野中を待ちながら

海原

【1】

 日が落ちて数時間が経った今、すっかり暗くなった公園には、ほとんどひと気がない。集合場所付近でようやく人影が見えたので近づくと、案の定、それは十三じゅうそう先輩と塚本つかもと先輩だった。

「すみません、遅くなりまして」

 時間にはまだ余裕があったが、とりあえず先輩への礼儀として頭を下げる。……正直、この人たちといるのはあまり気乗りがしない。なので、来ただけでも褒めてほしかったのだが──、

「ふむ、まったく遅いな君は。たるんでるんじゃないか」

 開口一番、十三先輩がニヤニヤと笑みを浮かべて厳しいお言葉を下さった。まあ、特にへこんだりはしない。彼女は後輩をいびるのが趣味の、ヤな人というだけなのだ。

 一方塚本先輩は、

「俺も今来たところだ。気にするな」

 すっていた煙草を携帯灰皿で消しながら、そう言ってくれた。この人もこの人でアレだったりするのだが、後輩にはおおよそ普通の対応をしてくれるので、そのへんはありがたい。

「……で、野中のなかはいつくるんだ。あいつの車がないと、どうにもならないんだが」

「まあまあ。まだ定刻までにはちょっとありますし」

 ふて腐れる十三先輩をなだめにかかる──俺がいびられるのはどうとでもなるが、野中さんにまで被害が及ぶのはしのびない。塚本先輩がスマホを取り出して、なにやら操作してから、一言いった。

「渋滞だってよ」

「なんだと! とうとう年中無休大絶賛優等生のあいつも、運転中に携帯をいじるとかいう蛮行に及んだか!」

 不満顔だったのが嘘のように、ぱぁっと明るい顔になる十三先輩。人の堕落をこれほどまでに喜ぶ人間には、今までお目にかかったことがない。

 しかし、いや、と首を横に振った塚本先輩を見て、その笑顔は急速にしぼんだ。

「野中の家の方からここまでの経路を検索したら、渋滞情報がひっかかっただけだ。事故渋滞で車線規制されているらしいし、巻き込まれてる可能性は高いと思うが」

「ケッ。奴ならなんか事故が起きそうだなーって察して、巻き込まれない時間帯に家を出るとかできるんじゃないのか」

 野中さんを、千里眼の持ち主かなにかと勘違いしてはいないだろうか。

 やれやれ、と十三先輩は夜の空を仰いだ。

「冬の寒い日に待ちぼうけとはつらいものだな! 寒さが骨身に沁み渡って、心の底まで凍てつきそうだ。見ろ! 蠍の赤い火があんなにも遠い!」

「適当言うなよ。今は蠍座見えねえよ」

「なに? じゃああれはなんの星だ。なんでもいいからさっさと爆発して暖を取らせてほしい」

「そうだな、爆発して飛び散った隕石がピンポイントにおまえに落ちればいいのにな」

 ……不毛だなぁ。

 この人たちの会話を聞いてるのも、この人たちと一緒にいるのも、意識すると涙が出てしまう。野中さんまだかな。

 そろそろ来はしないかと、あちらこちらに視線を巡らせる。──ふと、煌々と灯った明かりが視界に入った。

 二十四時間営業の、コンビニ。店の前に置かれた幟は、温かそうなコーヒーの広告だ。

「ちょっとコンビニ行ってきます」

 まだわいのわいのと言い争っている先輩二人に、一言だけ告げて俺はコンビニへと向かった。



 店に入ると、耳慣れた入店音が流れた。

 俺はゆっくりと棚を見て回ることにする。すぐに戻ると、また不毛な争いをBGMに待たなければいけなくなるだろうし。十三先輩とか、なんで私の分もコーヒー買ってこなかったんだとか言いそうだし。

 イートインコーナーもある店内は、結構広めで商品も多い。ある程度は時間が稼げそうだ。

 漫画でも読んでいたら時間を潰せるか、と雑誌コーナーに向かうと、既にそこには何人かの立ち読み客がいた。この時間帯にしては、意外と客数が多い気がするが、ここらだと普通なのだろうか。おりしも、出入り口の方から新たな客が来るのが見えた。

 立ち読みに割り込む隙間もなさそうだったので、改めて商品棚へと物色しに向かうことにする。駄菓子コーナーに懐かしのソーダラムネが置いてあるのを見て、少し頬が緩んだ。野中さんの好物だ。あとでコーヒーと一緒に買っていこうかな。

