると思うよ」
どうだろう?
朝子の言い分には無理があると思ったが、ずっと言い合っていても仕方がないので話を進める。
「で、朝子ちゃんの未来予想図は?」
「私の未来予想図は、」
その瞬間、耳障りな爆音が町の方から響いた。
なんだ、と思い町に視線を向けると、点々と光る信号機や外灯の並ぶ道路を物凄いスピードで走り抜ける車の姿が確認できた。角を曲がり姿を消したと思ったら、他の角から飛び出してくる。のたうつよう動きで町の中を車は走り回る。
「すごい」思わず僕はそうこぼした。
「でしょ!」
朝子が暗がりでも分かるほど、嬉しげな顔をしていた。
白い歯が町から届く光の中で、僅かに浮き上がっているのが分かった。
「あの車はね、MR2って言うの」
へぇ、
と僕は相槌を打つ。
遠くて車種まで確認できなかった。
爆音は続く。
車の動きは無造作だが確かな法則があり、光の動きを目で追っていると町を蛇が這うようにも見えてきた。それと同時に、爆音のリズムが耳につきはじめた。
運転手がどんな人か僕には分からない。
けれど、僕はその人がどうして車を運転しているのか、どうして朝子がこの車を見る為にわざわざ山を登っているのか、分かるような気がした。
MR2の刻む激しいリズムの中には、理不尽に対する確かな憤りが含まれていた。
「歌っているみたい、でしょ?」
「歌?」
朝子は僕を見ることなく言った。「歌って暴力と愛を合わせ持っていると思うの。心地の良い歌って、包まれるような幸せを感じるけど、耳障りな歌は体を押さえつけられるような不快さがあるの。車のエンジン音は世間で騒音だってなっているし、私もそう思うんだよ。でも、中には心地の良い音もあるんだって思うんだ」
「それが、朝子ちゃんが病院を抜け出す理由?」
MR2の音が徐々に遠のいて行くのが分かった。余韻とも言える音の響きの中で、朝子が僕を見た。
「お姉ちゃんから理由、聞いてないの?」
「一応、聞いてるよ」
「じゃあ、それだよ」
音が完全に止んだ。
突然、僕らは今、墓場にいるのだという実感が訪れる。
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