 ──と。

 ぱれられぱらん、と入店音が響いた。

「やれやれ。極楽で待ち時間を潰そうとはな。いい度胸してるじゃないか、木川の奴め」

「ついてきたおまえもな」

 ああ……。来てしまったか……。

 俺は深くため息をつく。まあ、こんな過ごしやすい環境を見逃すほど、先輩方の目も節穴ではないか。

 店内を見回していた十三先輩が、目聡く俺を見つけだす。

木川きがわ! 水くさいじゃないか。こんなところを見つけたんなら、率先して私に言ってくれればいいものを!」

 わざとらしく、ばしばしと背中を叩く先輩。

 この人のことだから、俺が先輩方を避けてここに来たなんてことは、お見通しに違いない。

「……買い出しは後輩の本分なので、先輩のお手を煩わせるまでもないかと……」

 一応言い訳は捻り出すが、当然欠片もその気がない嘘である。これもバレてはいるだろうが、会話の流れという奴だ。それをご承知の上であるはずの先輩は、そうか、と頷いた。

「気遣いのできる後輩を持って、私は幸せ者だな。とはいえ、せっかくここまで来たんだ。私も一緒に見て回ろう。買いたいものがあれば奢るぞ! 塚本が」

「断る」

 棚の向こうから、塚本先輩の声が聞こえてきた。どうやらうちのサークルには、金銭面に於いて上下関係の妙というものはないようだ。

「まったく、気の利かない男だな。この際だから、野中のぶんも買ってやればいいというのに。ところで野中って何が好きだと思う? やっぱりアイスだろうな。冬に暖房をガンガン効かせて食べるアイスは格別だぞ」

 いえラムネです、と俺が訂正する前に、十三先輩はさっさと店の奥のアイスコーナーに向かってしまった。仕方なく、俺も後をついていく。ここのイートインで食うならともかく、アイスを外で食わせるならほぼほぼいじめではないだろうか。車の中は暖房が効いてるだろうけど、運転しながらアイスは食べづらいだろうし。

 先に着いた十三先輩は、嬉々としてアイスを物色していた。

「見ろ木川! 最強のアイスだ。これなら野中も満足間違いなしだな! 奴に渡す名誉な役は君にくれてやろう!」

 そう言った彼女の手に握られていたのは、超硬度で有名なアイスバーだった。

 ……完全に、嫌がらせだな……。俺が嫌われる展開になるんじゃないだろうか……。

 隣にいた客が、買うなら早く買えと言わんばかりに、胡散臭いものを見るような視線を向けてくる。すみません、と軽く頭を下げて、俺は十三先輩の手を引っ張った。

「行きますよ先輩。暖を取るにしても、冷やかしで居続けるのもなんですし」

「そこはこう、もうちょっと買い出しにきた後輩を最後まで演じてみせろよ。面倒になったら雑味が増すな君は」

 ぼやいた先輩は、ほらほら、と店奥のレジにある、揚げ物などが入った保温器を指す。

「暖を取るなら温かい食べ物がそこにあるぞ。あれを食べて行けばいいじゃないか。なんなら私が奢ってやるし」

 まあ、それは道理だ。コーヒーが飲みたいと思って来たのは事実だし。

 じゃあ、コーヒーと肉まんでも買っていきますかね、とレジに近づいて──ふと、違和感に足を止めた。

 奢る? 十三先輩が?

 ──ゆっくりと、先輩を振り返る。

「……正気ですか?」

「うん? 先輩が後輩に奢るくらい、当たり前のことだろう?」

 さあ肉まんでもチキンでもフランクフルトでも好きなものを選ぶといい、と両手を広げる十三先輩は、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

 間違いない。この人のこれは、素直に奢られれば何か災害の起こる笑顔だ。でなければ、この人が奢るなんて、言うはずがない──!

 答えられなくなっている俺をよそに、塚本先輩がレジへと歩いてきた。俺の横を素通りして、レジの奥へ目を向ける。

「いらっしゃいませ。何かご注文ですか?」

 にこやかな笑顔の店員に、ああ、と彼は頷く。

「……煙草。一箱も、ないんだな」

 平坦な、声。

 だが、店員の笑顔が、ぎちりと歪んだ気がした。

「……すみません、当店では取り扱っていなくて」

「そうか。じゃあ仕方ないな」

 意外にもあっさりと、塚本先輩はレジから離れる。わかっただろ、というような視線を俺に寄越して。

 ……煙草を取り扱っていないコンビニなんて、あるのだろうか。個人商店ならまだしも、全国展開しているようなコンビニで。

 百歩譲って、俺の知見不足だったとしても──ああ、なにかがおかしい。例えば……出入り口のそばにない、レジとか。この時間にしては多すぎる、人影とか。入店音の聞こえなかった、客とか。

 どろどろと空気が濁ってきた気がする。心臓の鼓動が異様に激しい。ジジッ、ジジッ、と照明が瞬いている。

「……もう帰りましょうよ、せんぱぁい……」

 我ながら、情けない声が出てしまった。だって、こんな場所、もう一秒たりとも居たくない。

「えー。なにか食べるものを買っていけばいいだろう? イートインもあることだし」

 対して十三先輩は、呑気そうな声を上げる。わざとだ。絶対わざとやってる。

 それに──、と続けて、先輩はちらりと周りを見た。

「なにか買って帰らないと、帰してはくれなさそうだぜ」

 言われて、俺はそこで気がついた。──気がついて、しまった。

 俺たち三人の周囲を、遠巻きながら他の客たちが取り囲んでいることに。

 その全員が、顔も見えず……そのくせ、じっとこちらを見る視線を、ひしひしと感じることに。

 ひ──、と声にならない悲鳴が漏れる。客がどんどん増えていた理由がわかった。どこを探しても、通れそうな隙間がない。通してくれそうにない。無理矢理押し通るか? ……俺には無理だ。そもそもあれは、人間なのか。絶対に違う。

「なにをご注文になりますか?」

 笑顔の店員が、飲食店のような催促をしてくる。なにがなんでも食うものを買わせたいらしい。そこまで考えて、ふと、名案を思いつく。

「そ、そうだ……ボールペンとか買えばいいんじゃないですか? あれなら飲食物にはなりませんし、何かを買って帰るってことにも……」

 俺の必死の提案に、無情にも十三先輩は首を傾げた。

「文房具や雑貨の棚って、あったかな……」

 私は見なかったけれど、と彼女は塚本先輩に目をやる。塚本先輩は、黙って肩をすくめた。言われてみれば、俺も見ていない。雑誌コーナーは、この人だかりでは辿りつけないだろう。

「完全に、詰んでるじゃないですか……」

 身体の力が抜けて、へなへなと崩れ落ちた。もうだめだ……、心が折れそうだ……。脳裏を走馬灯が猛スピードで駆け巡る。十三、と塚本先輩が呼ぶのが、どこか遠くで聞こえた。

「死ぬなら一人で死ね」

 仕方ないなぁ、と苦笑する十三先輩の声。

「ヨモツヘグイなら、もしかしたら痛みも苦しみもなく死ねるんじゃないかとは思ったんだけれど。まあ前例を見られないならやむを得ない! さっさと帰ることにしよう」

「……え?」

 がばりと俺は顔を上げた。

「帰れるんですか!?」

「まあ、こういう場合の対処法というのは、あるにはある 」

 事もなげに言い、十三先輩は塚本先輩のポケットをごそごそと漁る。

「おい」

「あーあったあった。もしかしたらもう全滅かと思ったけれど、ちゃんと一本、残ってるじゃないか」

 取り出したのは、煙草の箱とライターだった。笑顔だった店員が、すっと無表情になる。

「お客様。店内は禁煙です」

「まあそう言うな。問題があるなら、店の方をどかせばいいんだ」

 すい、と箱から煙草を取り出し、ライターのフリントを擦る。店員が止める間もなく煙草に火を点けて、煙を吸い込み、吐き出した。

 ──空間が、ぐにゃりと歪む。

 次の瞬間、ごお! と辺りを取り巻くように突風が渦巻いた。猛烈な風圧に、思わず目をつぶって床に伏せる。だがそれも数秒ほどで、風がおさまって目を開けると、そこは夜の公園の一角だった。

 さっきまでいたはずのコンビニは、どこにも見えない。コーヒーの広告がプリントされた幟も。

 事態についていけずに、へたり込んだまま呆然としていた俺は、十三先輩が思いきり咳き込む声で我に返った。

「ああ、煙草ってのはどうしてこう、不味いんだ! これを好き好んで寿命を縮める人間がわからんな」

「死にたがりに言われる筋合いはない」

 塚本先輩が、十三先輩から煙草を取り返す。確かに短くはなってないけどわざわざ取り返す必要はあったのか、と考えて、ああ十三先輩携帯灰皿持ってないしな……、と納得した。

 ──そういえば、十三先輩は死にたがりだというのは聞いていたが。今回俺は、それに巻き込まれかけたのか。

「十三先輩、ほんと勘弁して下さいよ……俺は先輩の毒味役にも心中相手にもなる気はありませんって……!」

 流石に抗議の意を込めて先輩を睨んだが、彼女はどこ吹く風という顔で答える。

「なんだ、わかってて入ったわけじゃなかったのか。つまらん」

「は……、」

 つまらん、という暴言もさることながら、わかってて入った、のくだりに俺は絶句した。

 俺はわかっていなかった。だが、先輩はわかっていたのか。もしかすると、俺がコンビニに入った時から。

「だから言っただろう」

 彼女は肩をすくめる。

「極楽で待ち時間を潰そうとは、いい度胸だ──と」

 ……そんな意味だとは、わかるはずがない。今から思い返すと、どう考えても極楽という場所ではなかったし。

「せっかく木川も死にたいんだと思ったんだけどなー! 旅の道連れができたと思ったんだけどなー!」

 …………。

 わざとらしく子供っぽい主張をする十三先輩に、俺は首を振った。間違いなく先輩は、俺が知らずに入ったのをわかっていたはずだ。その上で、俺が慌てふためく様を見て楽しんでいたのだろう。後輩をいびるのが趣味の、ヤな先輩だし。

 重いため息をつきながら、ゆっくりと立ち上がって砂埃を払った。ほんとなんで野中さんは、この人がいるサークルに入ったんだろう。

 ……そういえば野中さん、遅いな……。

「待ち合わせの時間、もう過ぎてますけど……野中さん、まだですかね?」

 公園の時計で時間を確認して、先輩方に問いかける。短くなった煙草を携帯灰皿で消しながら、塚本先輩がスマホを見た。

「……渋滞は、もう抜けててもおかしくなさそうなんだけどな。十三、おまえ電話かけてやれ」

「私かよ。まあこれで奴が運転中に電話を取ったら、すごくウケるな」

 ウキウキと電話をかける十三先輩を眺めながら、俺は今更、野中さんの携帯番号を知らないことに気がついた。十三先輩でも知ってるのに。

「あっもしもし野中ー?」

 十三先輩の声のトーンが、あからさまに喜色をはらんで一段階上がる。まさか本当に運転中の電話を、と俺は動揺したが、通話をしている十三先輩のテンションは、だんだんと下がってきた。

「ああ……そう……まあ君ならそうだよな……はい……はい……わかった……お大事に……」

 通話を切り、どんよりとした表情を浮かべる十三先輩。

「入院中のお祖父様が、危篤状態になっててんやわんやしていたそうだ。急なことだったので、連絡を入れるのも失念していたらしい。すっぽかしてしまって本当にすみません、とのことだ。──よって」

 一呼吸置いて、先輩は言った。

「野中は! 来ません! 解散!」

 再び俺は、地面に崩れ落ちた。



 じゃあまあ気をつけて帰れよ、とありがたいお言葉を頂いて、俺は帰途につく。駅までの道は街灯で明るく、夜風は心地よかった。まるで、異様な空間があったことなど、夢だったかのように。

 恐ろしかったできごとを思い返して、ぞくりと身を震わせる。──ふと、ある考えが心中に浮かんだ。

 十三先輩は、あそこがこの世ならざる空間だとわかっていた。

 ならば、野中さんにアイスを買っていこうと、俺に渡す役をやると言っていたのは、単なる戯れだったのだろうか。

 勿論、食べさせるわけにはいかないモノだったから、戯れと言えば戯れだったのだろう。だが。

 俺が戻ることを想定していたあの人は、はたして実際、俺を死なせようとしていたのだろうか。

 ──こんなところを見つけたのなら、率先して私に言ってくれればいいものを。

 ばしばしと背中を叩く、十三先輩の笑顔を思い出す。

 きっとその時が来たら彼女は、塚本先輩に言われるまでもなく独りで死ぬのではないかと──蠍の火ならざる赤い星を見上げて、そう思った。

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野中を待ちながら 海原 @kyanosnychta

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